電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

曼珠沙華、花言葉は「悲しき思い出」

2004-09-13 09:01:59 | 自然・風物・科学
 日高市にある巾着田の曼珠沙華(マンジュシャゲ)が咲き始めた。私も昨日行ってみた。今年は暑い夏だったので、開花時期が遅れるという話だったが、8月下旬から9月上旬にかけて、涼しい気候であったため、予想以上に早い開花となったようだ。「巾着田(きんちゃくだ)」というのは、「日和田山から眺めると、巾着のように見える」からだそうで、地図で見ても高麗川に囲まれた湿地帯(昔は全て水田)は、確かに巾着のようだ。
 
 日高市は、妻の実家であり、飯能の自宅から車で15分も運転すれば、着く。しかし、曼珠沙華が咲き始めると土・日の交通は完全に麻痺してしまう。だから、地元の人は、その時期、巾着田に近寄らない。私も、飯能市に転居してから初めての訪問だ。東京に住んでいた頃は、ちょくちょく行っていたというのに。ところで、どうして、巾着田に日本一といわれる曼珠沙華(彼岸花)の群生ができたのかははっきりしていないが、「日高・巾着田」では次のように説明している。実際、妻が子どもの頃は、藪が茂っていただけだそうだ。
……歴史的には昭和40年代、巾着田が当時の日高町の管理に移された時、藪や竹林、あしに覆われた現地を整理したところ、秋9月一斉に曼珠沙華が咲き揃い、多くの方の関心を呼ぶようになりました。
巾着田周辺に群生地が形成された理由については、巾着田は高麗川の蛇行により長い年月をかけて巾着の姿をした耕地が形成されたものですが、河川の増水等により流れてきた漂流物の中に混じってきた球根が漂着し、根付いたものと考えるのが妥当と考えられます。
現在は、巾着田管理協議会により、曼珠沙華の塊根を掘り起こし、これをほぐして10球から15球を1株として移植することにより群生地の拡大をはかっています。また、6月、7月、8月と草刈を行い群生地の管理を行っています。
 さて、曼珠沙華だが、別名「彼岸花」ともいい、昔は「死人花(しびとばな)」とも呼ばれ嫌われたそうだが、「はなしぐさ」ということもあるそうだ。「彼岸花の一生」によると、その名の通り、真っ赤な花を咲かせている曼珠沙華には、茎(花茎)はあっても、葉はない。しかも、お彼岸の時期になると、1日に10センチ近くも伸び、すぐに花を咲かせるようになる。普通の植物なら、葉がないと光合成ができず、成長ができないのに、なぜ曼珠沙華は、それが可能かというと、球根に蓄えられた養分で成長するからだそうだ。そして、花が散ると今度は葉が伸びてくる。外の植物は冬になり枯れてしまうところを、曼珠沙華は翌年の春まで葉を茂らせ、球根に栄養を貯蔵するのだという。そして、春が終わると秋まで、暑い夏は休眠するという。何とも、面白い花だ。

 曼珠沙華というのは、梵語で「赤い花」を意味するそうだが、韓国語では、「サンシチヨ」といい、漢字で「想思華」と書く。近鉄のHPにある「花だより」の中の「彼岸花の名所」の項に、この韓国名について味わい深い解説がある。
……彼岸花はまっすぐな茎の上に花だけをつける。葉は花が散って後にゆっくり生まれ出る。 韓国名はロマンチックだ。サンシチヨと呼び「想思華」と書く。1本の茎を共有しながら花と葉は決して出会うことはない。花は葉を想い、葉は花を思い焦がれているから「想思華」。
彼岸花が野や里に朱を散らすと、爽やかな風とともにしのびやかに秋がやってくる。


コメント (3)
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