俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

余暇

2012-10-06 19:40:38 | Weblog
 生活に追われると人は生活することで精一杯になる。つまり生活するために生きるということだ。英語で表現すればlive for lifeとなるだろうか。しかしこれは妙な言葉だ。lifeはliveの名詞形だから同語反復に等しい。これではただ単に生きているだけであり植物のような生き方だ。
 考えるためには時間的・精神的余裕が必要だ。その意味で電気洗濯機は偉大な発明だと思う。一年間だけだが手で洗濯をしていた時期がある。洗濯をしている間は何もできない。一方、現在の全自動洗濯機なら開始ボタンさえ押せば後は総て機械がやってくれる。その間の時間は全くの自由時間となる。自由時間とは余暇であり余暇が文化を育む。文明生活はこうして文化を促す筈だが必ずしもそうなってはいない。余暇を精神活動ではなく享楽に使ってしまうせいだろうか。

私の失敗

2012-10-06 19:17:45 | Weblog
 退職後2年間ほど読書三昧の生活を楽しんだ。様々な本を1日1冊ぐらいのペースで読み漁った。すると困ったことになった。本が溢れ始めた。本棚に二重に並べても足りず床に直置きして二重三重に積み重ねた。そのために読み直したい本がどこにあるのか分からず、改めて買ったことさえある。古本屋にも売ったが売るペースよりも買うペースのほうが早いので部屋は本で溢れ返った。今回、転宅を機に本を整理したら重複購入した本が10冊以上見つかった。「鏡の国のアリス」は3冊もあった。やはり本は二重三重には積まずちゃんと整理すべきだった。余生を使い切っても今の蔵書を読み直し切れないことは確実なだけに本棚に見合った量に留めるべきだった。
 スーツの始末にも困っている。春夏物が約20着、秋冬物が約30着あるが、2年以上使わなかったので埃塗れにしてしまった。寄付するためにクリーニングに出すのも馬鹿馬鹿しいのでゴミとして処分するしか無い。ゴミ問題には無関心ではないだけに全く不本意なことだ。退職直後に動いておくべきだった。

可能性

2012-10-06 18:51:42 | Weblog
 中学生には多くの可能性がある。勿論あくまで文字通りの「可能性」に過ぎない。芸能人やスポーツ選手やIT長者になれるかも知れないし犯罪者になるかも知れない。残りの年数が多い人ほど今後の選択肢は多い。
 一方、私のような老人の選択肢は少ない。働こうとしてもロクな仕事は無いし、脳や体を鍛えることも難しい。精一杯努力しても現状を維持できれば上出来で、せいぜい劣化を遅らせることしかできない。
 こういう諦めの気持ちが更に老化を促す。自分の精神と肉体が腐り始めていると感じた時「滅びるべきものは滅びよ」というヤケクソの気持ちになる。
 事実は肯定されねばならない。老化するという事実は否定できない。しかし「老化は良いことだ」と積極的に肯定する必要は無い。物体が落下することが必然でもわざわざ落下を促す義務は無い。落下させないための努力は決してドン・キホーテのような虚しい戦いではない。精神的成長を諦めれば精神と感情の老化に繋がりこれが肉体の老化をも促す。精神と感情の老化こそ注意せねばならない。老いても枯れるべきではない。