奈良時代の都跡~ それは『平城宮跡』…ただ
その昔は荒れ果てた雑草地だった
(元田地)
明治の中頃~ 保存活動に尽力した『棚田嘉十朗氏』(植木職人)牛が放牧され堆肥が山積み
『実に見る影もなき有様、之れを皇居の址と云はれ樣か』と、嘆いたらしい。。
それほど存在感の無い地域だった
全く形跡の無い地域から都を掘り起こす…
とんでもない活動に心血を注ぐ この偉業に付いて、地区の歴史学者から話しを聞く機会を得た
1896年『棚田&山下』の両雄は、宮跡に立つと、記されてル
大極殿跡地に木標を立て二人は決約し 平城宮跡保存会を組織する。
協力者は現れず…全て私財を投じて。。暫くして1200年祭を挙行~少しずつ注目を浴びる。
宮跡保存と平城神宮を造ろう…気運を高める。 東京で保存会結成への協議、徳川頼倫候爵を会長に推挙…
大極殿址保存会を設立~しかし双方とも病に倒れる
特に棚田は『つくしてもつくしたりない、君がため、心決めるは今日限りかな』
と遺書を嗜め自決する… (残念なり~)
古都・奈良に住まいする身として『是非』知っておきたい
講演会場は標記の近くだった