俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

マラソン

2012-10-15 19:52:48 | Weblog
 二人のマラソンランナーが脚光を浴びた。一人はノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥京大教授で、もう一人はノーベル文学賞を逸した村上春樹氏だ。二人とも本命と言われていたけれども明暗を分けた。特に村上氏は番狂わせだろう。受賞を伝えるテロップなら何度も見たことがあるが、受賞を逃がしたことでテロップが流されるのを見たのは初めてだ。それだけ期待も可能性も高かったということだろう。
 現代日本の理系と文系の代表的頭脳が揃ってマラソンランナーだということでにわか市民ランナーも増えるだろう。国民がスポーツに励むのは良いことだ。国民が健康になれば医療費も減って、国家財政も少しは改善されるだろう。
 私も30台半ばまではよく走っていた。しかし昔のマラソンシューズを使っていたので膝や足首を痛めることが少なくなくてやめてしまった。軽過ぎるマラソンシューズは土の上を走るためのものであって、アスファルトの上を走るのには向いていない。アスファルトを走るなら着地の衝撃を緩和する底の厚いジョギングシューズのほうが良い。
 私の唯一のスポーツである水泳は引越し後にパターンが変わった。かつては大阪の市営プールまで往復30分歩いて1時間泳いでいたものだが、今では伊勢の民営プールまで往復1時間自転車に乗って30分泳いでいる。トータルの運動時間は等しいが少なからず不満だ。
 ドクター中松は、脳への血の巡りが改善されて頭の働きが良くなるスポーツとして水泳を推奨しているが、ドクター中松の推す水泳よりも、両氏が実践しているマラソンのほうが断然ご利益がありそうだ。

無関心

2012-10-15 19:23:05 | Weblog
 常識としては必要なことだが、人が社会に対して無関心であることは個人の自由だ。古来、竹林の七賢などのように俗世間を嫌って思索に耽った人は少なくない。政治や経済、あるいは芸能やスポーツ情報など知らなくても困らない。
 関心を持たねばならないのはまず生と死だ。人は誰でも今生きておりいずれは死ぬ。犬猫ならともかく人間は死ぬことを前提にして生きざるを得ない。生きるためには最低限、次の3つが欠かせない。収入を得ること、健康を維持すること、必要な栄養を摂取すること、だ。これらに無関心なままで生きることは難しい。これらと比べたら他のことなど趣味の問題にも等しい。関心を持とうが持つまいが本人の勝手だ。
 多くの人は収入を得ることには熱心だが、他の2つに対しては驚くほど無関心だ。関心を持っても正しい情報を得ることは非常に難しい。それほどまでに怪しげな情報が罷り通っている。
 医学と栄養学は全国民の必須の知識なのだが、栄養学に詳しい医師は非常に少ない。医療そのものも間違いだらけであり、傷を消毒することをやめたのは近年のことだ。そして困ったことにはこのことが未だ国民の常識とはなっていない。
 日本の代表的評論家だった大宅壮一氏は減量のためにコンニャクばかり食べて栄養失調で亡くなったと言われている。氏ほどの知識人であっても医学と栄養学については生半可な知識しか持っていなかったようだ。
 ワイドショー紛いの報道番組を見る暇があれば医学と栄養学の基礎知識を身に付けるべく勉強に励むべきだろう。それが自分のためになる。