俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

償えない罪

2015-02-12 10:18:47 | Weblog
 償える罪と償い切れない罪がある。窃盗は償える罪だ。窃盗が許される犯罪とは言わないが2倍ほど返せば被害者も納得してくれるだろう。
 殺人は償えない罪だ。死んだ人を生き返らせることはできないのだから倍返しどころか原状復旧さえできない。被害者の命と加害者の命は等価ではないから死刑になっても釣り合わない。遺族はこの不満を解消するために地獄を捏造する。加害者は地獄の業火で未来永劫焼かれ続けると想像して初めて納得する。しかしこれは事実ではない。妄想に頼った慰めに過ぎない。
 フリーカメラマンがシリヤに渡航しようとしてパスポートを没収された。これは当然のことだろう。カメラマンは命懸けでISIL(イスラム国)に接近して上手く行けば一儲けするつもりだろう。失敗しても自分が死ねば済むことだと考えているのだろう。
 それでは済まないということを理解していないのだから彼はテロリストと同類だ。テロリストは自分の命と引き換えであれば何でも許されると考えている。個人にとって自分の命は最大の担保だ。だから命と引き換えであれば総てが許されると考える。自分の命を以っても償えない罪があるとは考えないが、テロリストの命と犠牲者の命は全く釣り合わない。
 ISILにあっさり殺されればそれで済むが、人質になった時に日本社会が被る迷惑は測り知れない。外務省も政府も本来もっと有意義な活動に使うべき多くの時間や労力が浪費させられる。テレビの視聴者も人質騒動に振り回される。これは何百億円の罰金を支払っても償えない。だから本人は最初から償う気など無い。自分にとって最も大切な命を担保にするのだから総て償えると思っている。
 自由は責任が取れる範囲でのみ許される。責任が取れないレベルになってしまえば「無い袖は振れない」ということになってしまう。
 あの無責任なマスコミも自ら危険地域には立ち寄らない。問題が発生すれば本人だけではなくその上司や会社も責任を問われるからだ。だからフリージャーナリストを利用する。個人であれば個人を超えた責任を問えないので責任逃れができる。
 マスコミの責任逃れのためにフリージャーナリストは使い捨てにされる。その死後には「真のジャーナリストだった」という追悼記事が掲載されて英雄に祭り上げられる。しかしこれは次の手駒を得るための卑劣な罠だ。彼らには罪を犯していると言う意識が無いのだから、罪を償おうとする筈が無い。

使い捨て

2015-02-12 09:39:19 | Weblog
 シリアに渡航しようとしたフリーカメラマンがパスポートを没収された。朝日新聞など一部のメディアはこれを報道の自由に対する侵害と非難しているがこの問題の背景を考える必要がある。
 悪ふざけの映像をネットに投稿する人が後を絶たない。これはそれを喜ぶ人がいるからだ。馬鹿な視聴者がいるからこそ馬鹿な投稿をする。つまり馬鹿な視聴者が馬鹿な投稿を奨励している。
 テレビ番組でも同じことだ。くだらない番組が多いのはくだらない番組を喜ぶ視聴者が多いからだ。視聴率第一で考えるから衆愚に迎合して番組が作られる。
 ここで問われるべきなのはマスコミ側の姿勢だ。視聴者に迎合すべきなのか逆に視聴者を啓蒙すべきなのかが検討されるべきだろう。残念ながら日本のマスコミは質を落としてでも視聴者・読者を増やそうとする。マスコミ人としての誇りは乏しい。
 最近では余り使われないが「トップ屋」という言葉がある。特ダネ狙いの記者のことだ。彼らは多少汚い手を使ってでも他人を出し抜こうとする。この体質が今でもマスコミには残っている。結果良ければ総て良しとする悪しき成果主義だ。
 マスコミは危険な取材を喜ぶ。無謀な記者を英雄扱いする。だからフリージャーナリストは一攫千金あるいは起死回生を目論んで危険地域に集まる。彼らは命懸けで危険地域に赴き特ダネを提供する。フリージャーナリストが死んでも自己責任だ。彼らは勝手に危険地域に行って勝手に死んだことにされる。マスコミには何の責任も無い。
 これがマスコミの狡さだ。自分達は高みの見物を決め込んでフリージャーナリストに危険な業務を押し付ける。誰の指示も指導も無く勝手にやったことだから自己責任だ。これが使い捨ての記者だ。
 フランスでの事情は全く違う。まともな報道機関はこんな危険請負業者を初めから相手にしない。ちゃんと事前に契約して事故を防ぐために充分な計画を練る。つまりフランスでは良識ある報道機関が無謀な取材を抑止しているが、日本のマスコミは逆に危険な取材を歓迎して煽り立てている。一旗揚げようとするフリージャーナリストを使い捨ての駒として利用する。フランスの政府がジャーナリストの渡航禁止措置を必要としないのは報道機関に良識が備わっているからだ。政府を批判する前にマスコミは自分達のダーティビジネスに対する反省が必要だろう。
 大半の事業には下請法が適用される。これは大企業による搾取を防ぐためだ。ところがマスコミは、下請けに当たるフリージャーナリストに危険な仕事を丸投げしている。契約も何も無い出来高払いだ。これを彼らは「自由競争」と称するが悪辣な使い捨てだ。