苗場山麓ジオパークのお勉強その11
津南町の河岸段丘。
30万年以上前に谷上面が、
16万年前以前に米原面が形成された。
16万年前以前に米原面が形成された。
他の段丘は、それらより、低く、新しい。
では、谷上面、米原面ができる前はどうなっていたかというと・・・・。
河岸段丘(河成段丘)はなにも津南町だけにあるわけではなく、下図の範囲では十日町市から栄村にかけて主に信濃川右岸に段丘面が広がっている。
黄緑色の部分が段丘面。(産総研HPより拝借)
オレンジ色は、溶岩が固まってできた安山岩など。図の下面、中央のオレンジ色は苗場山、鳥甲山の熔岩流。左は野沢温泉の毛無山の熔岩流。飯士山もしかり。関田山脈も噴いて出来た。
川の展望台付近上空から(高さは強調。カシミール3Dにて作成)
清津川から北(図の左方向)が十日町市。そして、十日町に広がる河岸段丘も米原面と谷上面。
30万年以上前。それよりもっと前。谷上面、米原面が形成される以前は、ここは広大な信濃川の氾濫原だった。
十日町市・信濃川左岸上空から(同じく高さは2倍程度に強調)
当間山を含む魚沼丘陵の隆起や、入間川、当間川の浸食などにより谷上面、米原面が形成された。信濃川右岸に広く形成されたのは、魚沼丘陵の隆起により、中津川同様、信濃川が次第に西側に追いやられたから、と思われる。
この越後山脈、魚沼丘陵、東頚城丘陵を隆起させる東西方向の力によって下の写真のように、北北東~南南西方向に何列も並ぶ山並みを、地学の専門家も「いわゆる新潟方向」と記述しているのが面白かった。
(刈羽黒姫山にて撮影)
かなり間違いがあるかも。ご指摘ください。💦(シロートのながら勉強です)
続く。
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