理系の学問は非常に不自由なものらしい。金が掛かるからだ。文系、特に人文系は金が掛からない。文献さえあれば何とかなる。しかし理系の場合、簡単な実験をするだけでも金と人手が必要だ。
金をどうやって得るかが理系の学者の悩みのタネではないだろうか。スポンサーが必要だ。しかし公的資金であれ民間資金であれ、それを獲得するためには成果を約束せねばならない。
ここで困ったことが起こる。本格的に研究を始める前から目標を設定せねばならない。例えば「ダイオキシンの有害性の研究」というテーマを設定してしまえば、実は無害だったとは報告できない。多少データを操作してでも有害という結論をでっち上げることになるだろう。地震予知であれ地球温暖化であれ事情は同じだ。スポンサーに迎合する結論しか発表できない。これの典型的な例が高血圧治療薬ディオバンのデータ改竄事件だろう。
スポンサーが付いた研究しかできずスポンサーの意向に沿う発表しかできなければ学問の自由は無い。アメリカで理系の学問の衰退が著しいのはこれが原因ではないだろうか。上手くやったら儲かるという研究でなければスポンサーが付かないなら基礎研究は放棄される。だから金融工学とかいった変な研究が進められたのだろう。
日本でもこんな事情から、素人の私でさえ簡単に見破れるような嘘が大量にバラ撒かれていると思うと、理系の学問は危機に瀕していると言わざるを得ない。
金をどうやって得るかが理系の学者の悩みのタネではないだろうか。スポンサーが必要だ。しかし公的資金であれ民間資金であれ、それを獲得するためには成果を約束せねばならない。
ここで困ったことが起こる。本格的に研究を始める前から目標を設定せねばならない。例えば「ダイオキシンの有害性の研究」というテーマを設定してしまえば、実は無害だったとは報告できない。多少データを操作してでも有害という結論をでっち上げることになるだろう。地震予知であれ地球温暖化であれ事情は同じだ。スポンサーに迎合する結論しか発表できない。これの典型的な例が高血圧治療薬ディオバンのデータ改竄事件だろう。
スポンサーが付いた研究しかできずスポンサーの意向に沿う発表しかできなければ学問の自由は無い。アメリカで理系の学問の衰退が著しいのはこれが原因ではないだろうか。上手くやったら儲かるという研究でなければスポンサーが付かないなら基礎研究は放棄される。だから金融工学とかいった変な研究が進められたのだろう。
日本でもこんな事情から、素人の私でさえ簡単に見破れるような嘘が大量にバラ撒かれていると思うと、理系の学問は危機に瀕していると言わざるを得ない。