俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

教師

2016-01-28 10:40:50 | Weblog
 日本の教師に共通する欠点は「世間知らず」であることだ。大学を卒業してからすぐに教師になる人が殆んどだから学校という最も閉鎖された社会しか知らない特殊な人ばかりが集まり極端に視野が狭い。相手の職業を知らずに話をしていても、教師と警察官だけはまるで別世界の住民のような雰囲気があるからすぐに識別できる。だから少なからぬ生徒が教師を半人前の人間として軽蔑している。こんな教師に指導される生徒は可哀想だ。画一的な教師に教えられたら画一的な生徒にされてしまう。アメリカの教師の8割が他の職業の経験者だそうだ。アメリカの教育の多様性を讃える人がいるがそれ以上に評価されるべきなのは教師の多様性だろう。
 教師になるために1年以上学校以外で働くことを義務付けてはどうだろうか。1年以上民間企業で働くというキャリアを義務付ければ教師は随分多様化するだろう。温室で純粋培養された人に教師は勤まらない。
 しかしこんな制度は不可能だろう。職業選択の自由を奪うとして否定されるだろう。教職希望者に他の仕事での経験を義務付けるよりも他の仕事を全うした人を雇用するほうが現実的だろう。
 民間企業を定年退職した人の中には学識豊かな人が少なくない。海外勤務が長くて生きた外国語を使いこなせる教師など皆無だがこんな人材が民間にはゴロゴロいる。こんな人材を活用しない手はなかろう。学識も社会経験も豊富であれば理想的な教師だろう。しかも彼らは一度リタイアした立場だから低賃金で雇用できる。教師の質を高め同時に人件費を減らすことが可能になる。
 私は決して教師をシルバービジネスにしたい訳ではない。私が求めるのは、底の浅い人間が大半を占める教師の質の底上げであり教師の多様化だ。私の同級生に限れば教職に就いた人は大半が常識的で面白味の無い人々であり、一般企業に就職した人のほうがずっと多様で才能に満ちている。現状の画一的な教師の目から鱗を落とさせるような全く違った人材が教育の現場には必要だろう。
 まず試してみるべきだろう。成功すると私は考えるが、何かと理屈を付けて現状維持を図ろうとする教育関係者は少なくなかろう。こんな時こそ実験の精神が生きる。上手く機能すれば拡充すれば良いし上手く行かなければ縮小・廃止をすれば済むことだ。現状を見直さなければ現状を維持することさえできず必ず劣化する。

性同一性障害

2016-01-28 09:52:12 | Weblog
 「俺はゴリラだ」と主張する狂人にゴリラの肉体を与えることは正当だろうか。性同一性障害の患者に性転換手術を施すことはこれと同じ愚行ではないだろうか?
 現実を否定することはできない。万物は落下するし陽はまた昇る。絶対的な現実を受け入れられないのは何らかの精神障害だろう。「落下しない石がある」とか「俺は人ではなくゴリラだ」と強硬に主張する人がいれば99%確実に統合失調症患者だろう。
 様々な性的倒錯がありその原因は後天的な心的外傷(トラウマ)だ。これらは治療を要する障害だと思うのだがなぜかマスコミと政治家は同性愛と性同一性障害だけは正常と評価したがる。最も奇妙なことは性転換手術をして女性のような体を持った男性に女性としての権利を持たせようとすることだ。たかが外科手術によって性が変わり得るものだろうか。
 老人でも入学すれば大学生になれるし入社できれば正規雇用労働者にもなれる。50歳の人が30歳の人の養子になっても構わない。社会的な役割はどうにでも変更できる。私は同性婚も構わないと考える。但しこれは明らかに憲法違反だからそのためには憲法改正が必要だ。
 しかし人は老人になることはできない。整形手術や化粧によって老人らしくなっても老人ではないから年金は受給できない。同様に小柄な人が整形手術を受けても子供にはなれない。勿論、男が女になれる訳ではないし、実際、整形手術によって可能なのはそれらしき外見だけであり女としての能力は何1つ持っていない。もし脳の移植をすれば女性の肉体を持つ男性と言えるが今のところそんな技術は無い。
 整形手術による人工女性に女性としての権利はあり得ない。贋物は絶対に本物になれない。人工老人に老人としての権利が無いように人工女性に女性としての権利は無い。これらは当たり前のことだろう。社会的な役割とは違って、性や年齢あるいは人間であることは否定不可能な現実だ。正常な人であれば受け入れざるを得ない絶対的な現実だ。
 人は整形手術によって別のものになることはできない。異性にも老人にも子供にもゴリラにもなれない。似た外見を持つだけだ。こんな単純なことをなぜマスコミは否定するのだろうか。彼らには外見で差別する癖が骨の髄まで染み込んでいるのだろうか。ドラマの配役を本人と混同するように女の外見さえあれば女性としての権利があると考えるのだろうか。ゴリラの外見を持った人がゴリラではないように女の外見を持った男も女ではない。
 性同一性障害特例法が制定されたのは平成12年のことだが早々と見直しても良いと私は考える。性同一性障害とされている人の大半はその人独自の個性ではなく精神障害だろう。精神障害者の妄想を後押しする必要などあるまい。