俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

負の負担

2010-03-19 15:48:22 | Weblog
 会費を集めた宴会の会費が余った場合、良心的な幹事ならメンバー全員に還元する。しかしメンバーの一部による二次会に使ったり自分へのご褒美に使ってしまうこともあるだろう。
 もし金が足りなかった場合、メンバーからの非難に耐えて追加徴収をすることになるだろう。幹事一人が犠牲になることは滅多に無かろう。
 バブル崩壊までの日本は前者だった。経済が成長していたから税収は豊富にあり、権力者の間で余剰金が分配された。
 バブル崩壊後は後者だ。不足した金は国民から広く徴収することになる。今のところ国債で誤魔化しているがいずれは増税となる。
 注意して欲しいのは、余剰の場合は少数者で分配するが、不足の場合は多数者に負担を圧し付けるということだ。好景気の間、政官財は利益を山分けして、不況になれば国民に追加負担を迫る。何とも不公平な話だとは思うがどうにもならない。できるだけ負担が公平になるよう国民が見張るしか無い。あるいは追加負担を圧し付けられる前に海外に逃げ出すか・・・

EU

2010-03-19 15:34:05 | Weblog
 昨日、大西洋・地中海のクロマグロの輸出を禁止する案が否決された。日本では可決を危惧する声が聞かれたが、私はEUとアメリカ以外は1国も賛成しないのではないかと思っていた。
 EUとその他の国では「輸出」の意味が違う。EU域内での取引は輸出入には当たらないからだ。つまりEUは幾ら輸出入を規制しても域内取引は自由であり、EU以外の貿易だけが禁止される。こんな不公平な仕組みは無い。
 EUは輸出規制をすることで域内取引を活発化し、域外の取引を抑制する。つまり域外諸国の経済を停滞させてEUの一人勝ちを狙える立場にある。
 ずる賢い欧米人は今回のクロマグロ禁輸を通じて「PIGS(ポルトガル、イタリヤ、ギリシャ、スペイン)」の救済を狙ったのではないだろうか。勿論クロマグロだけでPIGSを救済できる訳ではない。クロマグロを足掛かりにして次々と禁輸品目を増やしてEUとアメリカによる覇権とアジア・アフリカ・南米諸国の停滞を狙ったと考えるのは極東のアジア人の僻みだろうか。
 日本のマスコミは「マグロが値上がりする」と感情的に騒ぐだけでEUのエゴイズムと論理的矛盾を指摘する声は全く聞かれなかった。残念なことだ。

味覚の違い

2010-03-16 15:59:50 | Weblog
 色盲を異状者ではなく少数者と捕らえようとしたことがある。多数者とは違った色を感じるということは決して異状ではなく単なる「少数者」とも考え得る。しかし赤と緑という全く波長の異なる色を識別できないということはやはり異状なのだと考えざるを得ない。
 味盲ならばたたの少数者と捕らえ得る。フェニルチオカルバミドという物質を苦いと感じないだけであり機能障害とは思えない。
 舌で感じる味覚は「甘味、塩味、酸味、苦味、旨味」の5つとされている。辛味は味覚ではなく痛覚に近く、人間以外の動物はこの味を好まない。
 旨味の知覚に関しては人種によって差があるようだ。味の素はアジアでは必需品だが欧米では余り高く評価されていない。これは食文化の差ではなく味覚そのものが違っていると思われる。 
 日本人が思っている以上にアジア人は味の素が好きだ。タイのレストランでテーブルの上に見慣れぬ調味料があり何かと思って舐めてみたら味の素だった。インドネシアでは「味の素に豚が使われている」と騒動になったのはそれだけ万人に広く使われているからだろう。欧米でアジア人以外に味の素が普及しないのは旨味を感じる人が少ないからだろう。

ぶれ

2010-03-16 15:46:37 | Weblog
 鳩山首相や麻生前首相のような立場の人がぶれるのは困りものだが、一般人の場合はぶれたほうが良い。朝令暮改でも構わない。
 英国の詩人のウィリアム・グレイクは「意見を変えない人は溜まり水のようなものだ。心が腐る」と言ったが、聞く耳を持たない頑固者は本当に迷惑この上無い。
 なぜ彼らは意見を変えないのだろうか。間違った考えなど捨てて正しい考えを採用したほうがずっと良い人生を送れるのにみすみすそのチャンスを放棄している。勿体ないことだ。
 私は言い負かされることが大好きなのでディベートや理論武装などを全く評価しない。必要なのはコミュニケーション力だ。なぜそう考えるのかを腹蔵無く話し合うことが重要であり、議論を通じてお互いが賢くなれる。
 但し、政治家の場合は違う。有権者は政治家の公約を信じて投票するのだから、公約を破ることは背任行為であり詐偽に等しい。民主党がマニフェストに掲げた国家公務員の人件費の2割削減は困難な目標でありかつやるべきことではないと思っている。しかしこれを公約した以上は責任がある。間違いと認めるならはっきり撤回すべきであり、有耶無耶にして放置することは許されない。増してやまやかしの法人化による人件費削減などは絶対に認められない。

非常識

2010-03-16 15:34:27 | Weblog
 私は非・常識的に生きようと心掛けている。
 この「非・常識的」という言葉も常識的な言葉ではない。「非常識」という言葉が間違った意味で使われて定着してしまっているから造語をせざるを得ない。
 通常「非常識」は「常識が無いこと」の意味で使われるが、これは「無常識」あるいは「不常識」と言うべきだろう。「非常識」は本来「常識を備えていながら敢えてそれに背くこと」を指すべきだ。このことは非情と無情や非人情と不人情の関係と同じだ。
 常識に従うことは安楽な生活を約束する。常識的に行動するなら少なくとも非難されることは無い。常識は便利なツールであり、私は常識を無視しようなどとは思わない。しかし常識にはしばしば嘘が混じっている。
 祟りとか呪いを信じる人は今では少数派だが昔はこれは常識だった。1960年には子供でさえ「安保反対」と言っていたが今では議論さえされない。多数者が信じている誤った思い込みに呑み込まれないためには、常識とされていることが本当に正しいかを一々検証する必要がある。これは面倒なことだし多くは徒労に終わる。それでも誕生から死までをベルトコンベヤーの上で暮らさないためには欠かせないことだ。

善き意志

2010-03-12 16:06:25 | Weblog
 善き意志は迷惑だ。本人は良かれと思っている分、余計にタチが悪い。善き意志は必ずしも良い結果をもたらさない。善き意志は時には全く独り善がりなものでさえあり得る。
 オウム真理教の狂信者がその典型だ。彼らは決して社会を転覆させようとしてテロに及んだ訳ではない。ゴータマ・シッダールタやイエス・キリストあるいは孔子の弟子のように人類の救済と信じて彼らは行動した。大きな違いは彼らが信じた教祖・麻原彰晃が聖人ではなく狂人だったということだけだ。
 もし善き意志を評価するならオウムの信者を断罪できない。彼らの意志は人類の救済という崇高な善き意志だったからだ。結果に注目して初めて彼らを否定できる。
 因みに私はオウムによる地下鉄サリン事件の実行犯を死刑とする判決には全く賛成できない。これは戦場で敵兵を殺した兵士を死刑にするようなものだ。罪は実行者ではなくそれを命じた教祖にある。但しこの教祖は明らかに狂人なので死刑にはできない。そうすると地下鉄サリン事件で死刑囚が出ないという不合理なことになるが、冷静に考えればこう結論せざるを得ない。

同情

2010-03-12 15:53:21 | Weblog
 同情を賞賛する人は、実は同情心の乏しい人ではないだろうか。
 同情は非常に有害な感情だ。生きることを辛くさせる。自分一人が生きることでさえ辛い人が他人の不幸にまで同情すればこの世は不幸だらけと感じられ、「生きるに値しない」とさえ結論付けるのではないだろうか。
 同情心の強い人は深く傷付く。そんな現実を否定したくなる。現実から逃避して理念の世界に生きたくなってしまう。一方、同情心の乏しい人は傷付くことも無く、同情している自分を誇りに思う。私はこんなに優しいと感じて優越感を持つ。こんな人が同情を高尚な感情として褒め称えているのではないだろうか。
 高く評価されるべきなのは同情ではなく「共歓」だろう。「蛇でも相手が痛がると知っているから咬む」(ニーチェ)のに対して、他者の歓びを感じ取ることは高度な精神性を必要とする。少なくとも蛇にはできないことだ。単純に頻度を比較するなら、歓びよりも苦痛のほうが遥かに多く、人生は苦痛に満ちている。それだけに自分の歓びだけではなく他人の歓びまで共歓できれば人生はずっと歓びに満ちたものとなり得る。

本性

2010-03-12 15:36:55 | Weblog
 人間に普遍的に備わっている性質を「本性」と呼ぶのは根本的に間違っている。それは人間の最も原始的な性質に過ぎない。
 人間の脳は多層構造になっている。一番奥には原始動物の脳があり、その上に爬虫類の脳、更に上に哺乳類の脳、そして一番上には人類の脳が乗っかっている。一番高尚な層に注目せず、一番低劣な部分を「本性」と呼んで一体どんな意味があるのだろうか。低次な脳ではなく高次な脳の最も優れた働きこそ「本性」の名に相応しい。
 優れた特性に注目せず愚劣な属性を根拠にして「人間なんて所詮こんなものだ」などとしたり顔で話す人は人間一般ではなく彼本人の愚劣性を証明しているに過ぎない。
 低レベルなものは普遍的に共有され得るが、高レベルなものは決して多くの人には共有されない独自のものとなる。例えば私は自分の「徳」を他者と共有しようとは思わない。私自身が磨き上げた私独自の徳でありこれこそが私の「本性」だ。
 人類に普遍的に共有される性質とされるものは最も低レベルなものに過ぎず、決して本質的な特性ではない。人類の素晴らしさはその可能性を最大限に生かした卓越した少数者によって体現され得る。最低レベルを本質と考えるのは誤りだ。

格安チケット

2010-03-09 16:12:38 | Weblog
 株主優待券が格安チケット店に出回り易いことは誰にも理解できる。配当や株価の上昇を期待してその株を持っている株主にとって株主優待券はオマケのようなものだ。また優待券の市場価格が高ければ自分で使うよりもチケット店に売ったほうが得だ。例えばJR西日本の株主優待券の特典は半額割引だが、運賃が9,000円以上かかる旅行や出張の予定が無ければチケット店に4,500円で売ったほうが得だ。
 チケット店では株主優待券以外に必ず新幹線の回数券が売られている。余程の事情が無ければわざわざ買ったチケットを売る人はいない筈だから、その店が回数券を買ってばら売りしているのだと思っていた。しかしどうやら売っている人が少なくないらしい。
 法人税を納めたくない中小企業は様々な脱税策を行う。その手口の1つとして交通費の水増しという方法がある。企業の利益相当額で新幹線の回数券を買ってそれをチケット店に売れば裏金にできる。つまり回数券の代金を出張旅費として計上すれば経常利益額をゼロにして法人税を免れることができる。回数券の売却代金はまるまるポケットマネーになる。
 こんな手口を使われたら幾ら税務署でも脱税の立証は困難だ。

陽性

2010-03-09 15:56:57 | Weblog
 精度90%の検査で陽性と判定された人は90%の確率で病気なのだと思うだろう。私も最近までそう思っていた。ここに統計のマジックがあった。
 仮に2%の人が実際に感染していて被験者が1,000人だったとする。感染者は20人、非感染者は980人となる。
 感染者20人に対する検査では18人が陽性、2人が陰性と判定される。
 一方、非感染者980人に対する検査では98人が陽性で882人が陰性と判定される。
 その結果はどうなるか。陽性反応の116人(18人+98人)中、本当の感染者は僅か18人(15.5%)でしかない。精度90%の筈の検査なのに陽性反応者の僅か15.5%しか本当の感染者がいないということになる。
 もし1%しか感染者がいない場合はもっと酷いことになる。陽性反応者の108人中9人(8.3%)だけが本当の感染者になってしまう。精度90%ではなく誤度90%だ。(試算してみて下さい。)
 私自身「肺ガンの疑い」と間違って診断され、精神的・時間的・金銭的に損害を蒙ったことがある。もし難病と診断されても、それが珍しい病気であればあるほど誤診の可能性は高いのだから、諦めず積極的にセカンドオピニオンを求める必要がある。