俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

近いうち

2012-10-22 13:26:09 | Weblog
 芸能界であれビジネス界であれ業界用語は難解なものが多いが政界用語はもっと難しい。「慎重に検討します」は放置するという意味だし「最大限努力します」は結果責任は負わないという意味だ。中でも名言は「記憶にございません」だ。これの凄さは証拠が出ても嘘をついたことにならない点だ。やったかやらなかったかは実証できても記憶していたかどうかは絶対に検証できないからだ。
 最近の政界用語で最も議論されているのは「近いうちに国民の信を問う」だろう。「近いうち」は日常用語でも曖昧な言葉だけに、その解釈を巡り与野党間で紛糾が続いている。21日には前原国家戦略担当相が「年明けに解散したら『近いうち』とは言えない」と発言して民主党内で物議を醸している。政治家同士の駆け引きは彼らに任せておいて、国民(主権者)としてこの言葉の意味を考えたい。
 最も重要なのは任期満了日だ。平成25年8月29日が満了日だからどれだけ遅くともそれまでには信が問われる。
 戦後の23回の衆議院選挙で任期満了に伴う選挙は1回だけでそれ以外の22回は解散による選挙となっている。そのたった1回の前例によると昭和51年12月9日の満了日に対して12月5日に選挙を行っている。その前例に従うなら8月25日(日)に選挙を行うことがリミットとなる。「近いうち」発言が24年の8月8日だからその中間日は25年2月17日だ。たまたまこの日は日曜日なのでこの日までを「近いうち」、それ以降を「遠いうち」と定義しても良かろう。17日は中間日だから10日までという意見もあろうが1日ぐらいオマケしても良かろう。従って2月17日までに選挙をすれば野田首相は約束を守ったことになり、それ以降なら「嘘つき」と糾弾しても良かろう。2月17日までという縛りは充分に有効だろう。
 曖昧な言葉に対してその明確化を求めることは主権者としての国民の権利だろう。

自由競争

2012-10-22 11:17:46 | Weblog
 市場経済では競争原理が働く。複数の企業が自由競争をすることによって消費者は良い品を安く入手することができる。これは企業対企業の場合でも同じであり、複数の企業と交渉することによって最良の取引条件を引き出すことができる。だから独占は悪く自由競争が良いとされている。
 しかし自由競争は万能ではない。供給が需要を上回れば安値になるが、逆に需要が供給を上回れば高値安定となる。かつての石油ショック、あるいは近年の金や穀物や原油などの高騰は単に投機によるものではなく需要増も一因だ。
 これらを前提にした上で今後の日本の電力について考えてみたい。マスコミは自由競争になれば電気料金は下がると言うがかなり疑わしい。電力が不足しているからだ。総電力の3割を占めていた原子力が稼動困難な状況なので電力は不足する。需要が供給を上回れば値上がりするのが市場経済だ。ここ数年は電力不足が見込まれるだけに自由競争よりも統制価格のほうが望ましい。
 日本経済はデフレ状態が続いている。これは供給が需要を上回っているからに過ぎない。昨年の秋から今年の春にかけてレタスが異常に高騰したことを多くの人が覚えているだろう。たとえデフレ経済下でも不足した物は値上がりする。自由経済の下では生産量が減れば値上がりする。電力不足の状況での自由化は電気料金の高騰を招いて国民を不幸にする。

客観的事実

2012-10-22 10:55:34 | Weblog
 当り前の話だが知覚は主観的なものだ。主観的な情報を客観的な情報にするためには他者からの情報が欠かせない。自分が持っている情報と他者から得た情報を統合することによって客観的情報が得られると無邪気に信じられ勝ちだ。しかし他者の情報も所詮は他者の主観的情報に過ぎない。
 例えば地平線近くの月は天空にある月よりも大きく見える。これは人類に共通した錯覚だ。皆がそう言うからと言って、月が地平線近くで大きくなる訳でもなければ、地平線近くで地球に接近する楕円軌道を描いている訳でもない。このように全員が同じように知覚するからと言ってそれが正しいとは限らない。「地平線近くの月は大きい」は誤りであり「地平線近くの月は大きく見える」が正しい。地動説や進化論が長い間否定されたのも同じような事情からだ。
 このように多くの人の主観が一致しても客観的事実にはならない。増してや現代人はマスコミに騙され勝ちだ。視聴者は2種類しかいないようにさえ思える。マスコミの報道を鵜呑みにする人と、最初から信用していないので「またか」という思いで空騒ぎを無視する人だ。このままではマスコミは嘘を垂れ流し続ける。多少青臭く、蟷螂の斧のような虚しい行為かも知れないが真面目にマスコミ批判を続けることが必要だろう。