イ教授は「最近、文化体育観光部・旧全羅南道庁復元推進団が5・18関連映像をまとめた写真を見て、当時会った4歳児のことが思い浮かび、心臓が止まりそうだった」と語った。

2021-05-10 11:50:58 | 31朝鮮独立運動の教訓

光州民主化運動当時、軍バスに乗せられた4歳児はどこへ

登録:2021-05-10 05:53 修正:2021-05-10 08:58
 
イ・ドンチュン教授、海外メディアのカメラに収められた姿を発見 
ノーマン・ソープ元記者の写真にもかすかに写っており 
「被弾して死亡した4歳の無名烈士と同一人物の可能性高い」
 
イ・ドンチュン木浦科学大学教授が1980年5月27日の朝、4歳ぐらいの男の子を抱いて軍用バスに座っている=イ・ドンチュン教授提供//ハンギョレ新聞社

 1980年の光州民主化運動(5・18)の最終日に軍用バスに乗せられていた4歳くらいの男児の姿が撮られた映像と写真が、初めて発見された。この4歳児の行方が41年間明らかになっていない中、被弾して死亡し、野山に埋められた状態で発見された「4歳の5・18無名烈士」と同一人物と推定されている。

 イ・ドンチュン木浦科学大学教授(62)は9日、「1980年5月27日の朝、私が4歳くらいの男の子を抱いて軍のバスに載せられていた姿を、映像で発見した」と述べた。海外の放送局が撮影したとみられる5・18関連映像で、当時大学生だったイ教授は軍用バスに4歳くらいの男児を抱いて乗っていた。映像で赤い上着を着た子どもは、不安そうにバスの外をじっと見つめていた。イ教授は「最近、文化体育観光部・旧全羅南道庁復元推進団が5・18関連映像をまとめた写真を見て、当時会った4歳児のことが思い浮かび、心臓が止まりそうだった」と語った。

 
木浦科学大のイ・ドンチュン教授が2020年11月、国立5・18民主墓地で4歳の無名烈士の墓に参拝している=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 軍用バスの中の4歳児の姿は、元「ウォールストリート・ジャーナル・アジア版」記者のノーマン・ソープ氏が撮った写真(5・18特別展にて公開)にも写っている。イ教授は「5月27日未明に旧全羅南道道庁で捕まった後、バスに乗ったが、海外メディアの記者がバスの外から撮影したようだ」と話した。イ教授の前の座席に座った人はイ教授と旧全羅南道道庁本館2階の副知事室で逮捕された故イ・ジョンギ弁護士(1917~1997)だ。

 イ教授が4歳児に会ったのは5・18の最後の夜明けだった。旧全羅南道道庁で銃を持って戒厳軍の鎮圧に抵抗した彼は「道庁の前庭に連れて行かれたが、先に来ていた男女高校生2人から4、5歳くらいの男の子を預けられた」と語った。イ教授は、光州の軍部隊だった尚武台の営倉に連行され、分類審査を受ける際、憲兵に子どもを引き渡したという。

 
ノーマン・ソープ元ウォールストリート・ジャーナル・アジア版記者が撮った写真の中に、イ・ドンチュン教授が子供を抱いている姿(赤い四角)が映っている。イ・ドンチュン教授の前に座っている人は故イ・ジョンギ弁護士(青い四角)だ=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 軍尚武隊の営倉に収容された4歳の子どもが銃事故で死亡した可能性が高いという指摘もある。イ教授は「実弟が5・18当時尚武隊憲兵だった知人に『あの時、市民軍が連れてきた子どもを覚えている。軍の兵舎で保護していた子どもが突然いなくなり、大騒ぎになった』という話を聞いた」とし、「私と一緒に軍の営倉に連れていかれた4歳児と国立5・18民主墓地に埋められた4歳の無名烈士が同一人物かどうか、5・18真相調査委が徹底的に調査しなければならない」と述べた。

 
4歳の無名烈士の検死調書//ハンギョレ新聞社

 光州市北区雲井洞(ウンジョンドン)の国立5・18民主墓地には「4歳の無名烈士」(4-97)が葬られている。4歳(推定)の無名烈士は1980年6月7日、光州市南区孝徳小学校の向かい側にある野山(光州大学に変わった当時のインソン高校前)で発見され、5・18墓地に埋葬された。4歳児の検死記録には「左後頸部盲管の銃傷」(左の後ろ首に弾が刺さった状態で死亡)が死因となっている。また、「死者を30代の女性が軍用ジープ車に乗せてきて、孝徳洞(ノドクドン)所在のインソン高校前の山に埋葬し、その車で立ち去った」という内容も記されている。4歳児の遺体周辺には「ブラウンの女性用セーターで包まれた、韓国銀行1000ウォン札1枚が入っていた」という。この遺体を収容した光州市役所社会科の元職員のチョ・ソンガプさん(78)は、「尾根の方に埋まっていた。(遺体は)とてもかなり小さくて痩せてこけていた。乾いた真砂土の多い地に誰かが埋めたんだ」と振り返った。

 4歳の無名烈士の身元や家族などは、いまだに明らかになっていない。5・18行方不明者78人のうち10代未満の犠牲者イ・チャンヒョン君(7)やパク・グァンジン君(5)の家族と4歳の無名烈士の遺伝子は一致しないことが分かった。光州市は旧5・18墓地に埋葬された無名烈士の墓11基を新しい墓地に移転する過程で、行方不明者家族の遺伝子を比較・分析し、2002年に3人、2006年に3人の身元を確認したが、4歳の男児ら5人の身元は明らかになっていない。イ・ギョンリュル旧全羅南道道庁復元推進団チーム長は「5・18当時軍のバスに乗っていた4歳児の家族や知人が現れ、真相が明らかになることを望んでいる」と話した。

チョン・デハ、キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

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