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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

友情 山中伸弥と平尾誠二「最後の約束」

2021-03-10 | 読書
 ラグビー界のスーパースター、故・平尾誠二氏が語ったという「人を叱るときの四つの心得」は、あまりにも有名だが、改めて心に刻みたいと思う言葉だ。曰く、
 ――プレーは叱っても人格は責めない。
 ――あとで必ずフォローする。
 ――他人と比較しない。
 ――長時間叱らない。

 素晴らしいと思うと同時に、わが身を振り返り、あるいは周りの上司、あるいはリーダー的ポジションにいる人たちの言動を見るに、これがいかに至難の心得であるかということに思い至るのだ。
 フォローするどころか、他人と引き比べ、お前はなあ、などといつまでもネチネチと小言を繰り返す御仁のいかに多いことか。これ、絶対的に逆効果な叱り方なのだが、どうにもやめられないらしい。挙げ句、何年も前の事を持ち出してきて、それをネタにまた愚痴とも小言とも言えない繰り言を延々と開陳される身にとっては最悪の時間の無駄遣いである。

 もう一つ、平尾誠二氏が言ったという、「ボスザルの三つの条件」があるそうなのだ。曰く、
 ――親の愛情を受けて育った。
 ――雌ザル子ザルに人気がある。
 ――離れザルになるなどの逆境を経験している。

 これまた考えさせられる「条件」である。自分が「雌ザル子ザルに人気がある」とは到底思えないし、仕事に行き詰まって辞表を胸に臨んだことはあるにしても、それを逆境とまで言えるのかどうか。さらに、母子家庭で育った私には、母親の愛情は感じたかも知れないが、父親の味はついに分からないまま歳を重ねてしまった。
 もっとも、ボスザルになることを望んだこともないのだから、別にこの条件を満たす必要などないのだが、もしそうした良き友人や上司に恵まれたなら、この人生もまんざらではないと思えたかも知れない、とは思うのだ。
 そう考えると、まさに平尾誠二氏こそ、その条件を十二分に備えた人物だったのではないだろうか。
 
 最近、文庫化されたのを機に読んだのが、「友情 平尾誠二と山中伸弥『最後の約束』」である。先ほどの四つの心得も三つの条件もこの本の中で紹介されているのだ。
 本書は、iPS細胞の研究により、2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥氏と平尾誠二氏が、2010年9月に週刊誌の対談企画で初めて出会い、以降、友情と絆を深めた6年間の記録である。さらに、2015年9月に平尾が喀血し、検査で癌と診断されてから、ともに寄り添いながら、家族とともに病と闘った13か月間の記録でもある。
 第1章が山中氏の手記、第2章が平尾誠二夫人である惠子さんの手記、第3章が平尾、山中両氏の対談の採録という三部構成のこの本からは、人が人を思いやることの美しさであったり、大切な人をついに救うことが出来なかった無念さであったり、掛け替えのない人を失った悲しみなど、様々な感情が尽きることなく溢れ出てくるのを止めることが出来ない。
 それ以上に、この本を読んだ人々は、直接には平尾誠二氏と触れ合ったことがなかったとしても、人間としてのその奥深い魅力を知るに違いないのだ。彼と身近に関わった人々の記憶に残るばかりでなく、その行動や発言を伴う鮮やかな姿は、いつまでも褪せることなく生き生きとした輝きを放ち続けている。

 一方、この本からは、冒頭で紹介した平尾氏の言葉ばかりでなく、様々な気づきや学びを得ることが出来るだろう。
 リーダー論、組織論などはもちろんビジネスや教育の現場など、幅広い分野に応用可能だろうが、それ以上に私は、癌を告知されてからの病との向き合い方であったり、山中氏を信じ、文字通り二人三脚で病に対し闘い抜こうとする姿勢に感動するとともに、そうした過酷な中でも失うことのない氏の明るさ、強さが私たちを勇気づけ、鼓舞してくれるのを感じる。
 加えて、山中氏の手記では、治療方法を選択するにあたっての考え方や、その時々で癌がどのように進行し、体内で何が起こっているのかといったことなどが、初心者にも理解できるように書かれていて参考になる。
 また、最も身近にいてその闘病の過程をつぶさに見ていた妻・惠子さんの手記はさらに痛切でもあるのだが、冷静な筆致によって浮かび上がる平尾誠二の姿は、あくまでも明るく爽やかである。
 もちろん、彼の内面は傍目からは窺い知ることの出来ない葛藤や鬱屈を抱えていた筈だが、それを気取られぬばかりか、むしろ周囲を思いやるような優しさと強さが彼にはあったのだ。

 誰もが平尾誠二になれるわけではない。しかし、この本を通して彼の人間性に触れた人は誰でも、自身の内側から湧き起こる変化の力を感じることだろう。癌サバイバーの私もまた、この本を読むことで多くのことを感じ、力を得た一人である。