始まりは突然に・・・・これはいつものコトだが、黄砂絡みで始まったのは、人生初。
いつもよりは、若干遅めに始まった感じだったけどね。
症状はドーだったかといえば・・・
ひどいときは、本当にひどく
楽なときは、ホントにラクだった。
こんな年って、そうそう無かった。
そしてヒノキ花粉を意識させたのも今年だし。
あと半月ぐらいの辛抱かな。
そして、イネ科の花粉症は、なにとぞ穏やかであることを祈るばかりか・・・・
【超グダグダな自虐ネタなので、この記事は是非とも読まないで頂きたし候】
最近、本当に厳しい生活をしている人を間近にみたり、
報道番組で、そのような実態をドキュメンタリーにて放送していたりするのを見ると、
いかに自分が甘い生活をしてきたのかと身に染みている。
早いときから、自立していればなんてことはなかったのかも知れないな・・・・と。
せっかく受かった大学も、オリエンテーションの時点で挫折して、
なんとなく正社員で今の職場に勤めはじめた.........
いつの間にか、大学を辞めて、
仕事の面白さを知ったときに、まともなカノジョが出来たんだった。
20代前半、当時のカノジョに狂った。
自分の生活を顧みず、土日は仲間とも散々遊んで、
平日は毎日当たり前のようにカノジョと遊んだ。
仲間達も同じように過ごしていたと思ったけど、オレは仲間達よりも安定した仕事をしていた見返りに、超安月給のため貯金なんて全く出来なかった。
んで、
そのカノジョとは長く付き合ったこともあり
結婚しようと思っていたけど、アッサリ逃げられた。
結果的に、お互いにソレは正解だったけどね。
仲間達は、同じように過ごしていたけどオレより全然賢く生きていた。
遊びながらも、しっかり蓄えは備えていた。
単にオレが背伸びをしていたのだろう。
オレよりも高級車に乗っていたり、オレよりも裕福なヤツもいたけどさ。
悔しいと思ったことはなかったことが救い。
おかげで良い思い出もいっぱい残った。
その後も、自立せず親のスネをかじりながら、好きなように恋愛もしたり、好きなように遊んだりして、30前後まで生きた頃・・・・・・・弟が死んだ。
ちょうど、オレが家を出る計画が煮詰まった頃だったのだが、家を出られなくなった。
そして、家にいながらにして家にいたくなかったという環境になった。
無駄にお金を使いながら、時間を潰し深夜に帰宅していた。
そして、僻地への仕事となった。
このタイミングで家を出ようと決めた頃、もう一人の弟が、事故に遭遇。
また、現実逃避のための時間潰し生活が始まった。
気づいた頃には、仲間達や気の合う同僚は、周りからいなくなった。
別に喧嘩したわけでもなく、周りが結婚したり遠方へ引っ越ししたり、仕事が繋がらなくなったり・・・・・・・
そして、本当の不況が訪れた昨今、
カネがない今の生活を人のせいにしたり、政治のせいにしながら、
生きてきたツケを味わっている。
正社員なのに。
低所得者層の人間じゃないのに。
人から見て、オレは贅沢な暮らしをしているかも知れない。
人から見て、オレは不幸な星回りのように見えているのかも知れない。
上を見れば、上がいて
下を見れば、まだ下がいる。
ノーガキや文句を言うのはカンタンだ。
家族の不幸のせいにするのも卑怯だが、カンタンだ。
現実逃避するのもカンタンだ。
ダレた生活をするのもカンタンだ。
今、何をどーして生きていこうかを考えるよりも
どーやって生きていこうかとい有様になっていることが、
切ない。
自分が甘すぎたことに気づくのが遅すぎた?
いや、まだ気づいていないのかも知れない。
未だに、その場しのぎの生活をしているから。
やはり、今までのツケが大きすぎる。
そう考えながらも、とりあえずは、家族に何か恩返しをしないといけないと思っている自分がいる。
まったく都合の良いヤツだ。
どうせ何も出来ないのに。
・・・・・・・
あーーー
やっぱり、支離滅裂な記事になってしまった。
でも、たまにはいいか。
そんなコトをズラズラ書くために開局したブログでもあるからね。
どーでもいいことだが
オレの手相では、結婚線が20代前半と40ちょうどぐらいに伸びている。
この二本だけある結婚線が、オレに明るい兆しを与えてくれているように思おう。