俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

親不孝

2012-08-10 15:08:14 | Weblog
 親不孝な子を嘆く親がいる。しかしそれは誰の責任だろう。子の責任は少ない。本人はそうなりたくてなった訳ではなく、そうなるように育てられただけだろう。学校にも責任は無い。少なくとも「親不孝しなさい」と教える教師は皆無だろう。では誰の責任か、勿論親の責任だ。
 こんな寓話がある。
 ある所に下手な陶芸家がいた。彼は思い通りの作品を焼き上げることができず毎日「この出来損ないどもめ!」と罵りながら自分の創った陶器を叩き割ってゴミの山を築いていた。しかし責任が問われるべきなのは作品ではなく彼の技量ではないだろうか。
 この寓話のオリジナルはニーチェで神と人間についての話だが、親子についても同じことが言える。親不孝な子を嘆くよりも、そんな子に育ててしまった自分を責めるべきだろう。自分の落ち度を棚に上げて子供の出来の悪さを子供の責任にしようとするような姿勢が親不孝な性格を育んだとさえ言えよう。

扶養控除

2012-08-07 14:17:08 | Weblog
 少子化が問題になっている。生活保護受給者の増加も問題になっている。もしかしたらたった1つの対策でこの2つの全然関係の無さそうな問題が解決されるかも知れない。それは扶養控除を拡大することだ。
 私は40代から両親を扶養親族として仕送りをしていた。税制上このメリットは小さい。扶養しようとしまいと納税額は殆んど変らない。もしこれがもっと目に見える形で控除されるなら、親を扶養する子供はもっと増えて、高齢の生活保護受給者が減るのではないだろうか。
 育児は大変だ。育児には金も手間も掛る。せめて金の負担だけでも減ればもっと手間を掛けることができる。バラ撒きの子ども手当ではなく扶養控除額を拡大したほうが子育ては楽になるのではないだろうか。
 人間は貰う場合は敏感だが、サラリーマンは給与明細上での税金の増減には鈍感だ。だから政府はバラ撒きと同時に増税をしようとする。政府は増税とバラ撒きを同時に行って大衆を誤魔化す。これを逆転させるべきだろう。バラ撒きをやめて控除の拡大をすべきだろう。野田首相や財務省はこんな考え方を認めないだろうが、このほうが国民にとっても国にとっても良いのではないだろうか。

痛覚

2012-08-07 14:05:49 | Weblog
 痛みは感じ過ぎても感じ足りなくても不都合だ。痛みを感じることは絶対に必要だがどの程度感じるべきかは微妙な問題だ。怪我をしても痛まなければ傷めた場所を庇わないので傷を悪化させてしまう。
 とは言え痛みを感じ過ぎることも支障が大きい。少しの傷で耐えられないほどの痛みを感じることは動物として大きな弱点となる。野生動物は痛みに強いと言われるが、痛覚が鈍いと考えても良かろう。
 痛覚は諸刃の剣だ。鈍過ぎれば傷に気付かず、敏感過ぎれば痛みに負ける。痛みは警鐘なのだからその役割に留まるべきだろう。鼓膜に有害なほど大きな音の非常ベルが必要ないように、生存に有害なほどの激しい痛みを知覚する必要は無い。
 人類の痛覚は敏感過ぎるようだ。気を失うほどの痛みなど本来感じるべきではない。痛みで気を失ったら捕食される可能性が高まるからそんな痛みを感じることは動物としての欠陥だ。捕食されないという状況が長く続いたために変な進化を遂げたようだ。

保険

2012-08-07 13:51:57 | Weblog
 健康保険は高所得者ほど負担額が多い。しかし多く負担した人が厚遇される訳ではない。多く負担した人の医療費自己負担額が3割ではなく1割になる訳ではないし、特別な最新医療を受けられる訳でもない。他人よりも多く負担した分は掛け捨てになる。逆に健康保険の負担額が少ない高齢者が保健制度の恩恵に与っている。
 年金保険も同じような仕組みにできないものだろうか。現行制度では多く積み立てた人が多く受け取る仕組みになっているが、多く積み立てる人は所得が多く貯金も多い。つまり年金の必要性が少ない人だ。こんな人に多くの年金を支払うから後の世代の年金が足りなくなっているのではないだろうか。
 とは言え健康保険並みに「超平等」にすべきとは思わない。そんなことをすれば年金保険を納めない人が今よりも増えて酷いことになる。納めた保険料に見合う年金は保証した上で、国による割り増し分で差を付ければ良かろう。割増額を1割から10割まで差を付けて低所得者を優遇すれば年金格差は縮小するし国の負担も軽減される。それでいて健保とは違って高所得者であろうとも払い損になることは無い。

最強のスウィマー

2012-08-03 15:12:36 | Weblog
 オリンピックの真っ最中だが史上最強のスウィマーは誰だろうか。若い人はマイケル・フェルプスやイアン・ソープと考えるだろう。しかし桁外れのスウィマーがいた。1972年のミュンヘン・オリンピックで7種目に出場して総て世界新記録で優勝したマーク・スピッツ選手だ。彼が最強と言えるのは種目の壁を超えた唯一の選手だからだ。スピッツ選手は自由形とバタフライで泳ぐ度に世界記録を更新したが、彼のバタフライの記録は当時の自由形の世界二位の記録よりも早い。つまりスピッツ選手のバタフライより早いのはスピッツ選手のクロールだけだった。だからオリンピックの自由形で、スピッツ選手がクロールではなくバタフライで泳いでも金メダルを取っていただろう。勿論、そんな失礼なことはしなかったが、そんなことが可能だった選手は彼だけだ。
 それだけではない。当時は少しでもタイムを良くするために多くの選手が体毛を剃っていた。そんな風潮の中で体毛を剃らないだけではなくヒゲまで生やしていた。彼こそ間違いなく史上最強のスウィマーだ。

s

2012-08-03 14:55:26 | Weblog
 どういう訳かsで始まる日本語が沢山国際語になっている。sushi、sashimi、sukiyakiは三大国際和食だと思うがどれもsで始まる。最近ではsurimiが国際語になっているそうだ。これは「擂り身」のことであり蟹蒲などが世界中に広まっている。但し残念ながら日本からの輸出品のシェアは低い。タイのsurimiがトップシェアとのことだ。蒲鉾が特許対象外なのは仕方がないとしても蟹蒲ぐらいは国際特許を取れながったのだろうか。
 以外なのはsatsumaという英語だ。これは芋ではない。何と蜜柑のことだ。なぜsatsumaが蜜柑を意味するのか日本人には全く解せないことだが、薩英戦争後の薩摩藩・英国の協力関係がきっかけらしい。
 1863年に薩摩藩の島津久光の大名行列の一行が英国人を切り捨てた生麦事件に対してイギリスは艦隊を派遣して薩英戦争となった。これを契機にして薩摩藩とイギリスとの関係が深まり明治維新へと繋がるのだから歴史とは全く偶然に左右されるものだ。薩摩藩からイギリスに贈られた贈答品の中にsatsumaがあったようだ。
 食品以外でもsanuraiが国際語だ。勿論s以外で始まる和製国際語としてtsunami、karaoke、mangaなどを思い付くがsのシェアは高い。日本人にはsが似合うのだろうか。

検査被曝

2012-08-03 14:38:02 | Weblog
 日本人は世界一医療被曝量が多く、日本の癌患者の3.2%が検査被曝が原因で発症しているそうだ。レントゲンの間接撮影が2ミリシーベルト、CT検査は7ミリシーベルトの被曝になるとのことだが、こんな大量の放射線を検査のために浴びてそれが原因で癌に罹っている。馬鹿げた話だ。
 何のために癌検診を受けるのだろうか。癌でないことを確認したいからだろう。勿論、早期発見・早期治療に期待する人もいるだろう。可哀想にその人達は騙されている。本当の癌なら早期に発見しても助からない。発見されるほどの大きさになっていれば既に転移している。贋の癌、つまり良性腫瘍を切り取り、本物の癌に対しては虚しくて苦しい治療紛いをするということが早期治療の正体だ。このことに延命効果は全く無くQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を低下させるだけだ。
 これは熊に出会ったら死んだ振りをせよ、という俗説に似ている。これを実践した人の99%は死に、1%の人は運良く助かる。これは死んだ振りをしたから助かったのではなく、熊が空腹でなかったか、他にもっと美味しそうな獲物を見つけたからだろう。それでも助かった1%の人は「死んだ振りをしたから助かった」と言い触らす。
 癌検診は熊に対する死んだ振りのようなものだ。それどころか、死んだ振りの有効性を確かめるためにわざわざ熊に近寄るような愚行にも等しい。こうして自ら放射線を浴びて癌になる。狂気の沙汰だ。