電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

ピアノが好きになるといいな!

2004-09-10 13:32:04 | 子ども・教育
 息子が、今月からピアノ教室をやめている。月・水・金と夕方塾に行くようになり、それと今まで通っていた音楽大学の付属音楽教室の時間がうまく調整できなくなって、9月から通えなくなったのだ。幼稚園の年小のころから始めたので、もうかれこれ5年になる。しかし、腕前はといえばバイエルをやっと卒業したところだ。

 お稽古ごととして、ピアノと囲碁に通っていたのだが、その片方がなくなったことになる。どちらも、本人は執着していたわけではなく、おそらく親から進められて、何となくやり始めたのだ。ピアノは、妻が弾いていたのを見て、囲碁は、私が義兄と時々やるのを見て、それぞれ興味を持ったらしい。もちろん、どちらも、やっているのを見て興味を示したので、やりたいかどうか子供に聞き、やりたいと言ったので通わせることにしたものだ。ピアノは、年小からだが、囲碁は年中から始めた。どちらも、妻や私が教えようとしても、嫌がる。親が子どもを教えるには、スパルタ式でないとダメなようだ。

 妻は音楽大学を出て、いちおう海外に留学し、ソプラノ歌手をやっていた(いまは子育てに専念)が、彼女に聞くと、本格的に音楽に目覚めたのは、中学になったからだそうだ。小学校の頃は、ピアノを習いに行っていたが、行くだけでほとんど練習をしなかったという。中学校に行き、聖歌隊に入ってから、音楽をやろうと思うようになったそうだ。そして、音楽家目指しての本格的な勉強は、音大へ入る受験勉強からのようだ。そういう意味では、まだ遅いわけではない。しかし、私には、そんなに息子に音楽的センスがあるようには思えないのだ。もちろん、妻によれば、歌う才能はなさそうだが、ピアノは少し練習すれば弾けるという。確かに、発表会が近づくと妻がつきっきりで教えていた。そして、それなりに演奏していた。先生から、お母さん大変だったでしょうと労われたくらいだ。

 幼稚園の頃は、石神井公園(東京の西部池袋線の駅)の先生に習いに行っていたが、その先生が気に入っていたらしい。飯能に移り、今の学校へ通うようになってからは、何となく先生がお気に入りではなくなったようだった。ときどき、前の先生に習いたいと言っていた。そんなわけで、ピアノ教室にいけなくなったが、息子はそのことを余り気にしていない。もちろん、完全にやめたわけではなく、妻と二人で、新しいピアノの先生を見つけて、また行く気でいるらしい。だけど、放っておいたら、もう二度とピアノには戻ってこないような気がする。

 そう思っていたら、サッカークラブの同級生が、今年からピアノを始めたそうで、その子の通っている教室なら行ってもいいと言っているそうだ。まあ、いい先生に出会えるかどうかは、お見合いみたいなもんだから、行くだけ行ってみて、子どもに決めさせたらということにした。先生が好きになると、絶対にやめたいとは言わないし、特別なことがない限り休まないで続けるところだけは、偉い。子どもに刺激を与えようと、私が、妻に2ヶ月ほどピアノのレッスンを受けたことがある。まあ、バイエルンの80番くらいまでは私も弾けるようになった。しかし、我が息子は、完全に無視していたし、むしろあまりにへたくそな私にあきれていたようだった。多少は、やればできるという自信はあるようなのだ。

 今の子どもはとても忙しい。その上、友達も忙しいので、友達と遊ぶ暇もない。だから、自分の空いた時間も、塾とかお稽古ごとに当てるようになる。そして、同じ地域の子供たちではなく、塾とかお稽古先とかスポーツ教室の友達と仲良くなる。もう、地域性を超越している。親の方も、公立の小学校に入り、子供会などがあって、多少は地域性を持ち始めるが、それだけだ。おそらく、私立の中学校へ行き始めると、完全に地域社会と切れてしまうに違いない。そして、同じように、音楽とも縁が切れてしまかもしれない。それはそれでかまわないのだが、音楽とか美術とかスポーツとかは、進学や仕事には直接関係ないかもしれないが、いずれ自分の人生のなかに安らぎを作ってくれるものだ。音楽を聴いたり、美術を見たり、スポーツを見たりすると、私は、いつもため息をつく。もっとよく理解できたら、そして、自分もそこに参加できたら、と。

コメント (3)
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