俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

追い焚き

2015-02-10 10:14:11 | Weblog
 浴槽に追い焚き機能が備わっているのは日本の風呂だけだろう。十数か国を旅行したが追い焚き機能のある風呂に出会ったことが無い。湯がぬるくなったら熱湯を注入して水温を上げる方式ばかりだ。
 追い焚きという機能が必要なのは同じ湯を使い回す日本人だけのやり方なのかも知れない。他人が浸かった湯に入りたくないという気持ちも理解できる。使い切りが当たり前だからこそバブリングのような入浴法があるのだろう。日本の風呂でバブリングをする人は殆んどいないだろう。
 ローマには公衆浴場があったがそこではどうしていただろうか。焼いた石で加熱するのではなく、現代の欧米と同様の注水式だったらしい。3種類の温度の湯を用意してそれを適宜補充していたそうだ。しかし伝染病が広まったことやキリスト教道徳の拡張などによって廃れた。
 日常生活では気付かないが湯船に浸かるという習慣は非常に特殊な日本独自のものらしい。しかしこの全身を温めるという方法はかなり効果的な健康法なのではないだろうか。暑いのは有害でも温まることは有益だろう。
 私個人はこの数年、念に1・2度ぐらいしか入浴していない。毎日泳いだあとでシャワーを浴びるから入浴は面倒だ。清潔という観点ならこれでも良かろうが健康法として考えるなら習慣を改めたほうが良いのかも知れない。
 国内では故障とは無縁のタフな投手だった田中投手やダルビッシュ投手、あるいは藤川投手などがアメリカでは相次いで肩や肘を傷めるのは温浴をしないからではないかと私は考えている。食生活は勿論、様々なことに彼らは気を配っているだろうが、まさか温浴がそれほど有効とは思っていないだろう。
 外国にも温熱療法やカイロプラクティックのように温めることで機能を回復させる療法がある。日本には湯治という民間療法が昔からある。これが有効なのは温泉の成分による化学効果ではなく温浴という物理効果に基づくのではないだろうか。案外このあたりに日本人の長寿の秘訣があるのかも知れない。

試行錯誤

2015-02-10 09:41:58 | Weblog
 問題が発生した時、2つの選択肢からどちらかが選ばれる。何等かの手を打つか、もう少し様子を見るか、だ。対策をしても成功するとは限らない。それまで行われていたことを改めるのだから違った問題が発生するかも知れない。例えば年功序列型の賃金体系を成果主義に変えればその弊害は必ず生じる。
 広く行われているのはむしろ模様見だ。慌ててジタバタするよりも情勢の変化を見てそれから対応しようとする。例えば円高の時に過剰対応した企業は円安の現在、新たな問題を抱え込む。一時的な円高に慌てなかった企業のほうが安定した経営をしている。
 日本人の基本的な意識構造は「台風一過」だ。災害もトラブルも一過性のものであり耐えていれば禍いは立ち去ると考える。しかしこんな意識だから問題の先送りが横行する。国の借金が膨らもうと年金財政が破綻しそうになろうとも対策を講じるよりも先送りを狙う。領土問題も同様だ。先送りによって問題が放置されることになる。
 日本人は正解の無い問題には手を付けたがらない。たとえ90%が解決されても問題が残る限りそれは正解とは見なされない。こうして問題が先送りされる。
 日本史では突然歴史がひっくり返る転換点が何度も現れる。鎌倉幕府の成立や明治維新や織田信長による改革などだ。日本社会は徐々に変わるよりも強権的に変えられることのほうが多い。社会の矛盾が長く放置された末、大変革が起こされる。
 生物の進化は試行錯誤の賜物だ。それぞれが微妙に異なる生物のほんの少しの違いに適者生存というふるいが掛けられることによって多様な動植物が現れた。どの動植物もその環境における最適者だ。大空を飛翔する鳥でさえ試行錯誤の結果生まれたと考えれば試行錯誤には無限の可能性があるように思える。鳥も人も試行錯誤の産物だ。
 変異が進化を生む。護送船団方式によって日本の銀行は弱体化して、それぞれが独自の道を歩んだ自動車業界は繁栄した。
 改革は軋轢を生み易い。改革案の90%以上は改善ではなく改悪に繋がる。国家レベルでの改革は取り返しが付かないことを招くかも知れない。だから大多数の人は改革を嫌い抵抗勢力になる。これではいつまで経っても改善されない。もっと「お試し」があって然るべきだろう。改善になるかどうか分からなければ小規模な実験をすれば良い。例えば救急車の有料化についても不毛な議論で正解を求めるよりもどこかの自治体で実験をして、結果が良ければ徐々に拡大すれば良い。失敗を過度に恐れるべきではない。生物と同様、社会も試行錯誤を通じて進化するものだろう。やってみて失敗すれば元に戻せば済むことだ。エジソン曰く「私は決して失敗などしない。どんな失敗でも成功への一歩になる。」