上善は水の若(ごと)し。
水は善く万物を利して而(しか)も争わず。
衆人の悪(にく)む所に処(お)る。
故に道に畿(ちか)し。
(出典:『老子』小川環樹訳注、中央公論社)
老子『道徳経』の中でも有名な第八章冒頭の一節です。
水の尊さと、その真に高貴な美しさを感じさせます。
老荘好きには、最も親しまれ、愛されてきた章句ではないでしょうか。
「衆人の悪む所」とは、訳注に拠れば、「低いところ」あるいは
「汚水のよどんでいるところをさすかもしれない」とあります。
どんな境遇にあっても、恬然とした水の姿に心を打たれます。
私は、前半の二行に繋がれた、この一行に胸を衝かれます。
水に光と影、陰陽を見据える老子の慧眼が冴え渡っています。
しかし、四行目では、こんな水でさえ道に近いものの喩えに過ぎない、
道そのものではないのだと、念を押しているかのようです。
道とは、大宇宙の果てのように遠い存在なのでしょうか?
いや、きっと、私たちに最も身近な存在でもあるのでしょう。
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