【大切な事とは分かっていても】
よく当方のSNSでは、自分自身に友だちがいないことを自虐ネタとして取り扱っていることがあるけれど、厳密にいうと、自分から飲みに行こうとかメシに行こうと誘える仲間がいないだけで、広義的に友だちとして属するカテゴリーにいる方は当然わずかだが存在する。
しかし思い返せば中学高校時代から、そうした友人といえる人は存在しておらず、これまで完全に受け専門の付き合いをこの齢まで続けてきたから、当然それはそのような関係性にしかなっていない。
そのため、プライベートではおひとりさま生活を長々と続けてきたわけで、時に淋しいと思うけれど自身の性格から積極的に人を誘うことはできないタイプなので、もはや諦めているところ。
そういえば、母親はメチャクチャ社交的だったが、父親はまさにオレと同じで友だちゼロのタイプだから、どうやらオレはそちらの血筋を引いたようだ。
でもまあ、それを諦めたがら今があるわけで、今思い返しても、恋人となった人であっても自分から誘うことってほとんどなかった気がするのは、最近になって気づいたことだ。
(今振り返っても、小学生のころから友だちは少なかった。身近に兄弟がいたこともあるだろうな。)
【こうして思えば】
自分には、つまりお気軽に声を掛け合える友だちがいない人生を歩んでしまったが、健常者でありながらこんな生活って、かなり失礼なライフワークをしているのでは?と思うようになったのも事実。
実弟が体が不自由であることもそうなのだが、今後の人生においてもっとすべきことがあるような気がしているという感覚なのかな。
過去ログでも少し綴ったけれど、ある日、何かのきっかけで友だちの存在ということを強く考えるタイミングが生じる。
それは今回に限れば、グルメブログを綴っているときだったんだけどね。
まあ好きなようにすればいいと割り切っていることもある反面、長い居酒屋探訪生活などでは「きっとひとりじゃなかったらもっと楽しいお酒なのだろうなぁ」と感じる場面にもよく遭遇するようになった。
さすがに近年では、おひとりさまが恥ずかしいとは感じにくくなってきたが、出掛けるたびにひとりであることのメリットが感じにくくなった気がしているから、たまにこうして記事にしているのかもしれない。
(その結果が今に至るわけなんで自業自得。たまに居酒屋で様々なグループが楽しそうに飲み交わしているのを見ると、本当に微笑ましく思うし、逆に心苦しくも思うんだよ。)
【うまくまとめられないけれど】
過去にもコメントしたけれど、友だちがいない人生より、いる人生のほうが、人生の後半になってくるほど楽しいはずなのだ。
うまく友だちが作れる人は、いくつになっても人付き合いが上手だから、年老いても不安はなさそうだが、オレみたいなヤツだと、若いうちに見通しというかそれを決着しておかなければ、その後絶対に後悔する人生が待っているだけなんでね。
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