毎日新聞によれば、縣(あがた)秀彦・国立天文台助教授らの調査によって、小学4~6年生の約4割は「太陽が地球の周りを回っている」と考え、半数以上は月の満ち欠けの理由を理解していないなど、基本的な天文知識を欠いていることがわかったという。縣助教授は「現在の小学生の学習内容は極めて不十分」として、学習指導要領の修正を提案しているという。
私は、この記事を読んだとき、子どもが地動説を理解していないのは指導要領だけのせいだけではないような気がした。我が家の3年生の息子に尋ねたところ、「地球は、太陽の周りを回っている」と答えた。我が家ではNHKの科学のドキュメンタリー番組が好きで、よく見ていた。だから、自然と子どもも地球に興味を持った。恐竜が滅びたのは大隕石の落下があったからではないかというような説も知っている。つまり、彼は、そこで、地球の成り立ちや、太陽系、銀河系のでの位置などの知識を得たようだ。それから、ウルトラマンや機動戦士ガンダムなどのアニメ、またスターウォーズなどからでも、そうした知識を広げたはずだ。
ガリレオが地動説を唱えるためにどれほどの知識を必要としたかで分かるように、天動説から地動説に変わるためには、普通の自然体験などではとうてい理解することができないし、小学生の持つ学力では説明することも難しいように思う。しかし、直感的な映像の力で、子供たちは地動説を理解してしまうと思う。地動説を知識の体系として身につけるのは、多分小学生では無理だと思う。ただ、人工衛星や月ロケット、火星探査ロケットなどの知識や映像が積み重なることにより、直観的に地動説を前提とした宇宙の姿を理解できるようになると思われる。もちろん、その原因としての「引力」については完全に理解できないとしても、この段階では仕方がないと思う。
私は、子どもが「天動説」のレベルなのは、指導要領や小学校で教えていないのではなく、ましてや自然体験がないのではなく、単に「地球や太陽や銀河系」に対する興味がないことが理由のような気がする。興味さえ示せば、すぐにでも、「地動説」を知ることができる情報や映像がこれほど氾濫している時代はないからだ。もちろん、なぜ、そうした理科的なことに興味をしめさなくなってしまったかは、問題である。この記事については、seigoさんが「The Journal of Seigology」で丁寧な解説を書いている。私なりにまとめると、次のような主張に整理できると思われる。
その通りだと思う。小学校でも様々なおぞましい事件が起きている。確かに、「心の危機」であるかもしれない。しかし、あまりに「心の教育」と言うことが強調されて、「知の力」を軽視しているのだ。と言うより、現状では、「心の教育」ということさえおぼつかない。授業がしっかり成立していないことさえある。だから、「知の教育」など、かまっていられないという傾向さえある。逆なのだ。まず学校で「知に教育」をしっかりやれば、本当の「心の教育」も可能になるのではないかと思う。
小川洋子さんの『博士の愛した数式』(新潮社)を読んでみればいい。私は、主人公の家政婦の「数」に対する興味の示し方がとても面白いと思うし、数学の面白さとはそういうものだと思う。つまり、彼女は「知」の中の本当の楽しさを味わっているのだし、学ぶということはそういうことだと思う。地球の不可思議な現象や美しさ、素晴らしさに気づき、それに対する興味・関心を持つことこそが、理科での「関心・意欲・態度」といえるのであって、それ以外に、「関心・意欲・態度」があるのだろうか、という気がする。それぞれの教科の本当の面白さを教えることができるようになれば、子どもは変わると思う。
……縣助教授は2002年施行の現行の学習指導要領では、地上から見た太陽、月、星の動きの観察といった天動説的な内容しか扱っていない点に問題があると指摘。次回の改定時には「太陽、月、地球が球体であることや、その全体像をきちんと教えるべきだ。地上から見た天体の動きと宇宙での位置関係を正確に理解できるようにしてほしい」と話している。
私は、この記事を読んだとき、子どもが地動説を理解していないのは指導要領だけのせいだけではないような気がした。我が家の3年生の息子に尋ねたところ、「地球は、太陽の周りを回っている」と答えた。我が家ではNHKの科学のドキュメンタリー番組が好きで、よく見ていた。だから、自然と子どもも地球に興味を持った。恐竜が滅びたのは大隕石の落下があったからではないかというような説も知っている。つまり、彼は、そこで、地球の成り立ちや、太陽系、銀河系のでの位置などの知識を得たようだ。それから、ウルトラマンや機動戦士ガンダムなどのアニメ、またスターウォーズなどからでも、そうした知識を広げたはずだ。
ガリレオが地動説を唱えるためにどれほどの知識を必要としたかで分かるように、天動説から地動説に変わるためには、普通の自然体験などではとうてい理解することができないし、小学生の持つ学力では説明することも難しいように思う。しかし、直感的な映像の力で、子供たちは地動説を理解してしまうと思う。地動説を知識の体系として身につけるのは、多分小学生では無理だと思う。ただ、人工衛星や月ロケット、火星探査ロケットなどの知識や映像が積み重なることにより、直観的に地動説を前提とした宇宙の姿を理解できるようになると思われる。もちろん、その原因としての「引力」については完全に理解できないとしても、この段階では仕方がないと思う。
私は、子どもが「天動説」のレベルなのは、指導要領や小学校で教えていないのではなく、ましてや自然体験がないのではなく、単に「地球や太陽や銀河系」に対する興味がないことが理由のような気がする。興味さえ示せば、すぐにでも、「地動説」を知ることができる情報や映像がこれほど氾濫している時代はないからだ。もちろん、なぜ、そうした理科的なことに興味をしめさなくなってしまったかは、問題である。この記事については、seigoさんが「The Journal of Seigology」で丁寧な解説を書いている。私なりにまとめると、次のような主張に整理できると思われる。
1 地動説を子どもに教えるには、ある程度の教え込みを覚悟しないとできない。
2 理科・科学の学力低下を自然体験の不足に還元することはできないし、体験重視は学力低下を助長しかねない。
3 理科・科学は、体験ではなく、「なぜ」を問う学問だ。
4 自然体験重視派は、自然に対する感受性というような感性・情緒の育成を重要視するが、それをそのまま教科教育に持ち込みすぎてしまい、「知性の教育」という側面がおざなりになっていないか。
5 こうなってしまうのは、「こころの教育とか人間性の育成だとかが叫ばれ過ぎて、人間の理性的な側面の育成をなおざりにされている風潮がある」からではないのか。
その通りだと思う。小学校でも様々なおぞましい事件が起きている。確かに、「心の危機」であるかもしれない。しかし、あまりに「心の教育」と言うことが強調されて、「知の力」を軽視しているのだ。と言うより、現状では、「心の教育」ということさえおぼつかない。授業がしっかり成立していないことさえある。だから、「知の教育」など、かまっていられないという傾向さえある。逆なのだ。まず学校で「知に教育」をしっかりやれば、本当の「心の教育」も可能になるのではないかと思う。
小川洋子さんの『博士の愛した数式』(新潮社)を読んでみればいい。私は、主人公の家政婦の「数」に対する興味の示し方がとても面白いと思うし、数学の面白さとはそういうものだと思う。つまり、彼女は「知」の中の本当の楽しさを味わっているのだし、学ぶということはそういうことだと思う。地球の不可思議な現象や美しさ、素晴らしさに気づき、それに対する興味・関心を持つことこそが、理科での「関心・意欲・態度」といえるのであって、それ以外に、「関心・意欲・態度」があるのだろうか、という気がする。それぞれの教科の本当の面白さを教えることができるようになれば、子どもは変わると思う。