俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

混浴

2010-06-18 16:05:10 | Weblog
 江戸時代まで日本では混浴は当たり前のことだった。このことは寛政の改革でも天保の改革でも「男女入込の禁」が命じられたことからも明らかだ。当たり前だったからこそ何度禁止令がだされても無視され続けた。
 混浴が無くなったのは外圧による。裸を醜いものとする西洋人の圧力に明治政府が屈して徹底的に取り締まったからだ。それでも今なお一部の温泉では混浴の習慣が残っている。
 なぜ混浴は猥褻ではないのか。日本人の意識では見ることと触ることとは天地の開きがある。見られても減るものではないし、増してや妊娠することなど無い。だから裸を見られることは恥ずかしいことではなかった。庭先での行水も日常的光景だった。
 西洋の価値観に基づいて裸を禁じた日本が裸を認めたのは、恥ずかしい話だが、西洋人の価値観の変化による。「神に与えられた肉体は美しい」と主張する人々がヌーディストビーチやヌーディスト村を作り、ポルノも解禁された。日本ではそれを後追いしてヘアヌードが解禁された。主体性の無い恥ずかしい話だ。全く西洋かぶれの文化後進国だ。
 イスラムの世界では今なお女性は水着を着ることができない。それどころか顔も隠さねばならない宗派もある。もし隠すことが文明の尺度なら、イスラム圏が最も高度な文明で江戸時代までの日本が最も野蛮な文明ということになるだろう。
 同性愛のフランス人が日本に憧れて是非渡日したいと願っているという話を聞いたことがある。それは銭湯があるからだという。彼にとって不特定多数の同性との入浴はハーレムかパラダイスのようなものなのだろう。
 そんな邪な欲望を持つ人と「裸なんて自然の一部」と考える日本人とどちらが健全であるかは論を俟たない。

守備力

2010-06-18 15:49:26 | Weblog
 サッカーの日本代表は決定力が足りない、とよく言われる。とんでもない。日本のこれまでのサッカーの弱点は守備力だ。予選で敗退したドイツ大会では得点が2で失点が7だった。もし得点がこのままで失点が0だったら予選を突破できていた。失点さえしなければ負けることは無い。悪くても引き分けだ。今大会でスイスがスペインに1-0で勝ったのは正に守り勝ちだ。
 サッカーの得点なんて大半は棚ボタのようなものだ。ゴール前の混戦とかこぼれ球から得点するケースが圧倒的に多い。時にはオウンゴールもある。華麗なロングシュートなど滅多に決まるものではない。
 得点力より守備力だということは野球を考えればすぐに分かる。誰が投げるかだけで勝敗は7割方決まる。
 大横綱の双葉山も大鵬も守りの名人だった。相手の攻撃を受け切ってから堂々と攻めて勝った。
 将棋の大山永世名人も受けの達人だった。
 得点シーンはゲームの華だからスポーツニュースでは得点シーンばかり放映される。ピッチャーはさぞかし不愉快なことだろう。ピッチャーが目立つためには完封するしか無い。
 目立つ得点よりも目立たない無失点のほうが重要だ。カメルーン戦の殊勲者は、ゴールを決めた本田選手やそのアシストをした松井選手だけではなく、川島選手や長友選手を始めとする守備陣だ。
 菅首相は攻める時には論客だ。しかし攻められると「イラ菅」と呼ばれる弱点が出る。もっと守備力を高める必要があるだろう。

デフレ

2010-06-15 16:16:04 | Weblog
 デフレが続いていると言われている。
 しかしデフレとは本来の価格よりも安くなければ売れない状態、つまり不採算価格でしか売れない状態と考えるべきだろう。もしそれまでの価格がボッタクリだったのなら、物価の下落は正常な状態へと向かっているということになり健全なことだ。
 昔の日本の物価は高かった。だから1964年に海外旅行が自由化された時、多くの旅行者は山ほど土産物を買って帰った。1ドル360円という、今から考えたら超円安の時代だったにも関わらずそれでも海外の物価のほうが安かった=日本の物価が高かったからだ。
 なぜ日本の物価は高かったのか。流通マージンが高かったせいだ。問屋と小売店がグルになって小売価格をつり上げていたせいだ。そのため1日数千円しか売れない小売店でも生き残れた。
 海外旅行が自由化されれば内外の価格差が嫌でも目に付く。こうして国内の価格は徐々に是正された。しかし印鑑のように海外には無い商品は今でも高止まりしたままだ。
 なぜ物価の是正に何十年も掛かったのか。国による規制のせいだ。通産省は百貨店法や大規模小売店舗法を作って零細小売業者の保護を図った。そのために小売業の近代化は大きく遅れた。しかしその保護策も空しく、今や商店街はシャッター街と化してしまった。
 無理な保護政策は零細業者を延命させるが、自らの自助努力を怠るならいずれ破綻する。延命策に頼らずに努力した企業はユニクロや家電量販店のように、規制されたデパートやスーパーを凌ぐほどに力を付けた。
 同じようなことが農業でも起こりつつあるように思える。無理な保護政策は無駄な事業の延命にしかならない。

強い財政・経済・社会保障

2010-06-15 15:59:51 | Weblog
 菅首相は11日の所信表明演説で「強い財政・経済・社会保障」を主張した。冷ややかに見る人も多いが私は可能だと考えている。但し国が自ら取り組むのではなく民間の力をうまく利用するということが大前提だ。
 こんなビジネスを考えた。「65歳以上の一人暮らし専用の都心での医療施設付き高級マンション」
 都心にこだわるのは、それが便利だからだ。都心で駅前の防災・防犯性の高いマンションに住めば老人の行動範囲は飛躍的に拡大し、安全性も高まる。
 一人暮らしの老人は大きな不安を抱えている。老人が分散しているからだ。バラバラになった老人を集結させてコミュニティを作れば老人に生きがいが生まれるだろう。
 集結させるメリットは他にもある。医療・介護施設を併設できるからだ。この医療・介護施設をマンション専属ではなく外にも開かれた施設にすることによって地域医療にも貢献できる。
 勿論このマンションを利用できるのは一部の裕福な老人だけに限られる。それでも一部の老人であろうと幸せな老後を送れるなら、現役世代の安心にも繋がる。
 社会保障を国が充実させようとすると現役世代の負担ばかりが増える。厚遇を広く享受できるようにし過ぎるからだ。国は政策で支援するだけに留まって、施設も運営も民間に任せれば、税金を使わずに社会保障を充実させることができる。
 こんなやり方をすれば設備投資も雇用も消費も税収も生まれるから財政・経済にとってもプラスになる。

男らしさ

2010-06-15 15:45:45 | Weblog
 2人の人間がいて荷物を運ぶ場合、体が大きくて力のある方が多くを持つべきだ。肉体能力の差を無視して同じ重さを持たせるのは悪平等だ。
 力の強い者が多くを持つことは公平なことだ。力の強さを無視して平等に持たせることは不公平なことだ。
 大人と子供の場合、あるいは男と女の場合、荷物の量はその体力を考慮して分担される。これを無視するのは悪平等であり不公平なことだ。
 平均的に男のほうが女よりも体が大きく力も強い。だから荷物は男が多く持つべきだ。このことが男らしさの起源だ。植物的体力はともかく、動物的体力において勝っている男は多くの荷物を持たねばならない。
 また生殖において、一瞬で役割が終わる男は価値が低い。10ヶ月掛けて子供を産む女は価値が高い。従って男は使い捨ての駒のようなものだ。危険な業務は生殖において価値の低い男が担わねばならない。
 こういった不利を受け入れることが男らしさだ。男らしさとは女尊男卑に基づく。
 但し男らしさとは男にとって「自分らしさ」を発揮する場でもある。女と比較した場合の自分の長所を発揮することは個性の発揮でもあり得る。男らしさとは男女双方にメリットを与える便利な概念だ。

真田山プールの怪

2010-06-11 10:21:36 | Weblog
 私が夏に通う真田山プールは奇妙なプールだ。
 オープン当初はプールサイドでの飲食は禁止されていたし、今でもそう掲示されている。数年後には子供用プールの側で黙認され、更に数年後には大人用プールの側でも黙認されて、ルールは完全になし崩しにされた。
 当初、小学生は大人用プールには入れなかった。数年後には16歳以上の保護者が同伴すれば1人だけ許された。今では3人まで認められている。保護者1人でどうやって3人もの小学生の安全を確保できるのだろうか。事故が起こるまではなし崩しが続くのだろう。
 真田山プールの管理者はルールを守らせるということを諦めているようだ。クレームがあればこのようになし崩しにするか施設そのものを撤去することによって対応している。
 最初に撤去されたのはシャワー室のドアだ。プールがスケート場になる冬場にシャワー室で淫行があったからドアを撤去したと噂されている。次に撤去されたのは喫煙所で、その次には公衆電話が撤去された。なぜ撤去されたのかは知らない。
 20ヶ所ほどの屋外プールを知っているが、シャワー室にドアが無いのも、喫煙所が無いのも公衆電話が無いのも真田山プールだけだ。どんな人が何を考えて管理をしているのだろうか。
 こんな変なプールなど使わなければ良いと思うのだが大阪市内で唯一の屋外の50mプールなので渋々利用している。かつての扇町にあった大阪プールが懐かしい。

窃盗

2010-06-11 10:10:46 | Weblog
 窃盗の最大の原因は貧困だ。金が無いから盗む。もし金があれば盗む必要は無い。買えば済むことだ。
 しかし貧困が原因と分かっても対策が無い。貧困を無くすことは窃盗を無くすことよりも遥かに難しいからだ。そこで別の原因が求められる。万引きゲームとか外国人窃盗集団とかいった警察や市民が対応可能なことに注目させようとする。しかしこれらは本当の原因ではない。本当の原因はやはり貧困だ。
 対策の立てようの無い原因であろうとそれを無視すべきではない。たとえ今は対応が不可能であっても将来可能になるかも知れないし、刑期を終えた受刑者の処遇もそれによって変わるだろう。
 再犯率が高いのは受刑者の多くを前科者のホームレスとして社会に放り出すという無責任な制度のせいだろう。前科者のホームレスがまともな職を得ることは難しい。非合法活動に向かうのはある意味では当然だ。
 再犯率を高めているのは、受刑者本人の犯罪性向ではなく更正システムの不備によるのではないだろうか。

普遍的真理

2010-06-11 09:54:35 | Weblog
 普遍的真理など要らない。私を燃え上がらせる私のための思想が欲しい。2+3が5であろうと6であろうとどうでも良い。2+3=5を守るために命を懸けるつもりなど毛頭無い。そんな客観的真実よりも私という個人がどう生きるべきであるのかを知りたい。
 誰にとっても旨い料理などどうでも良い。私が食べたいのは私のとって最も旨い料理だ。普遍的美味などクソ食らえだ。
 誰もが共有できる知識など要らない。共有できるのは2+3=5のようなくだらない知識だけだ。そんなものではなく、決して共有されない、私独自の私を燃え立たせる欲求が欲しい。
 これまでは俗物として生きることを指針としていた。肉体は俗界に、精神は霊界に、ということが私の生き方だった。ところが中途退職して俗界から抜け出してしまったら行動指針が無くなってしまった。そのために「どう生きたい」のかが分からなくなってしまった。今、その思想に基づいて生きる実践哲学を私は求めている。
 ニーチェは「悦ばしき知識」に「人生は認識のための手段である」と書いているがこれは本末転倒だ。認識こそ人生のための手段だ。どう生きるかを選ぶための思想が必要だ。
 青臭い言葉だが「いかに生きるか」は人生の最大のテーマだ。若い頃は「そのうち見つかるさ」と呑気に構えていられたが、老いて死へと近づくほどにそれは差し迫った問題となる。「あしたのジョー」のように燃え尽きたいものだ。

クロール

2010-06-08 15:33:49 | Weblog
 クロールは最も早く泳げる泳法だが、推進力が優れているのではなく水の抵抗が最も小さいから早い。そのため最も早く泳げる泳法でありながら最も疲れない泳法でもある。クロールのコツは手足による推進力を高めることよりもむしろ体を棒状にして無駄な抵抗を作らないことにある。
 実は平泳ぎのほうが推進力は大きい。しかし上下動があって水の抵抗が大きいためにクロールよりも遅い。
 このことを一番痛感したのは宇宙飛行士の若田光一氏だろう。氏が宇宙船の中で、クロールを使って移動しようとしたところ全然進まなかった。平泳ぎに切り替えたらクロールの数倍の速度になった。
 空気は水と比べて抵抗が小さいから、空中遊泳の場合は、推進力も抵抗も小さいクロールよりも、推進力も抵抗も大きい平泳ぎのほうが早く泳げる。若田氏がクロールから平泳ぎに切り替えた時に番組のキャスターは「クロールが下手ですね」と笑ったが、下手なのではない。推進力が乏しいクロールが空中遊泳には向いていないだけのことだ。
 抵抗の多い組織(例えば公務員)では推進力は余り必要無い。いかに抵抗を少なくするかが仕事の成否を決める。一方、抵抗の少ない組織(例えば一部のベンチャー企業)では推進力が必要だ。推進力と抵抗のバランスを見極めることが組織内で成功するための鍵となる。

トップダウン

2010-06-08 15:20:50 | Weblog
 組織の運営においてトップダウン方式とボトムアップ方式がある。トップダウンは優秀なリーダーの指示に全員が従う仕組みであり、対応が素早く統制を取り易い。
 ボトムアップでは所属員の意見を採り入れるのでキメ細かい対応が可能だが統制に欠け対応は遅れ勝ちだ。
 一般に日本式経営はボトムアップで、アメリカ式はトップダウンだと言われている。どちらが優れているかは一概には言えない。例えば、日本式経営で倒産の危機に瀕した日産はカルロス・ゴーン社長によるトップダウン経営で甦った。
 このように非常時にはトップダウン方式は有効だが、そうでなければボトムアップのほうが優れている。何しろ考える人の数が全然違うのだから。
 「下手の考え休むに似たり」と言うが、組織は下手ばかりが集まっている訳ではない。それどころかそれぞれの分野の達人揃いだ。せっかく揃っている達人の知恵を生かさないのは勿体ない。
 共産主義国家が崩壊した主因は共産党独裁制だろう。何もかもトップダウンで進めるから現場との乖離が生じ易い。理念と現実が食い違った場合、見直すべきなのは理念のほうなのに、トップダウンの場合は往々にして現実のほうが否定されてしまう。