償える罪と償い切れない罪がある。窃盗は償える罪だ。窃盗が許される犯罪とは言わないが2倍ほど返せば被害者も納得してくれるだろう。
殺人は償えない罪だ。死んだ人を生き返らせることはできないのだから倍返しどころか原状復旧さえできない。被害者の命と加害者の命は等価ではないから死刑になっても釣り合わない。遺族はこの不満を解消するために地獄を捏造する。加害者は地獄の業火で未来永劫焼かれ続けると想像して初めて納得する。しかしこれは事実ではない。妄想に頼った慰めに過ぎない。
フリーカメラマンがシリヤに渡航しようとしてパスポートを没収された。これは当然のことだろう。カメラマンは命懸けでISIL(イスラム国)に接近して上手く行けば一儲けするつもりだろう。失敗しても自分が死ねば済むことだと考えているのだろう。
それでは済まないということを理解していないのだから彼はテロリストと同類だ。テロリストは自分の命と引き換えであれば何でも許されると考えている。個人にとって自分の命は最大の担保だ。だから命と引き換えであれば総てが許されると考える。自分の命を以っても償えない罪があるとは考えないが、テロリストの命と犠牲者の命は全く釣り合わない。
ISILにあっさり殺されればそれで済むが、人質になった時に日本社会が被る迷惑は測り知れない。外務省も政府も本来もっと有意義な活動に使うべき多くの時間や労力が浪費させられる。テレビの視聴者も人質騒動に振り回される。これは何百億円の罰金を支払っても償えない。だから本人は最初から償う気など無い。自分にとって最も大切な命を担保にするのだから総て償えると思っている。
自由は責任が取れる範囲でのみ許される。責任が取れないレベルになってしまえば「無い袖は振れない」ということになってしまう。
あの無責任なマスコミも自ら危険地域には立ち寄らない。問題が発生すれば本人だけではなくその上司や会社も責任を問われるからだ。だからフリージャーナリストを利用する。個人であれば個人を超えた責任を問えないので責任逃れができる。
マスコミの責任逃れのためにフリージャーナリストは使い捨てにされる。その死後には「真のジャーナリストだった」という追悼記事が掲載されて英雄に祭り上げられる。しかしこれは次の手駒を得るための卑劣な罠だ。彼らには罪を犯していると言う意識が無いのだから、罪を償おうとする筈が無い。
殺人は償えない罪だ。死んだ人を生き返らせることはできないのだから倍返しどころか原状復旧さえできない。被害者の命と加害者の命は等価ではないから死刑になっても釣り合わない。遺族はこの不満を解消するために地獄を捏造する。加害者は地獄の業火で未来永劫焼かれ続けると想像して初めて納得する。しかしこれは事実ではない。妄想に頼った慰めに過ぎない。
フリーカメラマンがシリヤに渡航しようとしてパスポートを没収された。これは当然のことだろう。カメラマンは命懸けでISIL(イスラム国)に接近して上手く行けば一儲けするつもりだろう。失敗しても自分が死ねば済むことだと考えているのだろう。
それでは済まないということを理解していないのだから彼はテロリストと同類だ。テロリストは自分の命と引き換えであれば何でも許されると考えている。個人にとって自分の命は最大の担保だ。だから命と引き換えであれば総てが許されると考える。自分の命を以っても償えない罪があるとは考えないが、テロリストの命と犠牲者の命は全く釣り合わない。
ISILにあっさり殺されればそれで済むが、人質になった時に日本社会が被る迷惑は測り知れない。外務省も政府も本来もっと有意義な活動に使うべき多くの時間や労力が浪費させられる。テレビの視聴者も人質騒動に振り回される。これは何百億円の罰金を支払っても償えない。だから本人は最初から償う気など無い。自分にとって最も大切な命を担保にするのだから総て償えると思っている。
自由は責任が取れる範囲でのみ許される。責任が取れないレベルになってしまえば「無い袖は振れない」ということになってしまう。
あの無責任なマスコミも自ら危険地域には立ち寄らない。問題が発生すれば本人だけではなくその上司や会社も責任を問われるからだ。だからフリージャーナリストを利用する。個人であれば個人を超えた責任を問えないので責任逃れができる。
マスコミの責任逃れのためにフリージャーナリストは使い捨てにされる。その死後には「真のジャーナリストだった」という追悼記事が掲載されて英雄に祭り上げられる。しかしこれは次の手駒を得るための卑劣な罠だ。彼らには罪を犯していると言う意識が無いのだから、罪を償おうとする筈が無い。