俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

電力

2012-10-18 11:29:46 | Weblog
 電力問題に関する議論は全然噛み合っていない。好き勝手なことを主張するばかりで建設的な方向には進みそうにない。問題点を整理すべきだろう。
 社会的インフラとしての電力は次の条件を満たさねばならない(順不同)。①安定性②安全性③経済性④環境性⑤緊急性。これらの条件のどれを優先すべきかを明確にするだけで問題点はかなり整理される。
 ①安定性
 電力は安定して供給されねばならない。停電や電力不足を招いてはならないから不安定なエネルギー源に頼るべきではない。従ってお天気任せの太陽光や風力、政治に振り回される石油はこの条件を満たさない。
 ②安全性
 原発の危険性は机上ではなく現実的に証明された。従ってこれを重視するなら原発は最悪だ。
 ③経済性
 石炭が最も低コストであり太陽光が最も高コストだ。
 ④環境性
 石炭は不純物が多いので最も大気を汚染する。面積効率が極端に悪い太陽光発電は大地や海から光を奪うことによって自然を破壊する。
 ⑤緊急性
 発電施設には大規模な設備が必要だから緊急時には他の要因を無視してでも今ある施設で対応せざるを得ない。大震災直後の火力発電やこの夏の大飯原発の再稼動がこれに該当する。
 以上の条件を総合的に考慮して電力問題に対処せねばならない。私個人としては原発と太陽光が最低であり天然ガスが一番マシだと思う。それだけにテレビ番組で「原発か太陽光か」という選択を迫るのは最悪の二者択一であり選択することは不可能だ。

第一の天性

2012-10-18 11:03:32 | Weblog
 儒教には孟子の性善説と荀子の性悪説があるがどちらも誤っている。人間の天性は善でも悪でもなく最も「自然」なものだ。人間性は善悪に先立つ、とさえ言えよう。
 ニーチェの言葉だとは思うのだが残念ながら出典を確認できず正確な引用ではないが「人間はまず第二の天性を獲得して第一の天性は枯渇する」という言葉が善悪の起源をも明らかにする。
 人間は本来、自分本位な動物だ。欲しい物は手に入れようとするし、やりたいことをやろうとする。これが第一の天性だ、幼児はこの状態だ。しかしこのままでは社会生活を営めない。そのために個人は社会的動物に馴養されねばならない。こうして人は第二の天性を獲得する。このことは決して人間性を歪めることにはならない。人間は元来、個別性と社会性の両面を持っている。社会生活に適応させるために社会性が優先的に育成されるということだ。この社会的動物として好ましい性質が「善」と呼ばれている。
 人間が社会的動物としての側面しか持たないのなら社会性だけでも良かろう。しかし人間は元来、個別的動物でもある。第一の天性として自分の意志を持っている。ところが第一の天性が枯渇してしまった人は一人では生きられなくなる。何をするにも他者からの指示や助言が必要になる。これを主体性の欠如と呼んでも差し支えないが、第一の天性の発育不全だと私は考える。
 社会によって奨励される第二の天性だけではなく、自我に忠実な第一の天性も健やかに育てられる必要がある。滅私奉公ではなく活私奉公こそ望ましい。