私は30年来、フィルターの無い煙草を喫っている。こんな煙草を喫っていると通常のフィルター付きの煙草では物足りなく感じて、フィルター付きの煙草を貰えば、若い頃は、フィルターを切り取って喫ったものだった。
女友達とバーに行ってウィスキーのストレートを頼むと「キツくない?」と尋ねられた。私は「僕はキツい酒とキツい煙草とキツい女が好きだ」とジョークで答えた。
フィルターの無い煙草を選ぶのはキツさと安さ以外にこんな事情もあった。当時はフィルター付きの煙草を喫っていたが同僚がこんなことを言った。「喫煙者は狡い。自分はフィルターで濾過した煙を喫って周囲には濾過しない副流煙をバラ撒く」尤もだと思った。それからしばらくしてからフィルターの無い煙草に切り替えた。
友人の内科医が煙草をやめた。理由を尋ねたところ「解剖した遺体の肺を見てゾッとした。タールまみれになっていたからだ」と答えた。私は彼に倣って禁煙はしなかったが、タールまみれの肺になることが怖くなって使い捨てのフィルターを使うようになった。
先日びっくりする記事を読んだ。ヘビースモーカーでもある解剖学者の養老孟司氏がこう言った。「僕が解剖した人(の肺)はみんな真っ黒だった。」つまり煙草を喫おうが喫うまいが、排気ガス等によって日本人の肺はススまみれになっているということだ。友人の医師は真っ黒な肺を見ててっきり煙草が原因だと思い込んだが、喫煙とは関係無く、日本人の肺はススまみれになっているようだ。
養老氏のように、煙草は肺癌の原因にはならないとまでは言わないが、コールタールや排気ガスなどとは違って、煙草の煙によって癌に罹らせる動物実験は未だ成功していないらしい。
有害と言われている煙草を他人に勧める気は全く無いが、私にとっては気分転換に役立っている煙草をやめる気は全く無い。禁煙すれば気分転換ができなくなって却って精神衛生上悪いだろう。身体の健康には悪くても精神の健康に役立つなら決して無駄ではあるまい。大体この歳まで喫ったのだから今更やめても手遅れだろう。喫煙者として肩身の狭い思いをすればするほど差別される側の少数者の気持ちも理解できるようになる。
女友達とバーに行ってウィスキーのストレートを頼むと「キツくない?」と尋ねられた。私は「僕はキツい酒とキツい煙草とキツい女が好きだ」とジョークで答えた。
フィルターの無い煙草を選ぶのはキツさと安さ以外にこんな事情もあった。当時はフィルター付きの煙草を喫っていたが同僚がこんなことを言った。「喫煙者は狡い。自分はフィルターで濾過した煙を喫って周囲には濾過しない副流煙をバラ撒く」尤もだと思った。それからしばらくしてからフィルターの無い煙草に切り替えた。
友人の内科医が煙草をやめた。理由を尋ねたところ「解剖した遺体の肺を見てゾッとした。タールまみれになっていたからだ」と答えた。私は彼に倣って禁煙はしなかったが、タールまみれの肺になることが怖くなって使い捨てのフィルターを使うようになった。
先日びっくりする記事を読んだ。ヘビースモーカーでもある解剖学者の養老孟司氏がこう言った。「僕が解剖した人(の肺)はみんな真っ黒だった。」つまり煙草を喫おうが喫うまいが、排気ガス等によって日本人の肺はススまみれになっているということだ。友人の医師は真っ黒な肺を見ててっきり煙草が原因だと思い込んだが、喫煙とは関係無く、日本人の肺はススまみれになっているようだ。
養老氏のように、煙草は肺癌の原因にはならないとまでは言わないが、コールタールや排気ガスなどとは違って、煙草の煙によって癌に罹らせる動物実験は未だ成功していないらしい。
有害と言われている煙草を他人に勧める気は全く無いが、私にとっては気分転換に役立っている煙草をやめる気は全く無い。禁煙すれば気分転換ができなくなって却って精神衛生上悪いだろう。身体の健康には悪くても精神の健康に役立つなら決して無駄ではあるまい。大体この歳まで喫ったのだから今更やめても手遅れだろう。喫煙者として肩身の狭い思いをすればするほど差別される側の少数者の気持ちも理解できるようになる。