大雪予報の連休。群馬詣でして、帰りに大渋滞に嵌り帰宅困難者になる心配もあり、登山は諦めた。
11日の昼頃までは新潟市はたいした雪も降っておらず、まあ行けるとこまで行って写真素材を探そうと北陸道にのる。
長岡まで来ると、予報に反し、そこから先は晴れ間が広がっている。
八海山が良く見え、越後駒も顔を覗かせる。
小出ICで降り、何処かで八海山を撮ろう。でも日没時間を考えると、場所を迷ってる場合じゃない。いつものトミオカホワイト美術館へ直行。
マッコイタイナーの「フライ・ウイズ・ザ・ウインド」のアルバムジャケットを思い出すなぁ。
残照も次第に薄くなり、そろそろ日没。
予想外の好天。湯沢まで行けそう。国道17号を南下すると、あちこちのスキー場に灯が灯り、この風景もいいかなと道の駅に寄ったりしたが上手く撮れず。
風呂入ろ。湯沢の外湯巡りの一つ「駒子の湯」へ。
連休のスキー客で混雑し、暫く駐車場入り口で空くのを待つ。すっかり暗くなった空にはオリオン座。
でも、このコンデジでは星の写真は無理。最長4秒しかシャッタースピード落とせない、らしい。一眼も持ってくれば、長い夜を持て余すこともなかったのに。星が出てるなんて考えもしなかった。
翌朝
未明に岩原へ移動。空には三日月が煌々と。
明るくなるのを待って、大源太キャニオン方向に車を向ける。魚野川の河原を見渡せる辺りで探鳥のつもり。ヤマセミとか、猛禽とかいないか?
双眼鏡で探すが、動くものの気配は全くない。この頃になると雲が広がり、山からはチラチラ雪が落ちて来た。
退却。大雪になる前に行っておきたい場所がある。
お隣り、塩沢町へ。
朝7時過ぎの牧之通り
(ネットより)
牧之通りは旧塩沢町の中心市街地にあり、かつて三国街道沿いの宿場町として栄えた歴史のある通りです。通りの名称は郷土の文人、鈴木牧之(注)の名前にちなんでつけらました。
江戸時代の宿場町の風景を再現し、雪国ならではの雁木(がんぎ)が整備され、多くの観光客で連日にぎわっています。
※鈴木牧之 鈴木牧之(すずきぼくし)は1770年塩沢の織物の仲買商の家に生れました。俳諧、書画、文筆も行い、名著「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」は江戸で出版され、当時のベストセラーとなりました
雁木
古い建物を保存したのでなく、道路の拡幅工事に合わせて、街起こしのため新築された建物なのでとても綺麗なんだが、見方によっては映画村のセットみたいな気も。
通りは綺麗に除雪されている。もう少し雪たっぷりの街並みを期待してやってきたのだが。
人通りは少ない。この道路も、歩道も、ツルツルに凍っている。前日の消雪パイプの水が凍るのだろうか。
車も、たまにしか通らないが、ツルツルの道路上に出て行って写真撮るのは怖い。車が来たら、転ばないよう恐る恐る歩道に戻らなきゃならないから。
すると通りの反対側でドッテっと音が。見ると女子高生が転んだのだ。そのまま動かないので、大丈夫?と声を掛けると、
「はーい、大丈夫でーす」と抑揚のない返事が返ってきた。
三国街道 塩沢宿 牧之通り
酒屋さんの前で写真撮ってると、降ってきた。そろそろ、ここも退却。
7時半過ぎ、帰ろうとするとあちこちから水が噴き出して来て、道路が黒く染まる。消雪パイプが動き出したのだ。その前に写真撮れて良かった。
国道17号を北上。
浦佐の先、八色スイカで有名な八色付近。六日町を過ぎた辺りから完全に雪雲に閉じ込められ、ホワイトアウトしそう。
対向車が怖い。ここは、50km制限の高速のほうが安全かと、小出ICから乗る。
長岡近くまで来ると、なんとまた晴れて来た。
このまま帰るのは勿体ない。長岡ICからすぐ近くの越後丘陵公園で探鳥としよう。
園内を一周するが、ここでも1羽の鳥も見つけられなかった。
歩いてそれなりに汗をかいたので、もう一度、長岡市桂町の日帰り温泉によって帰宅。
だが、新潟市に戻り、また雪掻きで汗をかくことになった。
11日の昼頃までは新潟市はたいした雪も降っておらず、まあ行けるとこまで行って写真素材を探そうと北陸道にのる。
長岡まで来ると、予報に反し、そこから先は晴れ間が広がっている。
八海山が良く見え、越後駒も顔を覗かせる。
小出ICで降り、何処かで八海山を撮ろう。でも日没時間を考えると、場所を迷ってる場合じゃない。いつものトミオカホワイト美術館へ直行。
マッコイタイナーの「フライ・ウイズ・ザ・ウインド」のアルバムジャケットを思い出すなぁ。
残照も次第に薄くなり、そろそろ日没。
予想外の好天。湯沢まで行けそう。国道17号を南下すると、あちこちのスキー場に灯が灯り、この風景もいいかなと道の駅に寄ったりしたが上手く撮れず。
風呂入ろ。湯沢の外湯巡りの一つ「駒子の湯」へ。
連休のスキー客で混雑し、暫く駐車場入り口で空くのを待つ。すっかり暗くなった空にはオリオン座。
でも、このコンデジでは星の写真は無理。最長4秒しかシャッタースピード落とせない、らしい。一眼も持ってくれば、長い夜を持て余すこともなかったのに。星が出てるなんて考えもしなかった。
翌朝
未明に岩原へ移動。空には三日月が煌々と。
明るくなるのを待って、大源太キャニオン方向に車を向ける。魚野川の河原を見渡せる辺りで探鳥のつもり。ヤマセミとか、猛禽とかいないか?
双眼鏡で探すが、動くものの気配は全くない。この頃になると雲が広がり、山からはチラチラ雪が落ちて来た。
退却。大雪になる前に行っておきたい場所がある。
お隣り、塩沢町へ。
朝7時過ぎの牧之通り
(ネットより)
牧之通りは旧塩沢町の中心市街地にあり、かつて三国街道沿いの宿場町として栄えた歴史のある通りです。通りの名称は郷土の文人、鈴木牧之(注)の名前にちなんでつけらました。
江戸時代の宿場町の風景を再現し、雪国ならではの雁木(がんぎ)が整備され、多くの観光客で連日にぎわっています。
※鈴木牧之 鈴木牧之(すずきぼくし)は1770年塩沢の織物の仲買商の家に生れました。俳諧、書画、文筆も行い、名著「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」は江戸で出版され、当時のベストセラーとなりました
雁木
古い建物を保存したのでなく、道路の拡幅工事に合わせて、街起こしのため新築された建物なのでとても綺麗なんだが、見方によっては映画村のセットみたいな気も。
通りは綺麗に除雪されている。もう少し雪たっぷりの街並みを期待してやってきたのだが。
人通りは少ない。この道路も、歩道も、ツルツルに凍っている。前日の消雪パイプの水が凍るのだろうか。
車も、たまにしか通らないが、ツルツルの道路上に出て行って写真撮るのは怖い。車が来たら、転ばないよう恐る恐る歩道に戻らなきゃならないから。
すると通りの反対側でドッテっと音が。見ると女子高生が転んだのだ。そのまま動かないので、大丈夫?と声を掛けると、
「はーい、大丈夫でーす」と抑揚のない返事が返ってきた。
三国街道 塩沢宿 牧之通り
酒屋さんの前で写真撮ってると、降ってきた。そろそろ、ここも退却。
7時半過ぎ、帰ろうとするとあちこちから水が噴き出して来て、道路が黒く染まる。消雪パイプが動き出したのだ。その前に写真撮れて良かった。
国道17号を北上。
浦佐の先、八色スイカで有名な八色付近。六日町を過ぎた辺りから完全に雪雲に閉じ込められ、ホワイトアウトしそう。
対向車が怖い。ここは、50km制限の高速のほうが安全かと、小出ICから乗る。
長岡近くまで来ると、なんとまた晴れて来た。
このまま帰るのは勿体ない。長岡ICからすぐ近くの越後丘陵公園で探鳥としよう。
園内を一周するが、ここでも1羽の鳥も見つけられなかった。
歩いてそれなりに汗をかいたので、もう一度、長岡市桂町の日帰り温泉によって帰宅。
だが、新潟市に戻り、また雪掻きで汗をかくことになった。
お恥ずかしい話ですが、1月30日にスマホを紛失しまして 3月に2年縛りが終わるのでそれまで我慢と解約も新機種も手続きしてないのですよ。
ですので、ナイスさんの電話番号も分からなくなりました( ; _ ; )/~~~
後でブログのゲストブックに(内緒)で入れておいて下さい。 11日は休出で午前中仕事、12日はお休みだったのでご一緒出来ましたね、すみませんでしたm(_ _)m
懲りずにまた誘って下さいね。
ご覧のように、行き当たりばったりだったので、連絡はしてませんでした。
そ~か、はるりんさん誘って六日町で1杯、という手もありますね。こっちのほうも次の機会にご一緒させてください。
電話番号入れときます。
迫って来そうですね。
あの鎖場、厳冬期の今はどうなっているのでしょうねぇ。
北越節婦の舞台、塩沢の町並み、未だ一年前ですが懐かしいです。
意外と雪が少なかったですね。
「塩沢は何処ですか?」
「あんたが建っている下だよ」
そんなやりとりの一節を思い出しました。
私のようにただ通りかかっただけじゃない、大人の修学旅行ですよね。
変顔のお雛様もインパクト強いのに。記憶力には全く自信なし、です。
牧之通りは、雪が無いのですね、びっくりです!
雪があるのと、ないのとどちらがいいのでしょうねえ、。風情がちょっと、、ねえ。
長岡の蓬平温泉辺りの露天風呂では、大雪に囲まれての雪見酒が大人気らしいですが、。
お金を払って、ふるえながら、風呂に入る心持ちはわかりませんです。
ただ、ふるえながら、大雪の雪山に分け入るのは、、、、、大好きですが。
(niceshotpete)さんも、あの大雪の中を、なぜ好きこのんで、、と
たいしたものです。
艱難辛苦は、帰りの国道17号くらいでしたよ。
そーいえば、桂温泉に向かう道は雪多かったけれど、降ってなかったので大したことなく行けました。
牧之通りは、やはりもっと雪があったほうが風情があっていいんじゃないかと。以前行った大内宿のイメージが残ってて。ちょっと残念でした。
なんて、地元の方々は大変なんでしょうが。