俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

犯罪者

2010-10-08 15:50:51 | Weblog
 人はなぜ罪を犯すのだろうか。無数の理由が考えられる。①衝動的に②悪いことと思っていない③罪を犯したほうが得④罪を犯さなければ自分達が危ない⑤過失⑥他者による強制⑦成り行き⑧その他諸々(いずれ真面目に整理したいと思う)
 今回のテーマは③の罪を犯したほうが得、ということだ。
 飲酒運転が厳罰化されてから飲酒運転事故が激減したことは広く知られている。重い罰があれば人はその罪を回避する。もしある犯罪が頻発し、しかも組織的に行われているなら、それは罰が軽過ぎることが大きな原因と言えるだろう。
 企業による脱税はその典型例だ。どうせバレないし、バレても追徴課税分を含めて払えば済むことだから、数学的に期待値を計算すれば脱税を図ったほうが得だということがすぐに分かる。
 10月4日付けの読売新聞によると(どういう訳か朝日新聞ではこの情報は見つからなかった)赤字申告をした企業49,000社を調査したところその1/7に当たる7,000社が実は黒字で、その追徴課税額は約400億円だったそうだ。
 昨年6月までの1年間に法人税を申告した企業は約280万社で、黒字申告が約3割の80万社、赤字申告が約7割の200万社とのことだから、荒っぽく計算すれば法人税を申告した企業の約1割が脱税をしていたということになる(70%×1/7)。
 勿論、黒字申告をした企業が脱税していたという可能性もあるし、首尾良くあるいは運良く税務調査で脱税が発覚しなかった企業もあるだろうから実際の脱税率はもっと高いだろう。
 こんな脱税天国を改めるためには厳罰化しか無い。悪質な脱税企業に対しては資産を没収したり加担者を刑事犯罪者として罰すれば、怖くて誰も脱税などできなくなるだろう。また内部通報者(悪く言えばタレコミ)も増えるだろう。
 脱税を厳罰化すれば、法人税減税による減収を少なからず埋め合わせすることも可能なのではないだろうか。

まともな人

2010-10-05 14:36:19 | Weblog
 私は周囲から「変人」と評価され易い。確かに敢えて空気を読まずに変な発言をしたり、物事を修正ではなく根本から改めようとする。
 子供の頃は私自身も自分を変人だと思っていた。同級生とは全然違ったことばかり考えていたからだ。ところが大学生になって、私の生涯で最もレベルの高い仲間と交際を始めると、自分がまとも過ぎると考えるようになった。私の能力で最も欠けているのは狂気だとさえ思った。
 常識はしばしば矛盾する。支離滅裂でさえある。こんな常識に基いて真摯に生きることは不可能だ。中庸とか「ほどほど」という立場で誤魔化すことは論理的には可能だが私はそれを選択しようとは思わなかった。だから私は哲学を専攻せざるを得なかった。
 哲学の手法を使って世の中を見直したら、良識や報道がいかにご都合主義に基いて形成されているのかがよく分かった。具体例は敢えて挙げないが、私のブログの記事の大半が非・常識、反マスコミのスタンスで書かれていることは認めて貰えるだろう。
 社会の基準が正しいなら私は変人だが、社会の基準が狂っているなら私こそ「まともな人」だろう。逆説的な言い方だが、私には狂気も狂信も欠けているために、ある意味で当たり前のことしか主張できないということが私の最大の欠点だ。

多数者

2010-10-05 14:25:25 | Weblog
 もし高齢者の医療制度を見直すなら今のうちだ。数の多い団塊の世代が現在の前期高齢者から後期高齢者になりかけてから医療制度を見直そうとすれば激しい抵抗に会うだろう。団塊の世代という多数者が抵抗すれば医療制度改革は不可能だ。
 あらゆる政策は利害対立を伴う。特に年金や医療制度は現役世代から金銭を徴収して退職世代へ給付する収入の再分配システムなので、今後は階級対立以上に世代間対立が顕著になりかねない。少数の現役世代と多数の退職世代という構造だ。
 実数では現役世代のほうが多いが、団塊二世・三世にとっては団塊一世の利益は自らの利益としばしば一致する。その結果として団塊一世およびその上の世代とそれぞれの二世・三世連合軍対その他の世代との対立ということになる。
 後期高齢者医療制度を拙速に導入したのは、団塊の世代が後期高齢者に近付かないうちに改革せねば未来永劫チャンスは無いという焦りからではないだろうか。その意味では民主党政権も医療制度と年金制度の改革を急がないと普天間の二の舞ともなりかねない。

高血圧

2010-10-05 14:04:32 | Weblog
 私は低血圧なので高血圧症については比較的無関心だった。それでも塩分を摂り過ぎることは体に良くないと何となく思っていた。ところがこの夏の猛暑でマスコミが盛んに水分と塩分の摂取を喧伝するので塩分のリスクについて考えた。
 なぜ塩分は有害とされたのだろうか。かつて秋田県では脳卒中で亡くなる方が非常に多かったが減塩運動を通じて改善された。この事実が塩=悪という常識に繋がったようだ。つまり①血圧が高いと脳卒中になり易い②塩は血圧を上げる③従って塩は有害、という図式だ。
 しかしこの図式は原因と結果を単純化し過ぎているように思える。梅干に代表されるような塩辛い漬物があればおかずは少しで済む。こんなご飯と漬物というバランスの悪い食生活をやめて多彩なおかずを食べるようにしたから健康になったと考えるほうが正しいのではないだろうか。
 そもそも血圧が高いということは本当に健康のために悪いことなのだろうか。生体活動のための必要悪として血圧が上がっているのなら、その原因を放置したまま薬で血圧を下げることは百害あって一利無しとさえ思える。
 最も血圧の高い動物はキリンだ。260~160mmHgというとんでもない高血圧だそうだ。しかしもしキリンの血圧がもっと低ければあの長い首の上にある脳に充分な血を巡らせることができなくなる。
 人間の高血圧も同様のことが考えられる。特に高齢者の血管は動脈硬化などによって狭くなっていることが多い。狭い血管で血流量を維持しようとすれば血圧を上げる必要がある。血管の狭さを放置したままで血圧だけを下げれば、充分な血液が脳に供給されずに認知症になるのではないだろうか。こういうタイプの高血圧の人に施すべき治療は、葉酸の摂取などによる血管の改善であって減塩や施薬による血圧降下ではない。これは悪しき対症療法に過ぎない。

個人金融資産

2010-10-01 17:30:38 | Weblog
 日本の個人金融資産は約1,400兆円あると言われている。高齢者が溜め込んでいる資産が消費に回されたら景気が良くなるという意見があるが本当にそうだろうか。
 もし個人の資産が箪笥預金ばかりなら、仮死状態の金が生きた金へと蘇ることになるだろう。しかし実態は全然違う。多くは郵便局(郵貯、簡保)や銀行に預けられたり、株式市場に投資されたりしている。そして郵便局や銀行に預けられた金は国債の購入や企業への貸し出しに使われている。
 こんな個人金融資産が激減すればどうなるか。銀行は定期預金よりも遥かに高金利で資金を調達せねばならなくなるので企業への貸し出し金利が上昇する。郵便局は国債を買えなくなるので国債が値下がりする(=金利が上昇する)。
 つまり個人金融資産の減少は必然的に金利の上昇を招く。ローンの金利も当然上がるから、若い世代でも貯蓄に回せる金が減る。こうして預貯金減少の連鎖が起こる。
 金利が上がれば株式市場に投資されている金の一部が預貯金に回されるがこれは株価の低下に繋がる。また国の借金も金利が上がった分だけ更に拡大する。
 実際に高齢者の貯蓄は減りつつある。人数が増加しているのでグロスの額は増えているが、個々の世帯では預貯金を取り崩して生活費に充当している。預貯金の減少は決して手放しで喜べる話ではないだろう。

隗より始めよ

2010-10-01 17:16:49 | Weblog
 この言葉の出典は「戦国策」で「身辺のことをまず改善せよ」という意味だ。
 日本の政治家も是非隗より始めて貰いたいものだ。つまり政治家の給料と役人の天下りを何とかしないとこの国に明日は無い。
 国会議員の給料は年間約2,200万円だ。この時点でアメリカのクリントン国務長官よりも高額だ。更に「文書通信交通滞在費」として一律年間1,200万円が支給されている。しかもこれは必要経費として支給されるので非課税だ。
 大阪の橋下知事と名古屋の河村市長は議員報酬と議員定数を削減すべく活動して市民の大きな支持を得ているが、一番高給取りの国会議員の報酬については全く議論されていない。
 知事や市長は常勤でしかも重責を担う。一方、議員は非常勤で、議会にさえ出席すればそれ以外は自由であり、非合法活動でなければ何をしていても構わない。しかも党派の頭数でしかないから責任も軽い。そのため知事や市長は議員報酬が不当に高く人数も多過ぎることに気付く。
 しかし大臣は大半が国会議員だ。国会議員でもある大臣が自らの待遇の改悪など言い出す筈が無い。こんな事情だから、日本が議員内閣制を廃止して大統領制を採らない限り、世界一高い国会議員報酬が見直されることは無いのかも知れない。

不定

2010-10-01 16:58:55 | Weblog
 A氏宅は学校の正門から50m、B氏宅は30m離れている。A氏宅とB氏宅の距離は何mか?(但し正門の大きさは無視する。)
 驚くべきことにこれは中国の小学校1年生の授業で出された問題だそうだ。日本人なら大人でも馬鹿な答えを出したり「不明」と答えたりするのではないだろうか。正解は「20~80m」だ。
 A氏宅とB氏宅と学校の相互の位置関係は不明だ。従ってあらゆる位置関係を想定して初めて答えが導き出される。現代の日本人はこんな考え方が最も苦手で安易に「不明」と答えてしまうのではないだろうか。
 もともと日本人は非常に柔軟な思考力を持っていた。外国の文化や制度を採用するに当たっては常に是々非々の姿勢を守っていた。「AかBか不明か」といった三択ではなく「A~Bの不定」という答えを導くことを最も得意とする民族だったと思う。
 不明と不定は全然違う。不明とは「分からない」ということだ。一方、不定とはある程度は分かっているが特定できないということ、つまりグレーであるということだ。
 なぜ日本人の知力が低下したのだろうか。多分「正解は1つ」とする学校教育に問題があるのだろう。もう1つは物事を単純化して白黒を決め付けたがるマスコミの影響も見逃せない。 
 データが不充分であっても「分からない」と諦めるべきではない。分かる範囲で資料を集めてそこから導き出せる複数の仮説を想定すべきだろう。これが危機管理にも繋がる。完璧にデータが揃うまで待っていたら手遅れになってしまう。