俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

結果の平等

2012-05-08 14:46:12 | Weblog
 結果の平等は奇妙な考え方だ。格差問題では結果の不平等が問題にされ勝ちだ。しかし人は結果の平等など求めているのだろうか。逆に結果の不平等を求めているのではないだろうか。
 パチンコで遊ぶ人は確実に結果の不平等を求めている。たとえ他人が負けようとも自分が勝つことを求める。それどころか他人が負けるからこそ自分が勝てるのだということを知っている。もし結果が平等になるなら誰もギャンブルに手を出さないだろう。
 人は選択をせねばならない。良い選択をすれば良い結果を招き、悪い選択をすれば悪い結果となる。だからこそ人は悩んだ末に選択をする。どちらを選んでも結果が同じなら選択は無意味だし、選択後の努力も無駄にしかならない。
 必要なのは結果の平等ではなく機会の平等だろう。機会の平等の無いパチンコ屋、つまり良い台が一部の常連客によって独占されている店は潰れるし、結果が平等、つまり誰も勝てないような店に客は立ち寄らないだろう。
 結果の不平等を解消することはギャンブルで負けた人に賭け金を返すようなものでフェアではない。機会の平等に的を絞るべきではないだろうか。論点を整理しなければ感情論にしかならない。良い結果を得た人を妬むのではなく、チャンスが平等に与えられることを求めるべきだろう。

地下(2)

2012-05-04 15:49:52 | Weblog
 3月27日付けの「地下」で、パイプを使って水か空気を地下から地上へと循環させて冷暖房に使えないだろうか、と書いたが、6月にも実用化されるようだ。
 5月3日の朝日新聞によるとセブン・イレブンの太宰府国分店で「店の地下に直径38cm、長さ7.5mのアルミ製パイプを2本埋め、内部に外気を送り込む」ことによって夏は冷房、冬は暖房として使うそうだ。
 私は水の循環を本命と考えていたが空気のほうが実用的だったようだ。空気のほうが質量が少ないので循環させるために必要なエネルギーが少なくて済むという大きなメリットがある。
 私が水を本命視したのは思い付いたきっかけが原子炉の循環型冷却水だったことと、空気は保温性が高くて温まりにくく冷やしにくいから水よりも長いパイプが必要だと思ったからだ。しかしこれは間違いだった。保温力が高ければ冷暖房力も高くなる。水を使う場合よりも長いパイプにする必要は無かった。
 私は家庭用の小規模なものをイメージしていたがコンビニの店舗でも使えるようなら期待は更に膨らむ。素人が思い付くようなことをちゃんと研究している企業があるものだと改めて感心した。

金田一少年の事件簿

2012-05-04 15:35:14 | Weblog
 推理小説はかなり高度な知的遊戯だと思っている。作者によるミスリードを克服して謎を解き明かすためには発想の転換が必要だ。偏見や思い込みの強い人には謎解きはできない、柔軟な思考力を養うためには数学以上に有益な知的トレーニング方法だと思う。 
 現在の私は小説は読まない。昨年読んだ小説は「竹取物語」だけだったし、今年は「悪霊」の「スタヴローギンの告白」だけを読み直した。思想書の濃厚さを知ってからは小説という表現方法は物足りない。
 推理が好きなので漫画の「金田一少年の事件簿」は愛読している。「真相当てクイズ」で賞品を貰ったこともある。しばらく応募していなかったので久し振りにチャレンジしてみた。大体解けたとは思うが〆切は7日なのでもう少し捻りを加えてみようと思っている。
 今回の謎解きのポイントは最難関である密室のトリックだろう。密室トリックを使える容疑者は1人しかいない。しかしこの容疑者には完璧なアリバイがある。そのアリバイを崩す鍵になるのがこの事件の舞台である研究室で扱っている「無尽藻」という驚異的特性を持つ藻というのがオチだろう。現実的過ぎるトリックは実際の犯罪に悪用されかねないので、それを防ぐために非現実的要素を組み込んだのだろう。
 クイズの〆切前なのでタネ明かしはこの辺でやめておこう。

揚水発電

2012-05-04 15:19:10 | Weblog
 NHKのニュースで揚水発電の特集をやっていた。これが恰も電力危機打開の切り札になるかのような扱いだった。しかし揚水発電ほど馬鹿馬鹿しい発電方法は無い。エネルギーを使って水を高所に運び、その降下エネルギーを使って発電するという馬鹿げたシステムだからだ。水を上に運ぶために必要なエネルギーは水が降下する時に発生するエネルギーと原理的には等しいが実際にはかなりのロスが生じる。その水力による発電は水を運ぶために使った電力の半分以下だろう。だから全体としてはマイナスにしかならない。エネルギーを浪費しても使用可能な時間帯を変更することしかできない。
 こんな馬鹿げた発電があるのは原子力発電のせいだ。原子力発電は発電量を調整しにくい。原子力発電にとっては一日中同量を発電し続けることが最も効率的で安全な使い方だ。夜になると余ってしまう電力を少しでも有効活用するために作られたのが揚水発電所だ。エネルギー生産量がマイナスにしかならない揚水発電でエネルギーを浪費するよりは、エネルギー生産量がプラスになる他の発電方法を充実させるほうがずっと経済的でありかつ合理的だ。
 但し、昼間の電力が全然足りず、夜も発電所をフル稼働させてエネルギーを蓄えなければならないようならば、この愚策も過渡期的対策として役に立つ。その場合は真っ先にテレビの深夜放送をやめて夜の電気使用量を減らすべきだろう。

集団登校

2012-05-01 15:22:35 | Weblog
 集団登校中での交通事故が相次いだ。4月23日の京都での事故の後、27日には千葉と愛知でも事故があった。集団登校が却って大事故を招くという意見もあるが、弱者は集合したほうが安全だ。多分、数学的に証明できるだろうとは思うのだが、如何せん大学入試以来のブランクがあるので私の手には余る。
 「とかくメダカは群れたがる」という言葉があるように弱い動物は群を作る。魚だけではなく鳥も草食哺乳類もそうだ。群を作れば誰かが生き残るという消極的な効果だけではなく、敵に遭遇しにくいという積極的な効果がある。散らばっているよりも集まっているほうが捕食されにくい。
 敵による攻撃ではなく事故の場合はもっと明らかだ。100mの道に10人の子供が分散していれば車の運転手は常に緊張を強いられる。一方、10人が1箇所に集合していれば運転手はそこだけに注意を集中できる。事故の起こる可能性は大幅に下がる。四方八方から小石を投げられるよりも一方から大きな石を投げられたほうがかわし易いのと同じようなことだ。
 たまたま集団登校での事故が相次いだが、集団登校は安全性を高める。集団登校を避けて個別に登校すれば犠牲者は増えるだろう。

落し物

2012-05-01 15:08:17 | Weblog
 金を拾う人と落す人はどちらが多いだろうか。少なくない人が自分の経験から「拾うことのほうが多い」と考えるだろうがこれは誤りだ。落とした金が拾われないことはあり得るが、落されなかった金が拾われることはあり得ない。従って落とされた金のほうが遙かに多い。
 こんな錯覚が生じるのは、拾うことは意識的行為であり、落すことは意識外での行為だからだ。落とした時に気付いていれば真っ先に自分が拾うだろう。落し物をして警察に届ける時に一番困るのは「どこで落としたか」という問いだ。どこで落としたか正確に分かっていれば警察になど届けずに自分で探す。
 同様に、幸運を摑むことよりも幸運を見逃すことのほうがずっと多いだろう。幸運を摑んだことは意識されるが、本来は幸運である筈のものが見逃されても殆んどの場合、気付かれない。一生の大半は幸運を見逃すために使われているとさえ思える。
 しかし「当たりたいなら買うしかない」という宝くじのCMを肯定しようとは思わない。射幸心を煽る巧みなコピーだとは思うが全く不合理だ。「救われたいなら祈りなさい」とか「ボロ儲けしたければ賭けるべきだ」といった理屈にどれだけの人が賛同するだろうか。可能性の低いことを恰も可能性の高いことのように偽るからこれらに乗せられた人は不幸になる。

無罪

2012-05-01 14:53:50 | Weblog
 4月26日に小沢一郎氏に対する判決があった。結論は無罪だがその内容は限りなく黒に近いグレーだった。これを単純に無罪判決と考えるべきではない。判決文は「小沢はんは悪いことを仰山やって嘘ばっかり言うとるけど証拠が足らんのやから有罪にはできへん」と書いてあるように思える。無罪判決でありながら小沢氏の悪事を多数指摘している。これでは「○○氏が盗んだことは明白だが検察の取り調べに不備があるので無罪とする」という判決と同じようなものだ。疑惑は晴れたどころか認定されたとさえ言えよう。
 小沢氏は刑事責任を免れたが「無実」とされた訳ではない。無実と無罪は全然違う。政治資金規正法の欠陥と推定無罪の原則に基づいて無罪とされただけであり判決文に従うなら無実ではなく「有実」だ。刑事裁判で無罪とされた人が民事裁判で有罪とされることは少なくない。今回の裁判で無罪とされたことで禊が済んだと考えるのは余りにも軽率だ。
 裁判では偽証罪は無いが国会の証人喚問には偽証罪がある。司法が偽証を認めているのだから立法府でそれを検証すべきだろう。しかし、だからこそ小沢氏は喚問に応じまい。確実に政治生命を断たれるからだ。