ナチズムは「民族共同体」を「神の国」にして、最高指導者を頂点に置き、古代の神政国家と類似した国家をたてた。宗教と国家が再び結合したものだが・・・、

2020-10-27 07:12:57 | これからの日本、外国人の目
軍国主義批判した日本の政治学者
「国家と宗教の誤った結合、ナチズムに帰結」

登録:2020-10-24 09:37 修正:2020-10-25 12:12


[書評]日本の自由主義政治哲学者の南原繁によるヨーロッパ精神史研究 
ナチズム「神政国家」批判通じ、日本軍国主義を批判した代表作  

『国家と宗教:ヨーロッパ精神史の研究』 南原繁著

        

『国家と宗教:ヨーロッパ精神史の研究』南原繁著、ユン・イルロ訳/召命出版・2万ウォン//ハンギョレ新聞社

 南原繁(1889~1974)は、太平洋戦争を前後する時期の日本の自由主義思想を代表する政治哲学者だ。東京大学助教授の頃にヨーロッパに留学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスやベルリン大学、グルノーブル大学で研究し、戦後の東京大学初代総長に就き、平和憲法制定の先頭に立った。南原は日本思想界の巨頭である丸山眞男の師匠であり、丸山に日本政治思想を研究するよう勧めたことで有名で、無教会主義を主唱し金教臣(キム・ギョシン)や咸錫憲(ハム・ソクホン)に強い影響を与えた内村鑑三のもとでキリスト教思想を学んだ人でもある。『国家と宗教:ヨ-ロッパ精神史の研究』は、南原の平和主義政治哲学の核心が要約された代表作だ。この本の初版は太平洋戦争の最中だった1942年に出された。日本軍国主義が狂乱の疾走をしていた時に出版されたが、この本で南原はナチズムを批判する形で日本軍国主義を遠回しに批判している。

 この本は、「ヨーロッパ精神史の研究」を通じ、「政治と宗教」あるいは「国家と信仰」がどのような関係を結ばなければならないかを、著者の独特な観点により詳述する。南原が見るところ、国家と宗教は互いに合わさってはならない異なる原理に根拠を置いている。もし宗教が国家に統合されれば、宗教は宗教としてのその純粋な機能を失うことになり、国家も国家として正しい機能を果たせなくなる。このような議論を進めていく際に南原が宗教の模範としているのが、近東で発生しヨーロッパで隆盛したキリスト教だ。キリスト教こそ人間の普遍的な救済の道を照らした真の宗教だというのが南原の考えだ。そのため、宗教と国家の関係を中心に置き「ヨーロッパ精神史」を研究するのは、特定地域の歴史研究にとどまらない人類普遍の問題に対する探求となる。

 南原がこの本で模範とするキリスト教は、イエスが始めパウロが伝えた「初期キリスト教」だ。この時期のキリスト教が最も純粋な形で「信仰共同体」の姿を示したという。この初期キリスト教は、ローマ帝国という抑圧的な政治体制のなかで育った。この帝国は皇帝を頂点にして広大な地域を一つにし、「パクス・ロマーナ」(ローマの平和)を提唱したが、そのなかで個人は原子のような状態で散らばり、政治的圧制のなかで苦痛を受けていた。キリスト教が誕生する前にこの個人に救済の道を提示したものとして、南原はエピクロス主義とストア主義を挙げる。しかし、これらの哲学思想は、少数の教育を受けた人たちのみが近づけるものだった。キリスト教は「神自身がこの地に降りてきて、十字架にかけられ死ぬことで、人間の罪を代わりにあがなったという教え」を通じ、差別のない救済の道を開いた。それまでの哲学が「精神の貴族主義」であるとすれば、キリスト教の教えは「福音の平民主義」だったと南原はいう。このキリスト教によりすべての既存の価値が転覆した。「今まで自らを賢明であるとした者が賢明でない者になり、価値のない者が価値のある者になる世界」が開くとみられたのだ。キリスト教は無力で疎外された者が集まった「愛の共同体」だった。

 この初期キリスト教は「神の国」の到来を宣言したが、イエスが教えた「神の国」は見えない国であるために、ただ信頼を通じてのみ近づくことができる。しかし、初期キリスト教は、勢力を得てローマの国教になった後、教皇を頂点とする教会制度に固まってしまった。この時代のキリスト教は、この教会制度こそがこの地で目に見える形で実現された「神の国」であり、現実の国家は「地の国」として教会の指導を受けなければならないと主張した。そのような世界観を初めて確立した人が教父哲学者のアウグスティヌスであり、続いて中世最高の神学者のトマス・アクィナスがこの思想を神学の形で集大成したと南原はいう。しかし、南原によればこのような神学は初期キリスト教の根本原理を裏切ったものでしかない。初期キリスト教では、キリストを信じるすべての個人は直接神と繋がれていたが、後に神と人間の間に教皇と司祭で構成された教会制度が入ることにより、キリスト教の真の姿を失ったということだ。

        

日本の自由主義政治哲学者、南原繁=ウィキペディア・コモンズ//ハンギョレ新聞社

 南原は、16世紀のルターの宗教改革がこの制度化した教会に対抗し、「見えない神の国」の理想を再び起こしたという。しかし、ルターの改革を経て誕生したプロテスタンティズムも、しばらくすると中世のカトリックと類似の道を歩む。中世の神学が、教会を優位に置き、国家を統合するものだとすれば、プロテスタンティズムでは、国家が優位に立ち、教会を統合した。そのような思想を劇的に示した人がルターの後裔のヘーゲルだ。ヘーゲルは、絶対精神が現実に実現されたものが国家であり、この国家は宗教を併せもつとみなした。「その結果、今や『神の国』は『愛の共同体』という本来の特質を喪失し、政治的王国に転落した」

 国家と宗教を統合したヘーゲルの絶対的観念論は、しばらくすると極端な反動を生んだが、それがヘーゲルの弁証法を「唯物弁証法」でくつがえしたマルクス主義だったと南原は指摘する。このマルクス主義で「神の国」は、自由と平等の共同体である共産主義社会として現れた。しかし南原は、この世俗化した「神の国」はキリスト教精神を極めて皮相的に模倣したものにすぎないという。マルクス主義の無神論は20世紀に入り、もう一度巨大な反動を生んだが、そのうちの一つがナチズムだ。ナチズムは「民族共同体」を「神の国」にして、最高指導者を頂点に置き、古代の神政国家と類似した国家をたてた。宗教と国家が再び結合したものだが、このナチスの理念が結局、悲惨な災いで終わったことを歴史が示した。

 南原はこの本で、宗教と国家を統合しないまま「人間の救済」と「人類の未来」を同時に示した人としてカントを挙げる。カントは、真の信仰の場として人間理性が侵せない「物自体」の世界を描きだし、人類が志向しなければならない究極の政治秩序として「世界共和国」を提示した。「神の国」の理想を理想通りに置き、この世界のなかで人類が政治的に進む目標をあわせて示したのだ。南原が解釈したこのカントの思想は、後日、柄谷行人が主唱した「世界共和国」に繋がるとみてもいいだろう。
コ・ミョンソブ先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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