ある商業施設の男性用トイレで驚いた。手摺の付いた小便器が1番目ではなく2番目にあったからだ。これはコロンブスの卵のような素晴らしい発想の転換だ。どこのトイレでも障害者用の手摺付き小便器を1番目に設けている。これは障害者の負担を減らすためだ。しかし実際に使われることは少ない。私自身、障害者が手摺付き小便器で用を足している姿を見たことが無い。たまに使われることもあるが使用するのは常に健常者だ。
1番目に手摺付き小便器があれば健常者は2番目の小便器を最も多く使う。そうすると1コマ開けた4番目と6番目の使用頻度が高くなる。これでは障害者に遠慮したために健常者に無駄を強いることになる。滅多に使われることの無い障害者用小便器を2番目に据えることは健常者の利便性を高める。1・3・5番目の小便器の使用頻度が高まるからだ。
私は決して少数者に我慢を強いらせたい訳ではないが、滅多に使われない障害者用小便器を1番目にする必要は無いと思う。2番目であっても極端に不便になる訳ではない。少しは不便であっても許容範囲だろう。
弱者を守るべきだということに異存は無い。しかし必ずしも最優遇する必要は無かろう。手摺付き小便器を2番目に設置するということはこのことに対する1つの答えだろう。
弱者に優しい社会が、健常者に不便を押し付ける社会であるべきではなかろう。使用頻度が極端に少ない手摺付き小便器を最も便利な位置に鎮座させることは健常者に余計な負担を強いることになる。両者にとって最も合理的な形が求められるべきだろう。弱者優遇がしばしば不合理な仕組みを作る。部分ではなく全体を見ることが必要だ。全体最適という基準で見直せば、手摺付き小便器は2番目の位置に設置することが最も合理的だと私は思う。
勿論これは一般的な商業施設の話だ。障害者や高齢者が多く集まる施設であれば総ての小便器を手摺付きにすべきだろう。施設は利用者のニーズに合わせるべきだ。
弱者保護と過保護の線引きは難しい。生活保護もしばしば過保護になっている。適切な優遇こそ望ましいということを、2番目に設置された手摺付き小便器を見て大真面目に考えさせられた。
1番目に手摺付き小便器があれば健常者は2番目の小便器を最も多く使う。そうすると1コマ開けた4番目と6番目の使用頻度が高くなる。これでは障害者に遠慮したために健常者に無駄を強いることになる。滅多に使われることの無い障害者用小便器を2番目に据えることは健常者の利便性を高める。1・3・5番目の小便器の使用頻度が高まるからだ。
私は決して少数者に我慢を強いらせたい訳ではないが、滅多に使われない障害者用小便器を1番目にする必要は無いと思う。2番目であっても極端に不便になる訳ではない。少しは不便であっても許容範囲だろう。
弱者を守るべきだということに異存は無い。しかし必ずしも最優遇する必要は無かろう。手摺付き小便器を2番目に設置するということはこのことに対する1つの答えだろう。
弱者に優しい社会が、健常者に不便を押し付ける社会であるべきではなかろう。使用頻度が極端に少ない手摺付き小便器を最も便利な位置に鎮座させることは健常者に余計な負担を強いることになる。両者にとって最も合理的な形が求められるべきだろう。弱者優遇がしばしば不合理な仕組みを作る。部分ではなく全体を見ることが必要だ。全体最適という基準で見直せば、手摺付き小便器は2番目の位置に設置することが最も合理的だと私は思う。
勿論これは一般的な商業施設の話だ。障害者や高齢者が多く集まる施設であれば総ての小便器を手摺付きにすべきだろう。施設は利用者のニーズに合わせるべきだ。
弱者保護と過保護の線引きは難しい。生活保護もしばしば過保護になっている。適切な優遇こそ望ましいということを、2番目に設置された手摺付き小便器を見て大真面目に考えさせられた。