先日の大学入試センター試験で、世界史と数学で正解が2つある設問があったとのことだ。これは問題作成者のミスによるものだが、複数の正解があることは何ら不思議なことではない。それどころかそういう問題を意図的に作るべきだろう。
答が1つしか無い設問や○×式に慣れると頭が硬直化する。例えば今日の昼食をどうするかでさえ無数の選択肢があり得る。間違った選択以外は総て正解だろう。正解は1つと思っているとそれを選べない時に代案を出せなくなる。AかBかではなくAからDまでのように答に幅を持たせることも必要だろう。
ストーカーになる人も頭が硬直化しているのだろう。嫌われた時点で諦めるという選択をできないから付き纏って一層嫌われることになる。
生活上であれ仕事上であれ常に複数の正解がある。ご時勢や天候などを考慮して最適と思われるものを選ぶがそれでなければならない訳ではない。仮に天候に基づいて選択する場合でも天気に基づくか気温に基づくかによって別の答が選ばれ得る。
また一旦下した判断を覆すことがしばしば正しい選択になり得る。アメリカにはこんなクイズ番組があったそうだ。3つの箱の1つだけに景品が入っており挑戦者がどれかをヤマ勘で選ぶと、司会者は残る2つから空箱を1つ開けて見せる。ここで再チャレンジのチャンスが与えられる。再選択すべきかどうか?正解は「再選択をする」だ。当初の箱が当りである確率は1/3だが、再選択した箱が当りである確率は2/3だからだ。実社会においても状況の変化に応じて、当初の計画を変更したほうが良いことが多い。一旦決めたことを金科玉条と思っていれば失敗する。
マニュアルに頼りたがる人がいる。服装やデートプランのような本来自由であるべきことまでマニュアルに従うことが正解だと思っている。こんな人は○×式の試験のせいで思考力を無くしているのだろう。正解が無数にあることを理解させる必要がある。
仕来たりの塊りであるようなテーブルマナーでも臨機応変の対応があり得る。洋食はナイフとフォークを使うものと思っている人が多いが、私は海外でも箸を使う。不器用にナイフとフォークを使うよりも手慣れた箸を使ったほうが見苦しくない。勿論これは私にとっての正解であって、他人に強制する気は全く無い。
1つだけが正解だと考えるから不寛容を生む。一神教信者による他宗教差別や迫害は最悪の事例だが、間違った答が無数にあるように正解も無数にあることを子供の内から教えるべきだろう。○×式に馴染んで脳の機能が低下した人は容易にキリスト教=善、イスラム教=悪、と信じ込む。
答が1つしか無い設問や○×式に慣れると頭が硬直化する。例えば今日の昼食をどうするかでさえ無数の選択肢があり得る。間違った選択以外は総て正解だろう。正解は1つと思っているとそれを選べない時に代案を出せなくなる。AかBかではなくAからDまでのように答に幅を持たせることも必要だろう。
ストーカーになる人も頭が硬直化しているのだろう。嫌われた時点で諦めるという選択をできないから付き纏って一層嫌われることになる。
生活上であれ仕事上であれ常に複数の正解がある。ご時勢や天候などを考慮して最適と思われるものを選ぶがそれでなければならない訳ではない。仮に天候に基づいて選択する場合でも天気に基づくか気温に基づくかによって別の答が選ばれ得る。
また一旦下した判断を覆すことがしばしば正しい選択になり得る。アメリカにはこんなクイズ番組があったそうだ。3つの箱の1つだけに景品が入っており挑戦者がどれかをヤマ勘で選ぶと、司会者は残る2つから空箱を1つ開けて見せる。ここで再チャレンジのチャンスが与えられる。再選択すべきかどうか?正解は「再選択をする」だ。当初の箱が当りである確率は1/3だが、再選択した箱が当りである確率は2/3だからだ。実社会においても状況の変化に応じて、当初の計画を変更したほうが良いことが多い。一旦決めたことを金科玉条と思っていれば失敗する。
マニュアルに頼りたがる人がいる。服装やデートプランのような本来自由であるべきことまでマニュアルに従うことが正解だと思っている。こんな人は○×式の試験のせいで思考力を無くしているのだろう。正解が無数にあることを理解させる必要がある。
仕来たりの塊りであるようなテーブルマナーでも臨機応変の対応があり得る。洋食はナイフとフォークを使うものと思っている人が多いが、私は海外でも箸を使う。不器用にナイフとフォークを使うよりも手慣れた箸を使ったほうが見苦しくない。勿論これは私にとっての正解であって、他人に強制する気は全く無い。
1つだけが正解だと考えるから不寛容を生む。一神教信者による他宗教差別や迫害は最悪の事例だが、間違った答が無数にあるように正解も無数にあることを子供の内から教えるべきだろう。○×式に馴染んで脳の機能が低下した人は容易にキリスト教=善、イスラム教=悪、と信じ込む。