俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

雑食

2011-12-09 14:47:32 | Weblog
 雑食は優れた生存戦略だと思うのだが自然界には不思議なほど雑食動物は少ない。鼠、熊、猿、蟻、蝿、ゴキブリぐらいしか思い当たらない。犬や猫は人間に飼われてから雑食動物になったが元々は肉食動物だ。肉食動物は雑食動物に変われるが草食動物が雑食動物に変わることは殆んど無い。動物性蛋白質を消化できないからだ。人類は草食動物から雑食動物に変わった珍しい例だと思うが、肉食を採り入れる際には火を使ったと思われる。
 コレステロールが有害とされたのは信じられない動物実験に基づく。何と兎にコレステロールを含む食物を食べさせて有害と証明したのだ。草食動物である兎に動物性コレステロールを摂取させれば99%間違いなく有害だろう。
 熊は木の実や蜂蜜や魚などの栄養価の高いものばかりを選んで食べる。それだからこそあの大きな体とパワーを維持できるのだろう。その熊の一種にパンダがいることは全く不可解だ。最も有利な雑食という戦略を捨てて竹のような栄養価の低い植物を食べるようになったのは一体全体どういう経緯なのだろうか。さっぱり分らない。
 ユーカリの葉しか食べないコアラも奇妙な動物だ。因みに動物園で最も餌代が嵩むのはコアラだそうだ。

すき焼き

2011-12-06 15:18:55 | Weblog
 すき焼きのルーツは2つある。関東の牛鍋と関西の鋤焼きだ。最近では関東系の「すき鍋」が主流になっているようだが、私が大学生の頃、つまり約40年前ではコンパで一番揉めたのはすき焼きの作り方だった。割り下を使って煮込もうとする東日本勢と醤油と砂糖だけを使って焼こうとする西日本勢とでテーブルが分かれたこともあった。
 すき鍋が主流になったのは和食チェーン店が全国展開するに当たって、下拵えができるので調理時間を短縮できる鍋方式を選んだからだろう。煮る料理よりも焼く料理を好む人は焼き肉や鉄板焼きやバーベキューなどへと移ったようだ。
 ところで関西ではなぜ鋤焼きだったのだろうか。鉄板が家庭に無かったから比較的面積の大きな鋤を使ったとも考えられるがもう1つの大きな要因は食器を穢さないためだろう。文明開化に伴い肉食が奨励されたが、当時の日本人の意識では肉は穢れたものだった。神聖な食器を肉によって穢さないために、食器ではない鋤が使われたのだろう。
 肉を穢れたものと考えた関西と肉に鍋を使って市民権を与えた関東とでは受け入れ姿勢が違う。牛鍋系が鋤焼き系を駆逐したのは調理時間の差だけではなく基本思想の違いも原因だろう。

脳の多重構造

2011-12-06 15:06:53 | Weblog
 脳は多重構造になっている。基礎部分は爬虫類と同じであり、その上に哺乳類の脳、更にその上に人類独自の脳が乗っかっている。当たり前の話だがそれぞれの脳は役割を分担している。基礎的な生命活動は爬虫類の脳が司り、育児などは哺乳類の脳、知的活動は人類の脳が司る。基本的にはそれぞれの役割が重複することは無い。動物はダブルチェックのような「贅沢な」機能を持たない。それぞれの脳が独立して働く。恐怖や怒りなどの基本的な情動は爬虫類の脳が司っているからこれらの感情に支配された人は爬虫類と同じレベルの行動を取る。
 人類特有の脳は決して支配的ではないので欲望において葛藤が生じる。食欲や性欲などにおいては異なった脳が異なった欲求を持つために迷いが生じる。爬虫類の脳が求める本能的行動を選ぶか人類の脳が求める理性的行動を選ぶかは「個人」に任される。理性に背いた行動を選んだ人は誘惑に負けたのではなく爬虫類の脳に負けたということだ。
 脳を統合された機能と考えるのは誤りだ。脳そのものが異なる脳が争う戦場だ。

飛び道具

2011-12-06 14:54:27 | Weblog
 人類の運動能力は他の動物に勝るとは言い難い。走っても泳いでも闘っても人類は他の動物に負ける。しかし奇妙なことに1つだけ他を上回る能力がある。それは投擲力だ。なぜこんな奇妙な能力が発達したのだろうか。多分人類は物を投げて他の動物と戦ったからだろう。投げることに特化するという奇妙な進化は人類の生存戦略だったようだ。
 投げるという戦法は非常に有利だ。一方的に攻撃できるからだ。通常、戦いではお互いに足や牙が届く位置で戦う。攻撃するために攻撃されるというリスクを冒す。ところが物を投げれば自分は敵の攻撃から安全な位置に留まったままで相手を攻撃できる。人類は知恵以上に投擲力によって他の動物を圧倒したのではないだろうか。
 賢い戦略ではあるが卑怯な戦略とも言える。刀で戦おうとする武士が弓や鉄砲で攻撃されれば「飛び道具とは卑怯なり」と憤るだろう。鉄砲を遙かに凌ぐ究極の飛び道具がアフガニスタンなどで使われている。度重なる誤爆が問題になっているアメリカ軍の無人爆撃機プレデターだ。これは何とアメリカ国内で遠隔操作をしてミサイルを発射している。

就職

2011-12-02 15:18:20 | Weblog
 1日から大学3年生に対する就職説明会が解禁になった。大学生の就職は相変わらず厳しいようだが、就職浪人をするよりは多少不本意でも早期に就職したほうが得だと思う。私は1浪・1留をしたので就職が2年遅れた。そのために生涯賃金が2,000万円以上減ったと思う。
 私の元の勤務先は55歳までに役員になれなければ冷遇される。ポストを返上して給与は3割ほど削られる。つまり殆んどの人が55歳の時点での給料がピークになる。同期入社で回り道をしなかった人と比べて私は2年早く給料を削られたし役員になるチャンスも2年短かったということになる。なお、この55歳で見切られる人事制度は定年が55歳から60歳に延長された時に導入されたものだから、大昔の定年延長の歪みが今でも残っているということだ。
 就職の2年遅れは単にスタートが2年遅れるだけでは済まない。遅れただけなら取り返すことができるが、勤務期間が2年短くなることは大きなハンディとなる。長く勤務すれば仕事に精通するし社内でも顔が利くようになる。本来、最も力を発揮できる期間が2年短くなるのだからサラリーマンとしては致命的だ。
 繰り返すが、就職開始が2年遅れることは単にスタートが遅れるのではなく、最も活躍できる時期であり同時に最も収入が多い時期が2年短くなるということを意味する。

不在証明

2011-12-02 15:03:32 | Weblog
 「存在しない」ということを証明することはほぼ不可能だろう。断定できるのは常に「今のところ見つかっていない」ということだけだ。論理のこの弱点に付け込んで多くの偽科学が横行して来た。超能力、UFO、ネッシー、雪男、神、河童、etc.etc.。
 逆に存在を証明することは易しい。たった1例あれば充分だ。ニホンオオカミが1匹でも見つかったら生存が証明されたことになる。存在証明はこれほど易しいのだから、ずっと存在が確認されていない神や超能力などが存在する可能性は殆んど無い。
 同様に有害の証明は易しいが無害の証明は難しい。塩酸が有害であることは簡単に証明できるが何ppm以下なら無害なのかは確定できない。確実に個人差もあるからだ。
 放射線の安全基準が定まらないのも同じ事情だ。特に放射線の場合は速効性だけではなく遅効性や遺伝への影響が考えられるから余計に難しい。はっきり言えることは過剰に警戒し過ぎているということだ。世田谷区のラジウムは何十年も前からそこにあったがその間にそれが原因で病気になった人は「今のところ」見つかっていない。また60歳前後の人は子供の頃に風上に位置するソ連や中国の核実験のせいで現在の数十倍の放射線を浴びていたが「今のところ」その影響は確認されていない。

テレビの弊害

2011-12-02 14:48:38 | Weblog
 テレビは情報を伝えようとしない、情動を伝えようとする。正確な情報を伝えることよりも感情を煽ろうとする。だからテレビのニュースばかりを見ていると阿呆になる。
 人間は情緒が刺激されると印象が強まる。逆に、情緒が刺激されなければ印象に残りにくい。印象に残らせるために、たとえ情報量を減らしてでも喜怒哀楽に訴えようというのがテレビ局の戦略だ。コメンテーターに起用される人は情緒に訴えるようにテレビ局から要請されるそうだ。
 テレビという情報媒体は圧倒的に優れた特性を持っている。映像と音を同時に伝えることができるからだ。特に映像は言葉と違って理性を介さずに脳に直接伝えられて感情を刺激する。映像は疑似体験として脳に植え付けられる。擬似体験のリアリティを理性によって克服することは難しい。
 人と人とのコミュニェーションが成立するのは理性を使って相手の主張を理解するからだ。どこに問題がありどうすれば解決できるかは理性に基かなければ考えられない。テレビ局がやっていることはその逆だ。理性的な判断を妨げるために情緒に訴える。結果的にはこのことが世論操作に繋がる。テレビは視聴者を理性的ではなく感情的に判断させるためにあらゆるテクニックを駆使している。日本のテレビは人を博智ではなく白痴へと導く。