Naked a STYLE (サブログ)

映画レビュー、ニュースネタを中心に、自身のメンタルチックな話題を絡めて、ノージャンルで書き綴るぜぃ~

右眼手術後の今、そして忌々しい入院の記憶をご紹介【入院編】

2024年10月30日 11時59分59秒 | Weblog

<手術編からのつづき>


【あの入院生活を振り返る】


さて、自分が経験したトンデモ入院体験をご紹介したい。
当日、自分に用意された部屋は、眼科患者メインのフロアであって、いわゆるタコ部屋だった。


タコ部屋とはいいながら、最大6名のスペースであり、デブには寝返りがギリギリできるベッドと小さなテレビのある小型の机だけの一般的な部屋だ。


加えて180センチのオレには長さもギリギリなベットであり、両隣は75歳の心臓系患者、向かい側は内蔵系二名、眼科一名でいずれも65歳超のご老体だった。


つまり、眼科特化フロアなのに、他の疾患患者と相部屋であり、それがかなり面食らったものの、なにぶん入院自体が人生初だから、こんなこともあるのだろうと割り切った…のだが。



【そこはあまりにも狂った世界だった】


当たり前のことが出来ないボス的な患者がオレの左隣であり、外野で聞いている限り、三ヶ月以上入院中とのこと。
そのクソジジイは、部屋で電話など禁止、テレビもイヤホンで視聴&22時消灯のルールなんかガン無視。


おまけに起きたら電気カミソリでヒゲを剃り、夜中もテレビを観て、イヤホンはしているものの番組の内容に一喜一憂して大声を出すものだから、当然こちらは寝られないし、イヤホンであることの意味などない。


さらに、このクソジジイはお構いなしに屁をこくため、コッチが食事中だろうが関係なく放屁するので堪らない。
当病院は夜中もコンビニが開いていることもあって、時間帯に限らずスポーツ新聞ガサガサ、物を食べちゃグチャグチャととにかく騒音が絶えない。


音の発生源は、その左のクソジジイだけではなく、オレ以外の5名は定期的な点滴があるから夜中であろうが看護師が対応するから、誰かが点滴タイムになれば自動的に全員が起こされる。


加えて、誰かが大いびきで寝れば目が覚めるし、排泄困難者もいるので、ベッドの上で排便対応の患者が音声付きでそれを行えばワナワナして目が冴えることなんかしばしば。


日中だって、リハビリと称したおもちゃを大騒音で夜以外にガチャガチャ鳴らす患者もいるし、左のクソジジイが子供のように看護師に下手くそを怒鳴り、喚き散らすのだから寝られる時がない。


しかも自分は、目玉を上にあげて寝てはいけないので、うつ伏せで寝るか上体起こしをした状態で寝るかの二択だから、そう簡単に寝られないところにそんな状況だから、寝るタイミングがない。


そのため、自分は隣のテレビがある共有スペース(ロビーみたいなところ)で入院中のほとんどを過ごしたし、夜中も抜け出して、その部屋のベンチで寝ていた。


真っ暗なロビーで寝ていたオレを、夜中に何度か看護師が探しに来たが、ベッドに戻るように言われなかったのは、指定の就寝体位のこともあるけれど、色々察してくれたのかもしれない。



【あのクソジジイさえいなければ】


そうはいっても、病院にはルールがあり、ルール以外にもモラルはある。
ところが、そのクソジジイは社会共同生活に必要なすべてのものを持っていなかった。


たとえば、さきほどの共有ロビーでオレがテレビを一人見ていたら、勝手にチャンネルを変えて音量を上げて、プロ野球の情報にバカ騒ぎしたり。


また朝方に背中がかゆいと騒ぎ始め、シャワーに入れさせないお前らのせいだと看護師へ喚いたかと思えば、医者が認めていない自前のクリームを素手で塗らせる始末。


モラハラ以前に数時間おきに行われる子供以下の蛮行の数々に、オレは気が狂う寸前だったと思う。
さらに悪いことは、そのジジイの悪影響が広がっていたことだ。


同部屋の連中がそういうことをしていいものだと勝手に理解する年寄り連中も現れてくるという負の連鎖があったということですわ。


今までトイレでひげを剃っていた連中がベッドで行うようになったし、自分で食事のお膳を下げていた人たちも、ナースコールで呼びつけて下げ膳させたりとカオス・・・というか、世の末を見させられていた。



【オレもよく耐えた気がする】


こうしたことから初日から何度もブチぎれそうになったのだが、気丈にふるまう看護師さんや適当に往なす看護師さんらを見ていたら、自分が耐えなければならないのかと必死に耐えた。


ただ、あまりの暴言に一回だけ看護師さんが泣いてしまった場面に遭遇したときは、拳を強く握ったところまで感情が高ぶったのだが。



【たった一人の理解者?】


オレと間髪変わらず入ってきた眼病の患者さんは、オレより一回り上の先輩だった。
その先輩は、このカオスと化しているタコ部屋に一切異に感じていないらしく、そんなものだと割り切っていた。


唯一、オレと同じ眼病系なのと生活行動範囲も近かったので、先方からの一方的ではあったが、唯一病院でたくさん会話した人となった。


彼は難病指定の病気らしく、加えて病例もないので長い入院生活になることを覚悟していたし、一人親方の仕事をしていたらしいので、これを機に廃業を決めたらしい。


まあもし、誰とも会話することなく入院生活が続いていたら、本当に狂ったかもしれない。
それほど、毎日毎時間がカオスだったのよ。



【退院日がこれほど嬉しいとは】


最低一週間の入院と言われていたところ、医者が言うには手術も順調で術後も安定していたこともあって、4日の入院で済んだのは、まさにそれが宣告されたときは神のお告げかと思ったほど。


もちろん、退院時にはその先輩とナースステーション近くにたまたまいた第3日目にオレの洗えなかった頭髪を洗髪してくれたきれいな看護師さんに挨拶して、病院を辞去したのだけど。


まあオレの左手に4日間付いていたリストバンドがナースステーションにてハサミが入った瞬間こそ、もっともホッとしたんだけどな。


もうあんな入院生活はごめんだわさ。
もし次回があるなら宝くじが当たってお金持ちになって、一人部屋で静かに過ごしたいものだわ。



(それほどまでの入院生活を過ごしたので、もし次の入院生活が待っていても、それ以下はないだろうという期待もある。一番いいのは、もう入院しないことなのだけど・・・ま、そうもいかんだろうな。)



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