電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

好きな色が決まらない!

2004-09-09 09:29:25 | 日記・エッセイ・コラム
 私は、弱い「赤緑色弱」である。日常生活上、「色弱」だということで特に困ったことはない。車の免許は普通に取れた。カラー製版の時の色指定も特に間違ったということはない。四季折々のカラー写真も楽しく鑑賞することができる。自分で撮影もするが、できばえはそれなりに満足している。要するに、よく注意して色を扱う限り、そんなに間違うことはないのだ。

 自分が「色弱」ということを知ったのは、高校に入学したときの視力及び色覚の検査の結果でだった。養護の教諭に、生活で困ることはないと思うが、弱い「赤緑色弱」なので、注意するようにと言われた。そのときは、何に注意するのかよくわからないまま、「はい」と返事をしていたように思う。ことに重大さに気づいたのは、実生活ではなく、大学の入試要項を見たときだった。いくつかの希望の理系の大学では、「色盲・色弱」は入学を受け付けていなかったのだ。

 自分で自慢をするのも変だが、私は今でも自分は、理系人間だと思っている。私は、小学校の3年生の時に、算数に目覚めた。中学校に行って、理科が好きになった。だから、高校は当然、最初は理系にするつもりだったし、1年生の時は、物理や化学や数学は得意だった。しかし、理系はダメだと宣告された。私の初めての挫折である。ノーベル賞の目がなくなったとまでは思わなかったが、高校時代は岐阜県に住んでいたので、比較的近い京都大学の理学部にいく夢をもっていた。そして、発明や発見を夢見ていた。それが消えたショックでしばらく立ち直れなかった。

 2年生から進学コースに入るのだが、挫折したぼくは当然文系のコースに入った。そして、文学に目覚めた。キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』という本があるが、そこで末期患者が死を受け入れ、死に至る過程を「死に至る5段階」として、説明している。簡単に言うと、「それは嘘だという否認の段階」・「なぜ俺はこんな目に遭わなければいけないのかという怒りの段階」・「もし『色弱』でなければこんなことをするよという神との取引の段階」・「そして結局はどうしょうもなくなった抑鬱の段階」・「最後にあきらめて自分を見つめ直すことのできる受容の段階」の5段階だ。本当にそのような過程を経て、私は文学に目覚めた。この『死の瞬間』を読んだのは、もっと後になってからだが、この「5段階」は、肉体的に死ぬときだけでなく、夢が消えたときとか、あるい恋人にふられたときとか、今なら、突然思いもかけない転勤を言い渡されたときとかの人間の心の過程を見事に表していると思ったものだ。

 ところで、「好きな色」がなかなか出てこないが、その次に私が「色弱」であることを自覚させられたのは、結婚したときだ。結婚する予定の妻が私の洋服を見て、「あなたは、何で、こんなに暗くてくすんだ色の洋服ばかり買うの?」と言った。1人の時は当然、自分で洋服を選び、ネクタイを選んだ。もちろん、デパートの店員に勧められて。それまでは、それなりに、それでもセンスがあると思っていた。ところが、彼女は、私の洋服の色合いを全然認めない。また、結婚してから、私の服装のセンスが良くなったと周りの人は皆言う。それは、お世辞だけではないようだった。結婚する少し前から、私の洋服は全て妻が選ぶようになっていた。自分でも、その色合いは、いいと思わざるを得なかった。それ以来、目にも鮮やかな色合いの洋服を着こなす妻を見て、私は「色弱」なのだとますます自覚させられるようになったというわけだ。というわけで、私の好きな色は、まだ決められないままである。

コメント (6)
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