「♪今日もコロッケ、明日もコロッケ、これじゃ年がら年中コロッケコロッケ♪」という歌があった。私の友人はこの歌詞に納得せずに言った。「毎日コロッケなら嬉しい」と。昔は脂を使った料理が少なかった。マクドナルドもケンタッキーも無かったから脂の旨みを味わえるコロッケは育ち盛りの中高生にとっては御馳走だった。
漫画の「オバケのQ太郎」にはインスタントラーメンが大好きな小池さんという脇役が登場した。いつもインスタントラーメン(多分チキンラーメン)を食べていた。その小池さんが結婚して、新妻は毎日腕に依りを掛けて手料理を作った。小池さんはそれでもラーメンが食べたくて仕方が無かった。Q太郎達は小池さんをラーメン欠乏症から救済すべく様々な手を打ったが悉く失敗した。結局、小池さんが寝言で「ラーメン食べたい」と言ったことで妻が気付くというオチだった。
ジャンクフードであろうとも本人が好きなものはソウルフードだ。逆にたとえどんなに高品質な食べ物であろうとも好みに合わなければ何の値打ちも無い。幸福は客観的なものではなく主観的なものだ。どんな羨ましい境遇であろうとも本人が不幸と感じるなら彼は不幸であり、悲惨と思われる境遇であろうとも本人が幸福感を得ているなら幸福だ。幸福か不幸かを決める尺度は個人の心だ。客観的な尺度は無い。
漫画の「オバケのQ太郎」にはインスタントラーメンが大好きな小池さんという脇役が登場した。いつもインスタントラーメン(多分チキンラーメン)を食べていた。その小池さんが結婚して、新妻は毎日腕に依りを掛けて手料理を作った。小池さんはそれでもラーメンが食べたくて仕方が無かった。Q太郎達は小池さんをラーメン欠乏症から救済すべく様々な手を打ったが悉く失敗した。結局、小池さんが寝言で「ラーメン食べたい」と言ったことで妻が気付くというオチだった。
ジャンクフードであろうとも本人が好きなものはソウルフードだ。逆にたとえどんなに高品質な食べ物であろうとも好みに合わなければ何の値打ちも無い。幸福は客観的なものではなく主観的なものだ。どんな羨ましい境遇であろうとも本人が不幸と感じるなら彼は不幸であり、悲惨と思われる境遇であろうとも本人が幸福感を得ているなら幸福だ。幸福か不幸かを決める尺度は個人の心だ。客観的な尺度は無い。