俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

死刑執行

2010-04-20 16:00:45 | Weblog
 19歳の時に連続射殺事件を起こした永山則夫死刑囚に対する処刑は凄惨だったらしい。
 当然のことだがこの件に関する公式記録は無い。死刑に立ち会った刑務官による手記も公表されていない。少なくとも私は読んでいない。従ってこれはあくまで伝聞でしかない。
 面会だ、と騙されて独房を出た永山は途中で面会所ではなく処刑場に向かっていることに気付き凄まじい抵抗をした。何しろ命懸けなのだから、まるで猛獣のように暴れたらしい。
 腕を捕まれても足と歯がある。吠える喚く噛み付く。文字道り「必死」なのだから火事場の馬鹿力を出して大立ち回りをする。武道の有段者の刑務官が総出でも抑えられない。しかし刑務官は死刑を執行せねばならない。それが仕事なのだから。
 その結果、どうなったか。おとなしくさせるしか無かった。つまり総出で殴る蹴る投げ飛ばすとあらゆる暴行を加えて失神させた。哀れ満身創痍の永山は意識喪失の状態で絞首台へと運ばれたそうだ。もしかしたら既に撲殺されていたかも知れない。
 多分これは特異な事例ではなかろう。死刑囚が従順に絞首台に向かうとは思えない。多くの死刑囚は必死で抵抗して袋叩きに会っているのだろう。これは残虐な刑罰ではないのだろうか。絞首刑だけではなく、予告無しの毒殺という安楽死も検討すべきだろう。

死後

2010-04-20 15:48:02 | Weblog
 古代ギリシャの哲学者エピクロスは「私が存在する間は死は存在せず、死が存在する時には私は存在しない。従って死は私の問題ではない。」と説いて死を恐れる必要はないと言ったが詭弁でしかない。死んだ後には確かに私はそこにはいないが、死ぬ瞬間まで私はそこにいる。
 死ぬのは生きている人だけだ。死んだ人にできることは死んだままでいることだけだ。従って死は生きている人の問題だ。
 退職ということを考えてみよう。退職できるのは就職している人だけだ。就職していない人は退職できない。従って退職は就職している人の問題だ。
 離婚についても同じことが言える。結婚している人だけが離婚できる。離婚について悩むのは結婚している人だけだ。
 死は個人の最後の行為だ。死ぬことでその個人は永遠に消滅する。しかし恐れる必要は無い。百年前の状態に戻るだけだ。死後とは自分の生まれる前と同じようなものだ。誰が自分の生まれる前のことを恐れるだろうか。
 個人だけではなく人類そのものも戦争か天変地異でいずれは絶滅する。人類が滅んだあとも宇宙は何事も無かったかのように存続する。百万年前に戻ったようなものだ。

痴漢対策

2010-04-16 15:58:22 | Weblog
 昨日(15日)、NHKの9時のニュースで痴漢対策が採り上げられていた。その中で紹介された、痴漢の手を摑んだら下へ引っ張るという対策は素晴らしいと思った。女性の力は弱い。痴漢の手を持ち上げようとすれば振り切られる可能性が高い。しかし下げる場合、捕まえた手に体重を掛ければ良い。かなりの力が働くので痴漢はよろける。犯人は一目瞭然だ。この素晴らしい対策をもっと広めて欲しい。
 ところでなぜ春には痴漢が増えるのだろうか。4つの理由が考えられる。
 ①男の性欲はなぜか春になると高まる。
 ②女性が薄着になる。
 ③新しい顔ぶれが揃うので新鮮。
 ④新入学・新入社の人が加わるので電車が混む。
 ①~③については如何ともし難い。対策が打てるとすれば④だけだろう。特に大学生は4月だけは朝から真面目に出席するのだから、4月さえ乗り切れば朝の混雑は緩和される。
 4月だけの臨時ダイヤを組むことは難しそうだが、朝の連結車両数を増やすことぐらいならできそうだ。あるいは男性専用車を導入してはどうだろうか。痴漢の冤罪を避けたい人は喜んで利用するだろう。まさかホモの溜り場になるということは無かろう。

出来損ない

2010-04-16 15:46:38 | Weblog
 道具は目的を持って作られる。従って目的に適わない物は出来損ないと評価される。傾いた机やブレーキの利かない自動車は欠陥品だ。
 自然物は目的を持たない。従って出来損ないの川とか虫とかいった概念は意味を持たない。どんな奇妙な形の山であろうと魚であろうと出来損ないではない。総て自然なモノだ。
 家畜の場合は違う。なぜなら所有者が何らかの目的を持っているからだ。卵を産まない雌鳥やガリガリに痩せた豚は出来損ないとして処分される。
 ペットの場合は微妙だ。異様に小さい犬とか白いカナリヤに対して多くの人は不満を持つ。しかしその一方で珍しさゆえに評価する人もいよう。
 では人間の場合は?仮に目的を持って生まれるなら出来損ないという概念が成立し得る。しかし一体誰が、どんな目的を持つのだろうか?宗教が崩壊した日本においては普遍的な目標など無いのだから出来損ないという言葉は意味を持たない筈だ。
 しかし親が何らかの目的を持つなら、親によって出来損ないと評価される子供はあり得る。但しこのように評価される子供は親の所有物であり家畜に近い位置付けになっているように思える。

自由と規則

2010-04-16 15:34:41 | Weblog
 自由と規則は対立する概念と捕らえられ勝ちだ。しかし規則が無ければ不自由を強いられることになる。
 車両の左側通行という規則を考えれば明白だ。もし左側通行という規則が無ければ道路は大混乱に陥る。渋滞を招くし事故も多発する。つまり左側通行という規則が守られないと安全に快適に運転するという「自由」が失われて却って不自由になる。
 自転車が歩道を我が物顔で走れば歩行者の自由は失われる。歩行者は正面から突っ込んで来る自転車を避け、後ろから追突して来る自転車に脅えながら歩かねばならなくなる。自転車が規則(道路交通法)を守らなければ歩行者の自由は奪われる。
 規則を自由の対立概念と考えるから「交通マナーを守りましょう」などといった変な標語が作られる。守るべきものはマナーではなく規則だ。「交通ルールを守れ」で良い。規則は自由と矛盾しない。それどころか自由のためには規則は不可欠だ。究極の自由放任状態である万人の万人に対する闘争といった弱肉強食の社会など誰も望みはしない。自由は規則を要する。最低限の規則が無ければ自由は失われる。

教育

2010-04-13 16:14:27 | Weblog
 教育に過大な期待をすべきではない。教育とは所詮、社会に適応できる人間を大量生産するシステムに過ぎない。社会に適応できない人間は周囲にとって迷惑なだけではなく本人にとっても不幸なことだ。
 他人の気持ちが分からない、じっとしていられない、約束を守れない、こんな人間として最低レベル以下の人間を作らないことが教育の本来の目的だ。
 現代の日本ではコンピュータ教育の必要性が説かれている。それはコンピュータを使えなければ仕事にならないからだ。もし日本人全員が農民だったら農業に役立たない教育など必要ない。それ以外のことはヘソ曲がりの人が勝手に勉強すれば良い。
 自己実現や世界に通用する才能を育てることなど教育の目標とすべきではない。そんなことを目標にすれば大半が失敗する。全員にイチロー選手や浅田真央選手になることを期待すべきではない。草野球のプレイヤーやスケートを滑れる人に育てれば充分だ。それ以上のことは各自が自分でやるべきことであり教育が目指すべきことではない。

体育

2010-04-13 16:03:14 | Weblog
 子供の運動能力の低下が続いている。テレビゲームや塾などのせいだと評論家は言うがそんな犯人探しはどうでも良い。対策を実施することが重要だ。
 子供の頃に基礎的な運動能力を身に付けなければ一生運動音痴になってしまう。運動音痴の人は運動をしたがらないから必然的に運動不足になる。
 運動能力の低下はモラルの低下よりも緊急の課題だ。モラルなら社会人になってからでも身に付けることができるが運動能力はそうではない。神経は小児期に育てなければ一生育たない。運動神経も小児期に育成しないと駄目になってしまう。子供のうちに体を動かさないと動けない大人になってしまう。足りないものを補うのが教育の使命なら、体育の授業時間を増やすことこそ最優先の課題だろう。
 徳育は難しい。教える側の教師がそれを実践していないケースも少なくない。教える能力が無い人が教えようとしても育成は期待できない。しかし体育なら教えることができる。分からなければ走らせたら良い。それだけでも体は育つ。スポーツを通じてルールを守ることの重要性も学べるから徳育にもなって一石二鳥だ。

動脈瘤

2010-04-13 15:47:49 | Weblog
 先日、巨人の木村拓也コーチが37歳の若さで、くも膜下出血で亡くなった。3年前には元競泳選手の木原光知子さんがやはりコーチ中に59歳で亡くなった。元気な人が突然亡くなるというショッキングな事件だけにこれをきっかけに脳ドックで検査を受ける人が増えるだろうが、くも膜下出血の原因となる動脈瘤が見つかった場合、困った判断を迫られることになる。日本人の約5%に動脈瘤が見つかるらしいが、これを手術するかどうかで悩まされることになる。
 大半を占める1cm未満の動脈瘤の場合、破裂する可能性は年に0.05%らしい。一方、手術した場合の死亡率は1%、重い後遺症が残るのは5%だそうだ。どう考えても手術しないほうが有利だ。
 医者としては動脈瘤が見つかったことを被験者に告知する義務がある。しかし1cm未満の動脈瘤なら手術せずに経過を見守るということになるようだ。
 結局、爆弾を抱えていることを知らされた上で、不安に慄きながら放置せざるを得なくなる。これでは検査をしないほうがマシだ。もし脳ドックで検査を受けるなら「1cm未満の動脈瘤が見つかっても告知しないこと」を予めお願いしておいたほうが良かろう。
 なお私は医者ではないので詳しくは脳外科医に尋ねることをお勧めする。

ヴェジタリアン

2010-04-09 15:55:03 | Weblog
 日本人は大半がヴェジタリアンだ。但し当の本人はそんな意識は無い。私自身全然ヴェジタリアンだとは思っていなかった。タイのフードコートで「あなたはヴェジタリアンか」と聞かれて初めて気がついた。野菜の煮物や炒め物ばかり選んでいたからだ。
 日本人はホテルの朝食バイキング(正しくは「ビュッフェ」)でうんざりする。肉、ハム、ソーセージ、ベーコン、卵など動物性蛋白質のオンパレードだからだ。しかしこれがグローバルスタンダードなのだ。西洋人は余り野菜を食べない。ビュッフェの料理を偏っていると感じるのは隠れヴェジタリアンである証拠だ。
 私はビュッフェでも野菜を多く採る。レタスやトマトなどの生野菜はたっぷり食べるし、八宝菜らしきものがあればそれがメインディッシュになる。どう見てもヴェジタリアンだ。
 日本人が野菜好きなのは長年、肉食をしなかったせいだろう。日本人にとっての動物性蛋白質は魚介類と鳥だけだった。野菜と魚介類に偏っていたから野菜の料理が発達し、同時に野菜の旨みに敏感になったのだろう。
 野菜好きは健康のために良いことだ。しかも宗教的戒律によって肉食を禁じられている訳ではなく、自らの意思(嗜好)で野菜を選んでいるのだから精神衛生上でも好ましいことだ。

死刑囚

2010-04-09 15:39:51 | Weblog
 4月5日に死刑に関する2つの興味深い報道があった。国内では名張の毒ブドウ酒事件の死刑判決が差し戻しになり、中国では日本人に対する死刑が執行された。なお今日(9日)は3人の日本人が処刑された。
 1972年に死刑判決が確定した死刑囚が生きていたことも驚きだが、もしこれが冤罪だったら一体どうなるのだろう。但し残念ながらこの事件はグレーのままで終わるのではないだろうか。結審するまでに84歳の奥西氏が亡くなってしまう可能性はかなり高い。
 イギリスで死刑が廃止されたのは決して人道的な理由ではなかったらしい。公務員を大切にする労働党政権の元で、かの有名なスコットランドヤードまでがお役所体質に染まり捜査力を大きく低下させた。いい加減な捜査で死刑にして、あとから真犯人が現れたら取り返しがつかないことになる。こんな事情で死刑が廃止されたらしい。冤罪の可能性が1%でもあれば死刑は執行すべきではないだろう。
 中国での死刑は酷い。通訳のレベルが低くて充分な釈明をできなかったそうだ。中国人を殺したのならともかく、麻薬を日本に密輸しようとしたのだから日本で裁いても良いような気もする。
 一方、日本での外国人犯罪者は死刑囚以外は強制送還して母国で刑に服してもらったほうが良いように私には思える。日本では服役囚一人当たり年間約270万円掛かっており、その財源は国民が納める税金なのだから。