俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

仕事と育児

2014-10-24 10:24:40 | Weblog
 両親が働きに出てしまえば子供はどうされるだろうか。①祖父母に任せる②託児所に預ける③放置する④家政婦か乳母を雇う。
 3世代同居であれば①が可能だ。父方の祖父母であれば余りいい顔をしないが、マスオさんのような母方の祖父母との同居であればこれが最も望ましい。しかし核家族化が進む現在、母方の祖父母との同居世帯は一体何%を占めることだろうか。昔ならもう1つ選択肢があった。兄・姉による世話だ。兄弟が多ければ兄・姉をリーダーとしたコミュニティが可能だった。兄弟数が少ない現代では殆んど不可能だろう。
 現実的な対応として②が推奨されている。しかしこれが子供の知育・体育・徳育・食育のために良い選択とは到底考えられない。
 最悪の選択が③だ。ペットであればこれも許されるだろうが、乳幼児に対する仕打ちとしては不当だ。多くの事故や事件はこれが原因になっている。
 仕事と育児を両立させたと胸を張る人の殆んどが④だろう。しかしこれを両立と言えるのだろうか。こんなことが可能なのは高所得のエリート女性だけだ。つまり家政婦や乳母を雇う余裕のある人にしか選べない贅沢な選択肢だ。家政婦や乳母よりも遥かに賃金が多い人でなければわざわざ人を雇って家事・育児を任せることなどできない。そんな人が偉そうに「仕事と育児を両立せよ」と言っても納得できない。
 人は自分の経験に基づいて考える。一握りのエリートが自分を模範にさせようとする。もし大金持ちが「物価など多少上がっても構わない」と発言すれば顰蹙を買うだろうが、自称「仕事と育児を両立させた模範的な女性」はそれと同じようなことを恥ずかしげも無く自慢する。これは「パンが無ければお菓子を食べたら良い」と言ったマリー・アントワネットと同じレベルの無知だと思うのだが、なぜか女性は反発しない。もしかしたら女性は彼女らをあちら(男性)側の人と位置付けていてオピニオンリーダーとは認めていないのであって、無知な男性だけがそれに振り回されているのではないだろうか。あるいは男性側がそんな異端の女性を利用しているだけなのかも知れない。超エリートの女性をモデルにした「女性が活躍できる社会」など虚構に過ぎない。大多数の女性が賛同できる男女共存社会が求められるべきだろう。女性にとっての理想が三浦(山口)百恵さんやグレース・ケリー王妃であっても構わないと思う。

仕組み

2014-10-24 09:43:21 | Weblog
 新交通システム「ゆりかもめ」では、足を投げ出して座る人がいなくなったそうだ。どうやってマナーの改善が可能になったのか?それは人に訴えるのではなく座席の形状を変えたからだ。座席の膝側を9度上向けたので客は自然に膝を曲げて行儀良く座るようになったと言う。
 このように、仕組みを変えれば人の行動を変化させることができる。人の理性や感情に訴えるよりも効果的だ。
 医療の現場では酸素・二酸化炭素・麻酔薬の3種類のガスボンベが使われている。稀にだがこれらが取り違えられることがある。当然、重大な医療事故に繋がる。幾ら注意を促してもヒューマンエラーは根絶できない。こんな時、人に働き掛けるよりも道具を見直したほうが有効だ。「高圧ガス保安法」による制約があるが、気体別に色や形を変えたりノズルの形状を変えたりすれば簡単に改善できる。それぞれのボンベが一目で見分けられれば仮に間違えても必ず誰かが気付くし、ノズルの形状が違えば間違ったボンベを差し込めない。
 ディズニーランドには素晴らしい仕組みがある。どこの商業施設でも、従業員による客用施設の使用に頭を痛めている。特に客用通路の使用は絶対に無くならない。ディズニーランドではこんな問題は発生しない。それは最初に一番便利な位置に従業員用通路を作るからだ。これならわざわざ不便な客用通路を使用する従業員は現れない。しかも非常時に急患を搬送する時には、人目に付かず最短距離で運べるというメリットもある。
 人は安楽に流れ、自分の利益を求めるものだ。だからこそそれを防止するための仕組みが必要だ。朝日新聞が虚報を続けたのは、上司や先輩による言論統制を防止する仕組みを持たない人治企業だったからだ。上司や先輩に妨害されるから正しい記事を書けないという末期的状態に陥っていたからこそ32年間に亘って嘘をつき続けるという前代未聞の不祥事になってしまった。
 権力者に好き勝手なことをさせないためには法治国家であらねばならない。法、特に憲法が権力者を規制する。だから権力者による恣意的な解釈を許して死文化した現行憲法など要らない。たとえ今の条文の2倍の長さになっても構わないから、権力者を縛り彼らによる曲解を許さぬ厳格な新憲法を定めるべきだ。このことこそ真の「護憲」であり、従来の護憲を標榜していた勢力は、憲法の精神を蹂躙することに貢献した反民主主義者に過ぎない。