善(よ)く士為(た)る者は武ならず。
善く戦う者は怒らず。
善く敵に勝つ者は与(くみ)せず。
善く人を用うる者は之が下と為(な)る。
(出典:『老子』小川環樹訳注、中公文庫)
『道徳経』第68章の冒頭「不争の徳」について記された個所である。
一行目は、「武士」のような言葉と、形容矛盾を抱かれる向きもあろうが、「武」の字義は、「矛」を「止」めるものの意であると言われている。そんなことと重ねて、この一行目を理解したい。
二行目も、武道やスポーツで「平常心」が重んじられることからも
分かるように、怒りは、自分を忘れ未熟に陥り、判断や言動を誤ら
せる源である。
また、怒りという感情が、体そのものにも物理的に悪影響を及ぼす
ことを、私は昔、呼吸法の道場で指導を受けたことがある。
三行目の「与せず」とは、「相手にしない」という意味である。
相手の土俵に乗らないと言えば分かり易いが、私は寧ろ
「相手の気を殺(そ)ぐ」ようなことと解している。
この四行目が一番難しい。
機に応じた解釈があって良いと思われるが、
「下と為る」ことで「善く人を用うる」には、
相当に人望の備えがなければ、人は、「下」に立つような者を侮り、
逆に言い付けを聞かなくなるであろう。
前の三行の境地が出来上がっていればこその、この四行目の表白であろう。
以上は、いつものことながら、
上掲書を参考にしての、私個人に則した、素人の老子解釈に過ぎない。この「不争の徳」は、私自身が度々立ち返ることの多い個所でもある。自戒のための章句でもあり、私自身の小ささに気づかせてくれる警句である。