俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

国産品

2014-10-12 10:17:51 | Weblog
 「餃子の王将」が食材の大半を国産品に切り替えるそうだ。中華料理店だから中国産の野菜を使っても問題は無い筈だ。かつて「中国野菜の炒め物」というメニューがあった。使われていたのは中国独自の珍しい野菜ではなく単に中国産のありきたりの野菜だった。あるいは中国人が働いていても全く違和感が無い。こんな背景があるのに「なぜ」と思ったが意外な理由からだった。円安で国産品と輸入品の価格差が縮まったからとのことだ。
 最近アベノミクスの弊害を採り上げるマスコミが少なくない。輸出企業だけが儲かって、下請け企業は輸入される素材の高騰に苦しんでいるという記事だ。要するに大企業だけが優遇されていると言いたいだけだ。しかし輸出入に依存しない純国内産業にとっても円安が追い風になっていることは明らかだ。第一次産業は勿論のこと、地場の工芸品などにとっても円安のメリットがある。
 食料自給率が40%を切ったという事実から、民主党政権は早急に50%以上にするという目標を掲げた。しかしこれは全くの空念仏だった。具体策が全く無かったのだから向上する筈が無い。自給率は却って下がった。
 食料自給率を高めるためには円安が一番だろう。円安になれば輸入品が値上がりする。勿論、輸入食品も値上がりする。低単価で傷み易い食品は工業製品以上に競争力が高まる。このことを理解せずに円高を放置して無意味な為替介入を繰り返して外貨を貯め込んだ民主党政権は全く経済音痴揃いだったと言わざるを得ない。円高が食料自給率低下の一因だった。
 マスコミも輸入品の値上がりばかりに注目すべきではない。国産品の相対価格が下がって競争力が高まっているという事実こそ重大だ。輸入品の値段が上がって国産品との価格差が縮まった今こそ、安全で新鮮な国産品の愛用を促すべく一大キャンペーンをすべきだと私は考える。
 中国食品の危険性は過度に騒がれている。ある週刊誌は中国産の食材が給食に使われていると非難していたが偏見マル出しだ。とは言え国産品重視は良いことであり、王将フードサービスの快挙に倣うべきだろう。食品だけではなく国産の木材なども積極的に活用すれば地方振興にも繋がる。何事にも光と影があるものだが、第一次産業の復興に期待しても良いのではないだろうか。

天声人語

2014-10-12 09:40:43 | Weblog
 天声人語は「天に声ありて、人をして語らしむ」という意味らしい。何と傲慢な標題だろうか。神様気取りだ。有難い託宣を謹んで聞け、と言いたいのだろうか。こんな姿勢だから、事実を超えた真実があるという報道機関にあるまじき信念に基づいて捏造を繰り返していたのだろう。
 11日の天声人語にもそんな姿勢が現れている。「(ノーベル平和)賞を受けるのは『9条をもつ日本国民』とされているが、そのなかには改憲論者もいるのに」とのことだ。これこそ天の声ならぬ「朝日の声」だろう。
 この文章は誠に朝日新聞らしい偏見に満ちている。改憲論者を露骨に「平和の敵」と位置付けている。朝日新聞がこんな偏見を撒き散らかすから憲法に関する議論がすっかり偏ってしまう。「戦争か平和か」という二者択一にされては改憲論など持ち出せない。
 私は改憲論者だがファシストでも好戦論者でもない。現行憲法が曲解に曲解を重ねて全く無内容になっているから、曲解を許さぬ明確なものに修正すべきだと考える。憲法の最も重要な役割は権力者を拘束することだ。時の権力者が好き勝手なことことをできないようにすることこそ憲法の本質だ。政治家が数に頼ってどうにでも変えられる法律とはこの点が根本的に異なる。だから権力者の解釈変更によってどうにでもなる役立たずの憲法など要らない。憲法は既に死んでいる。死んだ憲法を修正して曲解を許さぬ明確な新憲法を定めるべきだ。
 護憲論者は現行憲法を一字一句変えさせまいとする。これでは宗教だ。律法であるなら見直しが可能だか教典だから見直しを許さぬ不磨の大典にしようとする。イスラム教のコーランは翻訳することさえ禁じられている。一読すれば分かることだが、憲法の条文は酷い悪文だ。悪文の見本として国語の教材にしたくなるほど低レベルの文章だ。最低限この酷い文章の修正ぐらいは必要だろう。
 改憲が軍国主義への道であるなら、戦後59回も憲法(ドイツ基本法)を改正したドイツは最低の国家ということになるが、これはドイツ人に失礼な話だ。ドイツ人は聡明だ。少なくとも朝日真理教の信者の類いは一人もいない。だから改憲が冷静に議論される。従軍慰安婦報道もそうだったが朝日新聞は事実よりも主張を優先する。庶民は知恵が足りないから朝日新聞を信じよというスタンスだ。これは2,500年前の言葉である「依らしむべし、知らしむべからず」を地で行くような姿勢だ。この前近代的なエリート意識を改めない限り、朝日新聞に未来は無い。