俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

事実と願望

2015-02-16 09:36:37 | Weblog
 事実に敵対するのは願望だ。通常、事実の反対語は虚構だが、虚構を要請するのは願望だ。願望があるからこそ事実を否定して虚構を捏造する。
 死んだ人は生き返らない。この事実を認めたくない人が転生や来世や天国を捏造する。願望に基づく妄想が事実を否定する。
 癌や認知症だけではなく風邪でさえ現時点では治療できない。この事実に背こうとするから無駄な治療をして却って死期を早めたり悪化させたりする。
 従軍慰安婦の強制連行は無かった。朝日新聞はそれまでの嘘を糊塗するために嘘に次ぐ嘘、詭弁に重ねる詭弁という最悪の戦略を選んだ。朝日新聞は嘘をつきたかった訳ではない。過去の過ちを認めたくなかっただけだ。
 膨大な金を注ぎ込んで開発した新薬であれば有効であって欲しいと思うのは当然のことであり、この願望は正当だ。もしかしたら薬効データの捏造は学者が勝手にやったことなのかも知れない。学者がスポンサー企業の期待に応えたいという気持ちは理解できる。彼らがデータに手心を加えたのは事実よりも願望が優先したからだろう。実は統計で嘘をつくことは意外なほど易しい。膨大なデータから都合の良いところだけを抽出すれば勝手な結論に簡単に導ける。統計に基づく資料が出されても鵜呑みにはせずに元データを検証する必要がある。
 人はその人独自の経験しかできない。偏った経験に基づいて歪んだ願望を持つ。歪んだ願望を是正するためには新しい経験を素直に受け止めることが必要だ。過去の経験に基づいて新しい経験を否定するのではなくそれまで知らなかった事実の存在に目覚める必要がある。一神教という歪んだ世界に生まれ育った人には日本人のような無信仰あるいは八百万神(ヤオヨロズノカミ)信仰は考えられないことだろう。それを受け入れれば新しい世界観が生まれる。
 人間は本質的に事実よりも願望を優先するものだ。見たいものしか見ないし聞きたいことしか聞こえない。それどころか、不思議なことに治りたいと思うだけで病気まで治してしまう。偽薬(プラシーボ)は本当の薬の2~8割程度の治療効果があると言われている。だから新薬の効果を測るためには二重盲検法という手法が使われる。この実験では患者だけではなく医師までが偽薬かどうかを知らされていない。そこまでやらないと思いこみだけで偽薬が治療効果を発揮してしまう。このことに付け込んで様々な健康法や健康食品が雨後のタケノコのように現れる。これらは暗示療法あるいは催眠療法とも呼ばれておりしばしば実際に効果を発揮する。治りたいという願望は正当なものだがそのせいで良いものと悪いものの区別が付かなくなるのだから困ったことだ。

自由放任

2015-02-16 08:54:54 | Weblog
 アダム・スミスの言う「神の見えざる手」とは適者生存のことではないだろうか。人であれ組織であれ、それぞれが正しいと思うことをする。それが実際に正しかったかどうかはその時点では分からない。あとから「正しかった」と分かる。
 私は競馬も競輪もやらないので詳しくは知らないが、競馬場には予想屋がいるそうだ。彼らは直前のレースを当てたことを自慢して予想紙を売るらしい。直前のレースを当てることは偶然に過ぎない。様々な予想をすればどれかが当たる。
 斜陽産業と言われ続けている百貨店が存続しているのはそれが「百貨」を扱っているからだ。主力商品を呉服から婦人服、食料品と次々に切り替えていればどれかが売れる。下手な鉄砲も数撃てば当たる、ということだ。
 自由放任であれば人も企業も様々な戦略を選ぶ。それが多様であればあるほどどれかが当たる。
 進化論においてラマルクの用不用説は否定された。幾ら首を伸ばそうと努力してもその特性は個体だけのものであり、獲得形質は遺伝しないのだから目的論では進化を説明できない。ダーウィンは自然淘汰を進化の鍵とした。つまり個々にバラバラに起こる変異がたまたま環境に適していれば多くの子孫が残りその特性を持つ者が栄えるということだ。それどころか禍い転じて福となす、ということまであるようだ。一説によるとキリンの首が長くなったのは感染症が原因だったと言う。奇病によって首が長くなり大半が死滅したが、高血圧という別の病気を併せ持っていた個体だけが生き延びて新しい種になったとのことだ。こうして獲得した異常に長い首を持つキリンは他の動物とは違う高い所の葉を食べることが可能になった。
 未来のことは分からない。為替レートがどうなるかも気候がどう変動するかも分からない。分からない時に必要なことは多様であることだ。選択肢は無数にあるのだから各自が最適と思うことを選んでいればどれかが当たる。同一の対策を選ぶことが最悪だ。当たれば良いが外れれば全滅する。外れて全滅するよりも一部が生き残ったほうが種の繁栄に繋がる。
 セレンディピティという言葉がある。努力していれば思わぬ僥倖が訪れるという意味だがこれは「怪我の功名」の類義語だろう。目的を持って行動することは必要だが、どれが正しかったかは結果が出てから確定する。try and errorとか「やってみなはれ」といった指導が称賛されるのはそれが成功した場合に限られる。やってみて成功するよりも失敗することのほうが遥かに多い。しかしやってみなければ新しい成功はあり得ない。
 多様であることこそ進歩の鍵だ。画一化は最悪の戦略だ。