俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

チキンレース

2014-10-26 11:12:22 | Weblog
 チキンレースという危険な競争がある。自動車やバイクで崖や壁に向かって突進したり、正面から相手に向かって突っ込むレースだ。先にブレーキを踏んだりハンドルを切ればチキン(臆病者)として軽蔑される。
 サラリーマンの出世競争もこれと似ている。他人以上に働くということを競う。車のレースと違うところは競争相手が見えないことだ。他のオフィスにいる見えない相手との競争だ。こんなレースでは過剰競争にならざるを得ない。こうして彼らは自らの意思で長時間労働を選ぶ。チキンレースを勝ち抜けた者が昇進する。「すき家」などでの過酷な労働はこんな心理に付け込んでいる。実に馬鹿げたことだとは思うが、日本では努力が評価される。成果は運に左右されるが努力であれば本人に帰属する。
 受験競争が激しかった時代には「四当五落」という言葉があった。これは睡眠時間が4時間であれば合格できるが5時間も眠れば不合格になるという意味だ。実際のところ睡眠不足で呆けた頭で勉強するよりも充分な睡眠を取ったほうが良い筈なのだが、多くの受験生が自らの意思で睡眠時間を削っていた。
 安倍首相は法人税率を下げると公言する。税率を下げないと企業が流出するとのことだが、こんな減税競争もチキンレースだろう。むしろ他国と協調して法人税を上げるために努力すべきではないだろうか。どこの国も歳入不足に悩んでいるのだから無理なことではあるまい。
 チキンレースに巻き込まれても得るものは何も無い。発想の転換が必要だろう。こんなパズルがある。
 レースの主催者が2人の馬主に言った。「勝ち馬の持ち主に賞金を与える。但しこれは遅い者勝ちとする。」レースは凄惨な根競べになった。どちらも1歩も進まないのだからいつまで経っても勝敗が決まらない。見かねた知恵者が解決策を提示した。どんな方法か?
 〔答〕相手の馬に乗る。相手の馬を先にゴールにさせれば自分の勝ちになる。
 

原因療法

2014-10-26 10:37:43 | Weblog
 病気は体の異常なのだから何らかの原因がある筈だ。その原因を放置したままで不快感の解消だけを図る対症療法は治療ではない。これまで散々、風邪薬や下痢止めについて書いたが、今回は違った病気を例にする。
 蕁麻疹の患者に皮膚病の薬を処方するだけの医者は藪医者と考えて間違いなかろう。典型的過ぎる対症療法だ。蕁麻疹の原因は様々だが食物が原因であることが少なくない。最低限、原因物質を特定してそれを避けるように指導する必要がある。
 以前であれば医師の仕事はここまでだった。ところがこれでは困ったことが起こる。複数の食品に対してアレルギー反応を起こす人がいるからだ。もし卵・乳製品・小麦・魚・果実に悉くアレルギー反応を起こす患者であれば一体何を食べれば良いのだろうか。これでは栄養障害という問題が生じる。
 ここ数年のことだが新しいアレルギー治療法として「経口免疫寛容」という手法が使われているそうだ。つまりアレルゲンを少しずつ摂取することによってアレルギー反応を抑制するという手法だ。アレルギー反応が治まれば貴重な栄養源になる。
 危険な療法のようだが私には妙に納得できる。心理療法によく似た手法があるからだ。例えば電車事故によるPTSDで電車に乗れなくなった人がいるとする。行動療法での治療は、まず何度か駅まで行き、次はホームに立ち、電車の中を素通りする、というように徐々にハードルを高めることを通じて、電車に乗るという目標に到達する。薬で恐怖心を抑える精神療法と比べれば時間は掛かるが堅実な方法だろう。
 体も心も順応力を持っている。酒を受け付けなかった人が徐々に酒に馴染むということは珍しくない。三島由紀夫氏は元々は下戸だったが少しずつ飲酒量を増やして酒を楽しめる体質に改造したそうだ。
 経口免疫寛容は決して100%安全な手法ではない。体調が悪ければ前回は安全だった量でもアレルギー発作を起こすこともあり得る。医師の指導の元で慎重に行わねばならないが、これでアレルギー体質を克服できればQOL(クオリティ・オブ・ライフ)も高まる。これが原因療法だ。
 漫然と皮膚病の治療薬を投与していれば徐々に効かなくなるから更に強い危険な薬に変更せねばならない対症療法と、アレルギー体質の克服にまで取り組む原因療法との差は余りにも大きい。皮膚病に限らず治療とはかくあるべきだろう。