リタイアした老人は人それぞれに勉強する。好きなことを勉強して構わないが、どうせ学ぶのなら、残りの人生の短さも考慮して、今後の生活に確実に役立つことを学んだほうが良かろう。私は①医学②科学を推す。私の専門ジャンルの哲学や心理学は興味のある人が学べば良い。あるいは語学については、海外への旅行や移住を考えている人以外にはお勧めできない。語学は時間が掛かる割には得るものが少ない。
なぜ医学が一番なのか。それは確実に自分のためになるからだ。医師は病気についての技術者だが健康の専門家ではない。その何よりの証拠は医師の平均寿命が日本人の平均よりも短いということだ。医師は病気の標準治療を知識として持っている技術屋に過ぎず、健康については何も知らない。医師は一部の病気の治療法を知っているだけだ。これは「すき家」の殆んどの店員が栄養学について無知であるのと同じようなものだ。
医学は本来、薬学と栄養学も含めた総合科学だ。そこまで踏み込めば自分の健康のエキスパートになれる。
食と健康について、人は知っているつもりでいる。よく知らなくても知っているつもりでいることが一番危険だ。だから簡単にデマに踊らされる。コゲや食品添加物を必要以上に恐れるのは確かな知識を欠いているからだ。必須アミノ酸や必須脂肪酸の存在も知らないから炭水化物と野菜に偏重した食事を摂って健康を損なう。米とパンが砂糖と同じ澱粉質の塊りに過ぎず他の栄養素を殆んど含まないということさえ知らない。私は白米とパンを典型的ジャンクフードだと考える。マスコミによる商業主義的健康の嘘を見抜き、薬に頼らない真の健康を目指すべきだ。
科学の長所は正確な知識であることだ。実権によって検証された科学であれば数学の次に厳密な学問であり得るだけに無駄にならない。科学の範囲は広すぎるが一番のお勧めは気象学だ。気象について学べば気象庁が発表する情報を深読みできる。気象庁はデータと予報を同列にして発表するが、これは素人を想定した誤った手法であり、この2者は全く異なる。データは事実だが予報はデータに基づいた推測だ。予報は無数にあり得る。予報の蓋然性を理解して最大限に活用するためには自ら気象について知らねばならない。天気図を読めるようになるだけで気象に関する理解は格段に高まる。大袈裟な言い方だが、気象学は命を守る。昨今のように自治体が無責任に避難勧告を乱発すればそれが本当に危険かどうか分からなくなる。気象学を学べば自分にとって必要な天気予測が可能になる。
なぜ医学が一番なのか。それは確実に自分のためになるからだ。医師は病気についての技術者だが健康の専門家ではない。その何よりの証拠は医師の平均寿命が日本人の平均よりも短いということだ。医師は病気の標準治療を知識として持っている技術屋に過ぎず、健康については何も知らない。医師は一部の病気の治療法を知っているだけだ。これは「すき家」の殆んどの店員が栄養学について無知であるのと同じようなものだ。
医学は本来、薬学と栄養学も含めた総合科学だ。そこまで踏み込めば自分の健康のエキスパートになれる。
食と健康について、人は知っているつもりでいる。よく知らなくても知っているつもりでいることが一番危険だ。だから簡単にデマに踊らされる。コゲや食品添加物を必要以上に恐れるのは確かな知識を欠いているからだ。必須アミノ酸や必須脂肪酸の存在も知らないから炭水化物と野菜に偏重した食事を摂って健康を損なう。米とパンが砂糖と同じ澱粉質の塊りに過ぎず他の栄養素を殆んど含まないということさえ知らない。私は白米とパンを典型的ジャンクフードだと考える。マスコミによる商業主義的健康の嘘を見抜き、薬に頼らない真の健康を目指すべきだ。
科学の長所は正確な知識であることだ。実権によって検証された科学であれば数学の次に厳密な学問であり得るだけに無駄にならない。科学の範囲は広すぎるが一番のお勧めは気象学だ。気象について学べば気象庁が発表する情報を深読みできる。気象庁はデータと予報を同列にして発表するが、これは素人を想定した誤った手法であり、この2者は全く異なる。データは事実だが予報はデータに基づいた推測だ。予報は無数にあり得る。予報の蓋然性を理解して最大限に活用するためには自ら気象について知らねばならない。天気図を読めるようになるだけで気象に関する理解は格段に高まる。大袈裟な言い方だが、気象学は命を守る。昨今のように自治体が無責任に避難勧告を乱発すればそれが本当に危険かどうか分からなくなる。気象学を学べば自分にとって必要な天気予測が可能になる。