能登半島から極東ロシアまでは、何と790Kmです。
日本海を隔てた対岸には、歴史的な交流が多く行われて来ました。
ロシア極東の玄関口 ウラジオストックの極東大学構内に建つ与謝野晶子の詩碑もあります。
詩は「旅に立つ」。34歳の晶子が、1912年5月5日敦賀港を発って、このウラジオからシベリア鉄道に乗り込んだ際に詠んだものです。前年11月にパリに渡った夫の寛に会いに行く旅ですから、夫を慕う情熱的な内容の詩です。
1994年、京都の与謝野晶子を研究するグループ(与謝野晶子アカデミーなど)が建てましたが、詩の刻まれた銅版が盗難にあってしまいました。現在の写真は修復されたもので、2004年8月2日に碑の除幕式が行われました。手がけたのは山梨学院大の我部政男教授(日本近代政治史)。
1878年 明治11 黒田長官ウラジオストク視察.函館の渡辺熊四郎らも同行する
この時に、ロシア製馬車・馬橇を購入して北海道開拓の機械化を計画する。
など極東ロシアとは、歴史的な交流があります。
能登報告
写真・珠洲市に設置されている方向位
日本海を隔てた対岸には、歴史的な交流が多く行われて来ました。
ロシア極東の玄関口 ウラジオストックの極東大学構内に建つ与謝野晶子の詩碑もあります。
詩は「旅に立つ」。34歳の晶子が、1912年5月5日敦賀港を発って、このウラジオからシベリア鉄道に乗り込んだ際に詠んだものです。前年11月にパリに渡った夫の寛に会いに行く旅ですから、夫を慕う情熱的な内容の詩です。
1994年、京都の与謝野晶子を研究するグループ(与謝野晶子アカデミーなど)が建てましたが、詩の刻まれた銅版が盗難にあってしまいました。現在の写真は修復されたもので、2004年8月2日に碑の除幕式が行われました。手がけたのは山梨学院大の我部政男教授(日本近代政治史)。
1878年 明治11 黒田長官ウラジオストク視察.函館の渡辺熊四郎らも同行する
この時に、ロシア製馬車・馬橇を購入して北海道開拓の機械化を計画する。
など極東ロシアとは、歴史的な交流があります。
能登報告
写真・珠洲市に設置されている方向位