甥の中学生が、「ラスト サムライ」のDVDを買った。彼が見終わったというので、息子がそれを借りてきた。我が家には、DVDプレーヤーがあるのだが、ビデオデッキとケーブルテレビの接続がしてあり、うまく立ち上がらない。仕方がないので、私のPCで見ることにする。
21インチの液晶ディスプレーで、映画を見ることはできるが、横に長い画面なので、まあ、画面の半分くらいの大きさになってしまう。近づき過ぎてもいけないので、息子と二人で2メートルくらい画面から離れ、椅子に座り、部屋の電気を消して、観る。「映画館に行っているみたいだね!」と息子ははしゃぐ。
「ロード・オブ・ザ・リング」とアカデミー賞を競ったくらいなので、かなり期待していた。それなりに面白かった。モデルは、多分西郷隆盛の西南戦争ではないかと思うが、スケールは少し小さい。サムライの世界が、あまりに昔風で、少しおかしい。あの村の造りから考えると、戦国時代の小さな地方大名の世界のようだ。私には、南北朝時代の楠正成を思い出した。楠正成と後醍醐天皇の関係を思い浮かべながら、観ていた。
もともとアメリカの映画なので当たり前なのだが、日本が舞台で登場人物の大多数が日本人なのに、話す言葉が英語だというのは、奇妙なものだ。「侍とは、主人に仕える者のことをいう」と教えられた、個人主義の国、アメリカからやってきたトム・クルーズ扮する南北戦争の英雄ネイサン・オールグレン大尉は、日本の侍に惹かれていく。
監督のエドワード・ズウィックは、「最初に黒澤明の『七人の侍』を見たのは17歳の時でした。それ以来、何度見たか覚えていないくらい繰り返し見ています」と語っているが、確かに農村の様子は、『七人の侍』とよく似ている。彼は、日本の歴史をよく勉強しているようだが、明治維新のイメージが少し誇張され過ぎているのだ。江戸時代は「古代」ではない。「プロダクションノート」によれば、ズウィックは次のように語ったという。
それはそれとして、南北戦争の英雄で、名誉のために戦った男、ネイサン・オールグレン大尉(トム・クルーズ)が、戦後の世界に失望して日本にやってきて、日本の侍、勝元(渡辺謙)に会い、彼や彼の家族、部下たちの侍としての生き方に心を動かされ、ついに、彼らとともに滅びの戦いに突入していくというのは、壮絶だ。ただ、「誇りと名誉」のために戦うというのは、しかし、つらく切ないものだと思う。そういうつらく切ない戦いというのは、しかし、過去の日本だけではなく、現代の世界でもまだ、続いているということを思うと、もっとつらくなる。我が息子は、この映画を観てどう思ったのか、よくわからないが、見終わるとすぐに寝てしまった。
21インチの液晶ディスプレーで、映画を見ることはできるが、横に長い画面なので、まあ、画面の半分くらいの大きさになってしまう。近づき過ぎてもいけないので、息子と二人で2メートルくらい画面から離れ、椅子に座り、部屋の電気を消して、観る。「映画館に行っているみたいだね!」と息子ははしゃぐ。
「ロード・オブ・ザ・リング」とアカデミー賞を競ったくらいなので、かなり期待していた。それなりに面白かった。モデルは、多分西郷隆盛の西南戦争ではないかと思うが、スケールは少し小さい。サムライの世界が、あまりに昔風で、少しおかしい。あの村の造りから考えると、戦国時代の小さな地方大名の世界のようだ。私には、南北朝時代の楠正成を思い出した。楠正成と後醍醐天皇の関係を思い浮かべながら、観ていた。
もともとアメリカの映画なので当たり前なのだが、日本が舞台で登場人物の大多数が日本人なのに、話す言葉が英語だというのは、奇妙なものだ。「侍とは、主人に仕える者のことをいう」と教えられた、個人主義の国、アメリカからやってきたトム・クルーズ扮する南北戦争の英雄ネイサン・オールグレン大尉は、日本の侍に惹かれていく。
監督のエドワード・ズウィックは、「最初に黒澤明の『七人の侍』を見たのは17歳の時でした。それ以来、何度見たか覚えていないくらい繰り返し見ています」と語っているが、確かに農村の様子は、『七人の侍』とよく似ている。彼は、日本の歴史をよく勉強しているようだが、明治維新のイメージが少し誇張され過ぎているのだ。江戸時代は「古代」ではない。「プロダクションノート」によれば、ズウィックは次のように語ったという。
……「何よりもその時代は過渡期だったのです」とズウィックは言う。「どんな文化でも、古代から近代への移行期というのはとりわけ感動的でドラマチックです。それにビジュアル的にもとても魅力的です。ひとりひとりの人物、ひとつひとつの風景、ひとつひとつの部屋が、物語を、新旧の並列を語ります。山高帽をかぶった紳士が下駄を履いた女の横を通り過ぎ、ライフル銃を持った男が日本刀を振りかざす男と向き合うのです」刀だけで戦う侍が、百姓上がりの銃を持った歩兵に負けるというのは、明治維新後の話ではない。それは、戦国時代の織田信長の時代の話でもあるのだ。明治維新を実現するための西郷隆盛の武力は、すでに高杉新作らが作り上げた騎兵隊などを下地にした近代戦だ。日本の江戸時代は、古代ではないのだ。ある意味では、侍(武士)の時代はすでに終わっていたのだ。
それはそれとして、南北戦争の英雄で、名誉のために戦った男、ネイサン・オールグレン大尉(トム・クルーズ)が、戦後の世界に失望して日本にやってきて、日本の侍、勝元(渡辺謙)に会い、彼や彼の家族、部下たちの侍としての生き方に心を動かされ、ついに、彼らとともに滅びの戦いに突入していくというのは、壮絶だ。ただ、「誇りと名誉」のために戦うというのは、しかし、つらく切ないものだと思う。そういうつらく切ない戦いというのは、しかし、過去の日本だけではなく、現代の世界でもまだ、続いているということを思うと、もっとつらくなる。我が息子は、この映画を観てどう思ったのか、よくわからないが、見終わるとすぐに寝てしまった。