俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

独居

2016-01-16 10:28:58 | Weblog
 昔から「人は一人では生きられない」と言う。しかし男性の生涯未婚率は2割ほどを占めるそうだ。私もその一人だが未婚ではなく非婚だと思っている。
 リゾート地で会う外国人に独身であることを告げると彼らは一様に「羨ましい」と言う。これが本音なのか独身者に対するマナーなのかはよく分からない。更に「なぜ結婚しないのか」と問われれば「相手にされないから」と答えて大笑いする。
 私だってロビンソン・クルーソーのような生活などしたくない。しかし日本にいてお金と健康があれば一人暮らしは快適だ。逆に、誰かと同居すれば5つの自由を失う。①行動②金銭③交際④時間⑤責任の5つだ。
 ①行動・・・群居動物である人類は本能的に相手との協調を図る。協調を重視すれば自分のやりたいことが分からなくなりできなくなる。このことは優し過ぎる日本人にはあり勝ちなことだ。
 ②金銭・・・稼いだお金は自分のものだろう。これは自分の体の次に確実なことだ。しかし伴侶もまた所有権を主張する。無駄遣いの多い妻に耐えることは難しく、その一方で自分にとって価値ある出費が否定されることは悔しい。
 ③交際・・・結婚とは究極の売春形態だと思っている。その対価は全財産であり、しかも他の女性との交遊まで禁じられる。これでは投資と報酬が全く釣り合っていない。
 ④時間・・・退職後に大阪で独居している間、好きな時刻に寝て好きな時刻に起きていた。とは言え、無茶苦茶な生活ではない。12時頃に寝て、新聞が配達される5時半から7時頃に自然に目覚めた。多少早く目覚めてもそれが自然覚醒である限り睡眠時間不足にはならない。自分にとっては体内時計のほうがクォーツよりも正確な時計だ。
 一人であれば目覚めた時が朝食タイムになる。それが何時であっても構わない。これは意外に快適で合理的な生活だ。同居者がいれば相手に会わさねばならない。これは結構不合理で不健康なことだ。私は待ち時間を潰すために水と煙草に頼るがこれによって胃を傷め勝ちだ。
 ⑤責任・・・二人になれば責任は2倍になる。鬱陶しい親戚付き合いも冠婚葬祭も2倍になる。煩わしいだけだ。これに更に子供絡みの付き合いまで増えるかも知れない。
 独居をすれば不便なこともあるがそれを大幅に上回るメリットがあるだろう。現代は独居者にとってこそ便利で快適に作られた社会だ。

原因不明

2016-01-16 09:43:01 | Weblog
 もし3人が同じ病気か怪我で、それぞれが医療機関、祈祷師、放置という3種類の対応を選んだとする。救急医療でなければこの3者に差は無かろう。救急医療だけは西洋医学が際立っている。それは西洋医学の原点が戦場での医療だったからだ。その反面、対感染症以外の日常医療のレベルは高くない。
 これらの3者に差が生じないのはどれも自然治癒力に頼っているからだ。祈祷は勿論のこと医療にも治療力は無い。せいぜいプラシーボ効果ぐらいしか無い。もし風邪であれば、多分放置することが最善だ。医師は有害な対症療法薬を処方するし、祈祷師は無意味な儀式を強要するからだ。
 放っておいても治るという事実を医師や祈祷師は隠蔽しようとする。医術や霊力によってのみ病は治療されるという迷信を拡散することが彼らの最も重要な仕事だ。私が子供の頃は「傷なんか唾をつけているおけば治る」と言ったものだが、当時のほうが今よりも「科学的」だった。
 原因不明とされている病気の多くは本当に不明なのではなく、原因を特定できないということだろう。逆に最も分かり易いのは感染症と欠乏症であり、О-157に感染すれば食中毒を起こし、ビタミンB1が足りなければ脚気に罹る。医療は原因が特定されれば有効だが曖昧であれば殆んど無力だ。
 複雑な数式であってもそれを因数分解して(X-1)の積であることが分かれば、それ以外がどれほど複雑であってもX=1で解ける。決定的な原因が分かれば他の要因を無視できる。
 しかし複雑な要因に基づく事象をたった1つの要因に還元することはできない。例えばミサイルの軌道は、発射速度、角度、引力、空気抵抗などをそれぞれ積み上げなば分からない。複雑な要因に基づく事象を特定の単純な要因だけに基づいて算出しても不正確になる。複雑な要因を無理やり単純化することは偽科学だ。
 生活習慣病の原因は様々だろう。原因が異なれば対処も変わる筈だが標準治療(ガイドライン)では1つの病名に対して1つの治療が勧められ、それは検査数値を下げることだ。例外は糖尿病であり、Ⅰ型とⅡ型に分けられて違った治療方針が定められている。
 似た症状であれば同一の病気とされ画一的な治療が施されるが、因果性が確定されていない時点でのこんな対応は不適切だ。原因が異なれば対応も異なるべきであり、画一的な対応はそれがその場凌ぎに過ぎないことの証明だろう。
 原因が分からない場合は試行錯誤のほうが望ましい。運が良ければマグレ当りをするかも知れない。ガイドラインに基づく医療は治療を放棄するようなものだ。こんないい加減な医療が滅びないのは殆んどの病気が自然治癒力で治っているのにそれを医療の成果と思い込ませることに成功しているからだ。怪しげな民間療法が滅びないのも同じ事情に基づく。