卵が先か鶏が先かのような不毛な議論をするつもりは無いが、善と悪に関しては悪が先行すると思われる。つまり善の否定が悪であるのではなく、悪の否定として善が成立すると思う。
悪いことがあり得るからそれを予防あるいは減少させることが「善」とされる。暴力があるから非暴力が善いことであり、飲酒運転事故があるから飲酒運転をしないことが善いこととされる。
これは決して善悪に限ったことではない。あらゆる「良いこと」は「悪いこと」の否定として最も正確に説明できる。健康とは何か、病気や障害が無いことだ。若さとは何か、老化していないということだ。マナーとは何か、周囲に迷惑をかけないということだ。生とは何か、死んでいないということだ。安全とは何か、危険でないということだ。平和とは何か、戦争中でないということだ。このように「良いこと」は「悪いこと」の否定によってこそ定義が可能になる。「無事」こそ「良いこと」を意味する。
善がこんな消極的な概念ならばそれを大上段に振りかぶった議論が破綻するのは当然のことだ。
悪いことがあり得るからそれを予防あるいは減少させることが「善」とされる。暴力があるから非暴力が善いことであり、飲酒運転事故があるから飲酒運転をしないことが善いこととされる。
これは決して善悪に限ったことではない。あらゆる「良いこと」は「悪いこと」の否定として最も正確に説明できる。健康とは何か、病気や障害が無いことだ。若さとは何か、老化していないということだ。マナーとは何か、周囲に迷惑をかけないということだ。生とは何か、死んでいないということだ。安全とは何か、危険でないということだ。平和とは何か、戦争中でないということだ。このように「良いこと」は「悪いこと」の否定によってこそ定義が可能になる。「無事」こそ「良いこと」を意味する。
善がこんな消極的な概念ならばそれを大上段に振りかぶった議論が破綻するのは当然のことだ。