俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

血液型(5)

2013-08-12 08:46:09 | Weblog
 10日付けの「占」で書いた血液型と性格の相関性について補足説明をする。
 血液型と感染症との相性は様々だが、概してA型とAB型は多くの感染症に弱く、O型とB型は強い。
 性格も様々だが、議論を簡単にするために、慎重と大胆という2種類に絞る。
 こうすれば人を4種類に単純化して考えることができる。組み合わせは次の4つだ。①感染症に弱く慎重②感染症に弱く大胆③感染症に強く慎重④感染症に強く大胆。
 この場合、明らかに不利なのは②だろう。従って感染症に弱いグループは「慎重」という戦略を選ばざるを得ない。
 ③と④では優劣は無いように思えるが、「慎重」という戦略を採るグループが他にもいるのだから「大胆」という戦略を選んだほうが競争上有利になるだろう。
 私は決して血液型に性格を決める遺伝子が付随すると考えている訳ではない。血液型とは実は免疫機能の違いであり、背の高低のような量的な違いではなく質的な違いだ。たまたま血液でその違いが見つかったために今でも「血液型」と呼ばれ続けているが、この呼称は事実を矮小化して誤解を招いている。血液型の本質は全身の免疫系統の違いなのだからむしろ「免疫型」と呼んだほうが適切だろう。
 免疫のタイプが異なる人にはそれぞれに最適の戦略があり、個人がその戦略を採ったほうが有利であるのと同時に、血液型と脳が最適の組み合わせになったグループはその方向に進化する。その結果として血液型別の性格類型が現れる。血液型=免疫型は性格を方向付ける要因ではあるが決定因ではない。これは因果ではないから私は相関性と呼ぶ。

個人商店

2013-08-10 10:59:36 | Weblog
 個人商店が廃れるのは当然のことだ。それは大規模店(スーパー、デパート、コンビニなど)と比べて明らかに不利だからだ。
 個人商店の優位性は1つしか無い。それは一国一城の主であることだ。稼ぎが増えれば自分の収入も増える。このインセンティブはサラリーマンによる商売に対する大きな優位性となる。
 不利性は無数にある。後継者、知名度、資金力、宣伝力、情報力、etc.etc.・・・。
 唯一の長所も大きな弱点となり得る。経営者の資質が高ければ良いが低ければどうしようも無い。大規模店なら上司が指導したり担当者を変えたりできる。ところが個人商店ではそれは不可能だ。結局、無能な商店主が我流の商売を続けることになる。
 単独店舗の場合、品揃えにも大きな欠陥が生じ得る。既存客しか見ないからだ。今、来ていない客の市場のほうが大きくても現在来ている客しか見えない。
 こんな経験がある。水着を買いに行ったところブリーフ型が1枚も無く、総てトランクス型とロングパンツだった。事情を尋ねたところ「うちではこのタイプしか売れない」とのことだった。唖然とした。トランクス型とロングパンツしか置いていないのだからそれらしか売れないのは当然のことだ。彼らは店頭での情報しか知らない。マーケットリサーチなどしようとも思わない。屋内プールでは確かにそれらが主流だが、屋外で泳ぐ人はブリーフ型のほうが多いということを知らないのだろう。
 変な味付けの飲食店でも同じようなことが起こる。その味が気に入った変な味覚の人しか来ない。普通の味覚の人は二度と立ち寄らないから必然的に廃れる。
 都会なら、偏った品揃えがその店の個性ともなり得る。しかし田舎でこんなことをすれば「変な店」としか評価されない。こうしてジリ貧になる。個人商店が廃れてコンビニのフランチャイズ店になるのは当然のことだ。

2013-08-10 10:32:04 | Weblog
 私は血液型占と星占を頭から否定しようとは思わない。幾らかは妥当性があると思っている。勿論、星座が人の運命を左右することなどあり得ない。そんな馬鹿馬鹿しい話ではなく、幾分科学的な根拠を持ち得る要素がありそれを評価する。
 血液型についてはこれまでに何度か書いているように、血液型と病気には相関性があり、病気と性格にも相関性がある、従って血液型と性格は相関する、ということだ。具体的には、感染症に弱いA型とAB型は清潔好きな性格を併せ持ち易く、強いO型とB型は大胆になる、ということが典型例だ。
 星占で重要なのは星座ではなく誕生時期の特性だ。5月6日付けの「初等教育」に書いたことだが、早生まれの人は一流のスポーツ選手にはなりにくい。これは星座による運命ではなく、学年内での競争が原因だ。早生まれの人は遅生まれの人よりも幼いので体力面でも劣り、それが後々まで影響する。
 もう1つの要因は親の計画性だ。出産のために良くない月は1・2月と7・8月だろう。それぞれ寒過ぎる・暑過ぎるからだ。計画性の高い両親ならこれらの期間以外に出産できるように調整するだろう(なお私は4人兄弟でその内3人が2月と7月生まれだ)。
 私はオカルトは嫌いだが科学信仰も同じくらい嫌いだ。科学信仰とは現在の科学を万能と信じて現在の科学では分からないことを迷信と決め付ける偏狭な考え方だと思う。科学以前のもののほうが科学よりも正しいということは充分にあり得る。麻薬犬はその一例だ。最新の検出機器よりも犬の鼻のほうが正確に麻薬を嗅ぎ当てている。しかしこれはあくまで現時点での科学技術の敗北であって科学そのものの敗北ではなかろう。いずれは犬の嗅覚に勝てる時が来るだろう。それまでは犬の鼻に頼らざるを得ない。

マナー

2013-08-08 09:57:48 | Weblog
 近年、世界中の観光地で中国人のマナーの悪さが問題にされている。エジプトの遺跡に落書きをするわ、ホテルの備品(テレビまで)を盗むわ、航空機内で暴れるわ・・・こんな例を挙げれば切りが無い。
 こんな時に便利なのはアメリカの旅行会社エクスペディアが発表する「ベストツーリスト」だ。残念ながら2010年以降は発表されていないようだし、2009年版ではそれまでのワーストの常連だった中国人とインド人が対象外にされている。2008年版のワーストはやはり中国人で、インド人、フランス人と続く。
 ではなぜ中国人はこんなにマナーが悪いのだろうか。まず考えられることは中国が文明国ではないということだ。少なくとも西洋文明を充分に理解しているとは思えない。それなのに経済大国になってしまったことで、文明度と意識との間にギャップが生まれている。
 もう1つの理由は中国文化そのものにあると思われる。中国はルールの国であってマナーの国ではない。人民を支配するための「法」はあっても人民のための「法」は無く、倫理性を高めようという意識が中華文化では欠落しているようだ。仏教がその欠陥を補完していたのだが残念ながら衰退してしまった。勿論、儒教には「礼」という重要な概念がある。しかし日本語の礼儀とは全然違って、これは身分差に基いて権威主義的に秩序を作り出そうとするものであって、平等や対等といった考え方は完全に欠落している。聖徳太子の時代から「和を以って貴し」とした日本とは顕著に異なる。
 日本人は昔から「話し合い」や自治を大切にしていた。中国のような権力者による統治国家ではない。日本は世界でも稀な女性原理に基く協調社会であって中国のような男性原理の競争社会ではない。このことが世界一レベルの高いマナー社会を育んだのではないだろうか。
 因みにベストツーリストには毎回日本人が選ばれている。最早、農協ツアーやキーセン観光の時代の恥ずかしい日本人ではない。いつまでも卑下してばかりではなく誇りを持っても良いのではないだろうか。

真と善

2013-08-08 09:22:03 | Weblog
 残念ながら真と善が予定調和する訳ではない。汎神論の立場を採らない限り真=善とはならない。しかし真と善には密接な関係がある。
 真のためには善(倫理性)が必要だ。客観性や謙虚さ、言い換えれば自らの誤りを認める勇気と誠実性を欠けば真に至ることはできない。自分とは異なる意見を正しく理解して弁証法的に止揚できなければ真に到達することは不可能だ。
 善のためには真が不可欠だ。真を欠いた善は危険だ。ナチスやオウム真理教が信じた善は限りなく悪に近い。善は事実に基かねばならない。
 異論はあろうが、働かなくても全員が豊かな暮らしを満喫できることは1つの理想だろう。しかしこの理想は実現不可能だ。誰も働いていなければ快適な暮らしはあり得ない。理想は現実的でなければならない。
 かつて進歩的文化人と称する、事実よりもイデオロギーを優先する奇妙な輩がいた。彼らは共産圏のやることは総て正しいと信じて、今では中国でさえ否定している文化大革命や批林批孔を絶賛し、北朝鮮を「地上の楽園」と讃えたものだ。彼らはこれらの誤謬をどう総括したのだろうか。
 事実重視者の中には否定主義者もいる。例えば人の美しさは皮膚1枚であり皮膚を剥がせば化け物になる。彼らはこのことを根拠にして「人の本質は醜い」と言う。しかし皮膚を剥いだ姿が真実であるように皮膚を纏った姿も真実だろう。どちらかだけを「真の姿」と決め付けるべきではなかろう。人の体内には汚物がある。それでも人間はただの汚物袋ではない。

医療

2013-08-06 09:36:58 | Weblog
 日本の医療は薄利多売のビジネスだ。そんな馬鹿な、と思うかも知れないが、国際比較をすればこのことは明らかだ。そしてこれが日本の医療システムの問題点だ。
 日本の一人当たりの医療費は3,213ドルでOECD参加国の平均以下だ(OECD「ヘルスデータ2013」より)。その一方で外来受診件数は一人当たり13.2件で平均の2倍以上だ(2009年のデータ)。医療費は単価×件数だから、日本の医療単価は平均の半分以下ということになる。
 これが国民皆保険によって低価格で高度な医療を受けられているという意味なら問題は無い。しかし実態は全然違う。治療を受ける必要の無い人の医療に医療費の大半が使われている。
 どんな患者が救急車で運ばれているかご存知だろうか。一番多いのは何と急性アルコール中毒だ。自己責任と思える飲み過ぎの酔っ払いに救急医が振り回されている。
 どんな人が外来に多いかは多分ご存知だろう。大半が風邪と生活習慣病だ。欧米では風邪で受診する人は殆んどいないし、薬も処方されない。「安静にせよ」と注意されるだけだ。私はこの対処が正しいと思う。風邪薬は症状を緩和するだけで治療効果は全く無いからだ。
 生活習慣病の患者も大半が贋病人だ。自覚症状は無いのに検査数値がほんの少し高いという理由だけで「予防のために」薬を飲み続けている。この数値の基準はかなりいい加減なもので、健常者まで病気予備軍として扱っている。
 単価が低く抑えられているから医師はこんな贋病人を大勢相手にして数で稼がざるを得なくなる。こんな状況だから3分間診療が横行して、本当に病気の人がまともな治療を受けられない状態になっている。

Yの悲劇(2)

2013-08-06 08:51:58 | Weblog
 完全型アンドロゲン不応症の人は2種類いてどちらも美しい女性だ。但し遺伝子がXXなら出産能力があるがXYなら石女(うまずめ)になる。
 完全型アンドロゲン不応症がどの程度遺伝するかは知らない。仮に100%遺伝するなら彼女の子供は総て美しい女性になる。但し確率的にはその半分がXYの遺伝子を持つ。
 この先天性障害のことを知った時、私は少なからずショックを受けた。実はそんな美女について心当たりがあるからだ。
 彼女は私がこれまでに出会った中で最も美しい女性だ。周囲からはいつ芸能界にデビューするのかと噂されるほどの美女だ。しかし彼女には大きな欠陥があった。膣が塞がっていたのだ。外見は正常あるいは整った形の比較的綺麗な性器だ。しかし膣の奥行きが殆んど無かった。従って挿入することはできず、お互いに愛撫し合っていた。性交はできなくても男女としての肉体関係は可能だった。
 彼女の体について尋ねることは流石に憚られた。しかし彼女は自分が女ではないと自覚していたのではないだろうか。
 XYの遺伝子を持つ女性が男っぽかったら全然不思議には思わない。しかし彼女の場合、信じられない話だが、最高に女性らしい。男性ホルモンの影響を全く受け付けない、つまり女性ホルモン100%の「男性」だからだ。あらゆる病気は不条理なものだが、この完全型アンドロゲン不応症という先天性障害こそ最も呪われた病だ。完璧と思われる美女が実は遺伝子としては男性だということなど一体誰が納得できるだろうか?

見た目

2013-08-04 11:39:29 | Weblog
 食べ物は美味しそうであることが必要だ。見た目が美味しそうでなければ食べてみる気にはなれない。その意味ではフィリピン料理は最低レベルだろう。魚や肉の断面は汚くソースは黒っぽい。しかし必ずしも不味い訳ではない。
 むしろ美味しそうに見えて不味い料理のほうが困る。着色料と香料で食欲をそそって、食べてみれば不味ければ幻滅する。料理にとって見た目も重要だが価値を決める絶対条件ではない。
 女性の容姿は重要な条件だ。容姿が良ければそれだけで評価は高まる。しかし付き合ってみて性格の悪さが分かれば幻滅する。
 あくまで私の知る範囲での話だが、頭の悪い美女のほうが性格の悪い美女よりも多いように思える。頭の良し悪しはある程度客観的に判断できるのに対して、性格の良し悪しはかなり主観的なものだからだろう。美女であるだけで男による評価は大甘になる。
 それだけではない。可愛がられて育てばいじけることが少なく素直な性格になるだろう。私のような素直でない性格の男にとっても素直な女性は好ましい。
 体型も人格を反映する。手足の長さは生まれつきで変えられないが体型は自分で決められる。生活習慣は自分の意思で変えられるからだ。細過ぎる人も太過ぎる人も間違った生活習慣を持っているだろう。そして多分、栄養学の知識も不足しているだろう。
 綺麗な顔立ちは少なからず遺伝によるものだが、綺麗で健康的な体は彼女の努力や自制などの賜物であり精神性を反映している。従って常識やリンカーンの言葉とは逆に、美しい顔よりも美しい体のほうが価値が高いと私は思っている。これは決して私がスケベだからではないと思う。

ブラックバス(続生態系)

2013-08-04 11:15:47 | Weblog
 あちこちの湖でブラックバスの駆除が行われているが、これは絶対に成功しない。仮に99%を駆除できても、つまり1,000尾の内990尾を駆除しても、ほんの10尾が生き残れば繁殖するからだ。放っておいても生態系のバランスによって淘汰されて一定量以上に増えることは不可能なのだから、むしろ新しい資源として活用してはどうだろうか。
 ブラックバスは海魚のスズキから進化して川魚になっただけにかなり旨いらしい。ところが駆除しようとする公務員はこのことを隠そうとする。それはブラックバスが旨いということが知れ渡れば駆除に反対するグループが増えるということを彼らは恐れるからだ。 現在のやり方は役所が駆除費を予算化して駆除している。反対派が増えれば予算が削減あるいは廃止されかねない。そうすれば仕事を失う。だから駆除反対派を親の敵のように毛嫌いする。明らかに、駆除することではなく駆除作業という仕事を守ることが目的になっている。
 駆除反対者の多くはブラックバスの「魚権=生存権」を守れなどと主張している訳ではない。食資源・レジャー資源であるバスが無駄遣いされていることに怒っているのだと思う。
 役所はできもしない駆除から手を引くべきだろう。むしろ釣り人や漁師に開放して、更に名物料理を育てることに協力することが最善の対策だろう。そうすれば税金を1円も使わずにブラックバスを減らし、同時にレジャーと漁業と食文化に貢献して地域振興にも繋がる。役人共から無駄な仕事を取り上げるだけでこんなに良いことずくめになる。

歩道の自転車(4)

2013-08-02 09:42:22 | Weblog
 路上で69歳の老人を殴って死亡させたとして千葉県の19歳の少年が先月28日に逮捕された。
 事件の顛末はこういうことだ。老人が犬を連れて散歩をしていた。後ろから来た自転車の少年がベルを鳴らしたが老人は道を譲らなかった。追い抜いてから少年が老人を睨み付けたことから口論になり、老人は顔などを殴られて転倒して死亡した。
 この事件の最大の留意点は、少年が道路交通法を知らないことだと思う。歩道の優先権は歩行者にありその同伴者であるペットにも多分認められるだろう。優先権を持つ歩行者に道を譲るように強いることはできない。違法行為をした者が適法者を睨み付けるなど以ての外だ。これは泥棒が被害者に悪態を吐くような行為であり、老人が怒るのは至極当然のことだ。
 早い者に優先権があると思うのは間違いだ。路上だけではなくプールでも時々見掛けるが、早く泳ぐ人は遅い人を馬鹿にして邪魔者扱いをすることがあるが、前を泳ぐ人に優先権がある。後ろから追い付いた人が方向転換をするのが正しい対応だ。
 歩行者が2列・3列に並んで歩いていればベルを鳴らして警告することまでなら許されよう。しかし道を空ける義務は多分無かろう。歩行者が道を譲らなければ自転車は車道に逃れて通行せねばならない。
 犬を連れた老人の場合、犬と縦一列に並ぶことはかなり難しい。横に並んだままで歩くことはやむを得まい。追い抜きたいのなら自転車の側に回避義務が生じ、車道へと迂回して走らねばならない。
 違法行為をしながら自分が正しいと思っている者は迷惑極まりない。法律を学ぶことは国民の義務だろう。自転車事故が多いのは道路交通法を知らない人が多過ぎることが大きな要因になっている。