俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

大小

2012-10-26 10:08:42 | Weblog
 大地震はマスコミでは「オオ地震」と読むことになっている。大和言葉は「オオ」と読み漢語や外来語は「ダイ」と読むのがルールのようだ。そのため大震災は「ダイ震災」であって「オオ震災」ではない。
 しかし大噴火はどうだろうか。噴火は古来の言葉だから「オオ噴火」でも良さそうだが「ダイ噴火」と読む。大洪水も「ダイ洪水」と読む。
 「大」の読み方についてこんな小噺がある。
 特急の車内で弁当を食べていた男性がワゴンでの車内販売の女性に声を掛けた。
「ねぇちゃん、ビールをおくれ。」
「はい、ダイ瓶でしょうか、ショウ瓶でしょうか。」
「そんなもの要らない。」
 男性はなぜ断ったのだろうか。「オオ瓶・コ瓶」と言うべきだったからだ。「ダイ瓶・ショウ瓶」ではトイレを連想してしまう。多分、更に悪いことには多少訛りがあって「ビ」が「ベ」に近い発音だったのだろう。食事中に「大便・小便」と言われては気分を害しても無理は無い。
 しかし理屈から言えば「ダイ瓶・ショウ瓶」が正しい。瓶は本来外来語だ。それを「オオ瓶・コ瓶」と読むほうが文法的には誤りだろう。

一部による不正

2012-10-26 09:41:17 | Weblog
 不正は常に一部の人によってなされているのではないだろうか。一昨日に書いた生活保護の不正受給にしても一部の人に過ぎない。犯罪も一部の人が繰り返して行っているから件数が多いだけであり犯罪者は一部の人だけだ。宗教も大半は真っ当なものでありマスコミを騒がせるオウムのようなカルト教団は例外だろう。マスコミも大抵は正しい報道をしており明らかに酷い報道は最近では読売新聞のiPS細胞の記事と週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」など数えるぐらいしか無い。一部の例外を針小棒大に騒ぐなという意見も一理ある。
 made in Japanは品質が優れているという定説があるがその中でも日本人は均質かつ高品質なので世界中の旅行関係者から絶賛されている。不良率の低さは中国人とは比較にならない。
 しかし全体が高品質であればあるほど少数の不良品が問題にされる。勤労者の7割が給与所得者で、3割を占める自衛業者の一部が脱税をしているだけなのだから脱税率は1割にも満たないだろう。しかし少数だからこそ問題なのだ。もし国民の9割が脱税しているなら悪いのは脱税者ではなく制度だろうが、国民の9割がきちんと納税しているからこそわずか1割にも満たない脱税者が問題にされなければならない。
 一部の道路では大半の車がスピード違反をしている。こんな違反なら問題にならない。悪いのは運転者ではなく規則のほうだろう。しかし通学路などの徐行すべき通路を猛スピードで走るごく一部の車は危険だ。こんな車は取り締まられなければならない。
 少数者を例外として目溢しするのではなく、少数に過ぎないからこそ問題にされるべきだろう。法律が規制しようとしているのはこんな少数者であって大多数を占める善良な人々ではない。