フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

和名倉山方面に向かう 東仙波 八百平 9月24日

2011年10月02日 19時44分13秒 | 登山

 山の神土に戻ってきた。11時00。これから東仙波に向かう。

 東仙波までの道は笹が多く、けっこう歩きづらい。ただ、人の行き来が多いからか、よく踏まれていて道はしっかりしている。
 
 途中、水場があって勢い良く水が出ている。昨日の雨が影響しているのか詳しくは分からないが、この付近はそこら中から湧き水が出ている感じである。地図にはない水場が多数ある。冬場にどれだけ水が出ているかが、重要であるけれど。 
 
 西仙波の標識が無いので、どの辺か結局分からなかったが、岩場の細い道を登っていくと、シャクナゲの群生地がある。西仙波の付近はシャクナゲはたくさん生えているとのことだから、その細い岩場の道の付近が西仙波だったのかもしれない。
 
 画像 1479

 奥秩父の山は1500mから2000m付近でシャクナゲの樹がよく生えている。シャクナゲがどのような性質をもった植物なのかよくわからない。コメツガやシラビソと混生しているとのことだ。詳しくは後で調べてみようと思う。シャクナゲは5月末から6月に花を咲かせるのだという。ゴールデンウィークではちょっと早い。咲き乱れた様子はかなりきれいだと思う。その時期にもう一度来てみたいと思わせる。花は昆虫だけではなく人間のおびき寄せる力を持っている。
 
 私の登山においてのホームグランドは奥多摩であるが、最近、奥秩父もそれに加えたいなぁと思っている。
 登山者には2つのタイプがあるそうだ。一つは違う山を次々に登っていくタイプ。もうひとつは同じ山を登り続けるタイプ。私は明らかに後者である。金がなくて遠くにいく交通費がないけれど、毎週でも登山に行きたいから、仕方なく奥多摩に行くしかなかったというのが一番の理由であったが、結果的にそれが良かった。もともと体力には自信があったが、登り続けたことで信じられないくらい体力が向上した。また、死ぬほどの危険には遭わなかったが、軽度の危険を重ねることで危険回避の方法を体で覚えることができた。その意味で、基礎的な登山技術を向上させるためには、4シーズン同じ山を登り続ける方がいい。季節や気候が変われば同じ山であっても全然違う感じになってしまうけれど、道をよく知っているからそれほど慌てることもない。よく知っているがゆえに、いろんな条件の下に、さまざまな実験的な試みも可能になる。冬山もテント泊も全部奥多摩で覚えた。奥多摩は、もう私にとって心の故郷ともいえる場所で、老人になっても登りつづけたい山、になっている。
 ただ、最近、奥秩父もホームグランドにしたいなぁと思っている。奥多摩が整備されたやさしい女性的な山だとすれば、奥秩父はワイルドな野生味のある男性的な山といえるだろう。



画像 1470  画像 1469

 綺麗な稜線。右側は木の代わりに笹が生えている。



画像 1471

 東仙場方面。

画像 1472

 これから登る険しい道。頭上でカラスが鳴いている。気味が悪い。カラスはなんで気味が悪いのだろう。


画像 1473

画像 1475

画像 1478 

 東仙波から撮った雲取山、飛龍山。どれがいいか迷ったので全部アップした。
 写真には大きく3つの山が重なっているが、左側が雲取山(2017m)で、真ん中が三つ山(1949m)、右側が飛龍山(2069m)だと思う。あの山を3つ越えてきたと思うと、我ながらあっぱれだと思う。自分の通ってきた稜線を確認できるのはうれしい。


 
画像 1474  画像 1476

 和名倉山への尾根。メリハリがなく鈍重な山容である。数十年前に山火事があったとのことだ。ところどころ山がハゲているのはそのせいかもしれない。


 
 画像 1477 

 石みたいなのがバンバン飛んでくるなぁと思ったら、イナゴだった。ものすごい数である。多分、笹を食べているのだろう。新潟ではイナゴを食べる風習は、少なくとも私の生活しているときは、なかった。しかし、山岳地方の人たちが、好んでイナゴを食べるのがよくわかる。山は思ったより食べ物がない。その中でイナゴは貴重なタンパク源だからだ。
 一匹捕まえて、口に放り込んでみようか迷う。私がイナゴを食べようか迷いじーっと見つめていると、口から茶色の変な汁を出した。それを見たら、駄目だ食べれないと思ってしまった。
 ネットで調べたら、イナゴは調理する前に一日袋に入れて絶食しフンを取り除くそうである。そして、ハリガネムシなどの寄生虫がいるので生食に向いていないとのことだった。食べなくて正解。だけど、串刺しにして焼いて食べるのは、全く抵抗はない。今度やってみようと思う。

 タンパク質といえば、最近、山にゆで卵を持ち歩いている。それには一応理由がある。卵は、アミノ酸スコア100で栄養価の高い食べ物だからである。トリ、ブタ、牛などの肉もアミノ酸スコア100であるが、腐りやすいので長い間持ち歩けない。ゆで卵は、携帯用の最高の食べ物である。
 アミノ酸スコアといっても馴染みがないかもしれないから、ちょっと説明しようと思う。いや、どうせなら人間の食べ物との格闘の歴史について話して見ようか。
 
 生物として生きていくためには、体を構成する物質とエネルギーとなる物質を摂取していかなくてはならない。一番合理的なのは、自分の体と類似する他の動物を捕まえて、消化吸収することである。類似性が高いゆえに、体を構成する栄養分がバランスよく摂取できるからである。だから、肉食が合理的である。ただ、肉食は他の動物と戦い殺さなくてはならないから、危険を伴う。初期の哺乳類は、体も小さく戦うことが困難だったので、戦う危険の少ない虫を食物にしていた。
 この戦略は、植物の養分をまず虫に食べてもらい、その虫を食べることで、必要なタンパク質をとるというものである。つまり、たくさん生えているがタンパク質の少ない草が、「虫」という仲介役を通してタンパク質に変化し、それを食べることでタンパク質を効率よく取り込むものといえる。
 しかし、虫といってたくさんいるわけではない。たくさんあるのはやはり植物である。だから、植物を食べ物とすることができれば、生存可能性が高くなる。
 植物の光合成で作られるのは、でんぷんとセルロースである。でんぷんは説明しなくても分かると思う。これは食物にできる。しかし、セルロースを分解できるのはバクテリアやカビだけで、動物には分解できないといわれている。つまり、食物にできないということである。セルロースは、簡単にいえば、ワラや落ち葉みたいなものである。
 そこで、牛や羊みたいな反芻胃をもった草食動物が進化してくる。反芻胃には相当な数のバクテリアがいて、セルロースを発酵させタンパク質にかえる働きがある。だから、牛は草しか食べていないのに筋肉隆々で、あれだけのタンパク質を含んだ牛乳を出すことだできるわけである。ただ、すべての草食動物に反芻胃があるわけではなく、馬には反芻胃はない。では、馬はどのようにしてタンパク質を取り込むのか。これについては後で説明する。
 ここで少し話を整理してみる。厳しい環境の中、生物が十分なだけのタンパク質を摂取する戦略は、第一に、自分の体と類似性のある他の動物を摂取する肉食。第二に、牛のような反芻胃をもって自分でタンパク質を作り出す方法。第三に、低栄養の食べ物を過食して必要な分だけ取っていく方法、である。馬は第三の方法をとっているといえる。

 人間は、最初、狩猟などによって第一の方法、肉食を中心に生活していた。しかし、次第に農業が行われるようになり、穀物中心の食生活に変わる。このおかげで狩猟を行なっていた時より、安定的な食料が得られるようになる。しかし、問題はそれほど簡単には解決しない。例えば、小麦にはグルテンというタンパク質が含まれているものの、必須アミノ酸のリジンが不足している。
 ここで必須アミノ酸について説明しなければならないだろう。必須アミノ酸は簡単に言えば、体で作り出すことのできないアミノ酸で、外部からの食物で取り込まなければ生きていけないタンパク質である。その必須アミノ酸を数値にしたものが、アミノ酸スコアである。ちなみに小麦のアミノ酸スコアは44、精米65である。両者とも必須アミノ酸の一つであるリジンが足りない。大豆はアミノ酸スコア86でリジンは十分に含むが、含硫アミノ酸が少ない。だから、ご飯と納豆を組み合わせれば、必須アミノ酸は十分なものになる。
 もし、うどんだけ食べて必須アミノ酸の要求量を満たそうと思えば、一日にうどんを2キロ食べならなくてはならない。2キロ食べたら、炭水化物の量が過剰になるので、それだけ動かなくてはすぐにデブになってしまう。
 馬は、草をたくさん食べて必須アミノ酸を必要なだけ摂取しようとする。しかし、その際、
過剰に食べてしまうことになるので、それを解消するために、たくさん走らなければならなくなる。馬があれほど走るのは、食べ物を過剰摂取しているからである。
 私たちも、ご飯だけで必須アミノ酸を取ろうとすれば、たくさん食べなくてはならない。そうすると、炭水化物を過剰に摂取することになるので、過剰に動かなければならないことになる。
 
 三大栄養素はタンパク質、炭水化物、脂肪だといわれている。その関係について、簡単に説明する。
 タンパク質は消化によってアミノ酸に分解され、体の構成要素となる。そして、アミノ酸に分解された後、炭水化物と脂肪に変換可能である。その意味で、タンパク質は万能な栄養だといえる。
 炭水化物は、非必須アミノ酸に変換可能であるが、必須アミノ酸には変換できない。脂肪には変換可能である。
 脂肪は、水に溶けないのでそのまま体内に貯蔵可能である。しかし、アミノ酸にも炭水化物にも変換できない。
 したがって、炭水化物や脂肪だけ食べて生きていくことはできないが、タンパク質だけ食べて生きていくことはできる(もちろん、ビタミン、ミネラルが十分あるという条件のもと)。
 話がだいぶそれてしまったが、私が登山にゆでたまごを持ち歩くのは、卵はアミノ酸スコア100なので、一応、これだけ食べていれば死なないからである。カップラーメンでもおにぎりでも、何でも持っていけばいいのだけれど
、タンパク質が欠乏するので、ゆで卵が最高なんだよ、ということを主張するために、これだけだらだらと書いてしまった。すいません。


画像 1480

 甲武信岳方面の景色。どの山が甲武信岳なのかは分からない。ただ、秩父の盆地からそびえ立っているのがよくわかる。雁坂峠を越えなければ、甲斐(塩山)にはいけないのはよくわかる。

画像 1481

 八百平に到着。14時00。
 ちょっと早いがテントを張って休む。これから先にいい場所があるか、確信が持てないからだ。まぁいい場所でよかった。でも、鹿がたくさんいる。どうなることやら。

 つづく


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

将監峠 唐松尾山  9月24日

2011年10月02日 01時33分40秒 | 登山

 多少の昨日の疲れが残っているものの、ほぼ復活した。登山はハードなスポーツでアホみたいに体力を消耗するが、夜にやることがなく休息時間も多いので体力は回復する。
 寝袋から出て、テントを素早く撤収し、6時半頃に出発する。
 今日は、将監峠に行ってそこから唐松尾山に登る。笠取山まで行こうか少し迷っている。どこまで行くかはその時の状況で判断するが、そこからもう一度将監峠方面に戻ってきて、秩父の和名倉山(白石山)
に向かう。
 
 
地図だと飛龍山が竜喰山に、和名倉山が白石山になっている。

地図画像



 

画像 1455 

 富士山が綺麗に見える。昨日はガスに覆われ景色は見えなかったので感動する。

 画像 1456 

苔に覆われた道。日本庭園のようだ。


 画像 1459  画像 1460

 出発から一時間半くらいで将監峠につく。8時00。
 私は新潟平野の真ん中で生まれたので、峠というものを知らずに育った。道もほとんど真っ直ぐで平坦なものだ。坂道もほとんどない。19歳くらいのときに、はじめて鎌倉をドライブした時、あまりの急な坂の多さに衝撃を受けた。坂道発進で死にそうになった。余談ではあるが。だからというわけではないが、山道や峠と聞くと少し興奮してしまう。面白いものだ。
 今回訪れたかった場所の一つが将監峠である。ただ、将監峠はいろいろ謎が多い。謎というと大げさだが、峠自体の歴史的な存在意義がいまいちよく分からない。
 例えば、雁坂峠は秩父大滝村の繭を塩山に運ぶためのシルクロードで、秩父と甲斐の交易おこなう峠だった。それから、小説で有名な大菩薩嶺峠は、甲州街道の裏道として機能していたらしい。というのも通行手形なく通れたので、旅芸人、逃亡した遊女、犯罪人などが人目をはばかってひっそり通り抜けする道だったそうだ。
 それに対し、将監峠はどういう性質の峠だったのだろうか。丹波山村の村民が秩父を抜けるために使ったのだろうか。それとも、雁坂峠から十文字峠を通り抜け信州方面に向かうための道だったのだろうか。その辺のことは、ネットで調べてみてもどこにも記述がない。ただ、峠は山を境界として人や物を移動させる通路なのだから、何らかの意味があったに違いない。


 画像 1462

 山の神土に向かう途中に、レリーフがあった。
 
 萬羽日出夫君ここに眠る享年18歳
 WV部 S49年、5,1 東洋大学工学部

 私より若い。何があったのかよく分からないが、冥福を祈る。

 画像 1464

 山の神土に到着。8時40分。
 ここから笠取山方面に行く道と和名倉山(白石山)方面に行く道とに分かれる。
 
 ここで写真を撮っていると、年配のおじさんがやってくる。
「こんにちは」と声をかける。
「えーと、今日はどちらまでいかれるんですか」と聞いてみる。これから和名倉山まで行くとのことだ。ただ、体力が無いので頂上を目指しているわけではなく、いけるところまで行って帰ってくるとのことだった。
「俺は唐松尾山まで行って笠取山まで行ければいくつもりです」と言うと、「笠取山なんてすぐ着くよ。楽勝」と言われた。うーん、ひとごとだと思って簡単に言うなぁと思ったが、「それからまた戻って、和名倉山に行くつもりです」と言うと、「ああ、そうかそれは大変だね、無理しないほうがいいよ」と行ってくれた。どうやらこの辺のことは詳しいらしい。

 涼しいことは涼しいが、昨日より気温が上がり、しかも登りなので汗が出てくる。少しペースが早いようだ。落とさなくては。登山中のこの汗がなかなかのクセモノである。
 もともと私は登山向きの体型ではなかったと思う。筋肉質でそこそこの脂肪が付いているがっちりとした大柄な体型だったから。なぜこのような体型が登山向きではないかというと、持久力がないこと、それから汗をかくことの二点があげられる。
 細かいことを省いて大きくざっくりと言えば、体温調節は筋肉を動かすことによる発熱と皮膚からの熱の放射によって行われている。当然、筋肉が多ければ多いほど体温を上げること、つまり発熱はよくできる。そして、脂肪は熱を逃さない役割を果たすから、筋肉質で脂肪がほどよく付いている体型は、寒さには、原則的に強い。
 しかし、それが逆に暑さには弱くなる要素にもなる。つまり、筋肉を動かすと熱が出やすく、かつ脂肪で熱が逃げないので、体温が上昇しすぎるのである。人間は体温が44℃になるとタンパク質が固まってしまい死んでしまう。そこで、皮膚から熱を放射して体を冷やすことになる。その際に汗を出して体温を効率的に冷やそうとする。だから、筋肉質でそこそこ脂肪が付いている体型は、大量の汗が出るわけである。
 汗は効率的に体温を下げるための重要な機能であるが、山などの環境では体温を下げ過ぎてしまう場合が多いことから、汗をかきすぎると問題になる。休憩しているときなどは、夏といって標高が高ければけっこう気温は低いし、風が吹けばかなり体感温度はかなり低くなる。また、冬場に汗を大量にかけば冷えすぎて風邪を引いてしまう。だから、汗をできるだけかかないように体温調整することが、山では大事なのである。ゆっくり自分のペースで登り、汗をかかないように体温を調整することも有効な方法である。
 登山向きの体型は、筋肉は十分付いているがマッチョすぎない体型である。脂肪も少ないほうがいい(持久力の観点から無いと困るが)。細マッチョと言い換えてもいい。ヒマヤラのシェルパは皆そのような体型をしている。重い荷物を持てるだけの十分な筋肉で、かつ必要以上に発熱せず熱放射を行いやすい筋肉。
 私も最近だんだん細身になって、登山向きの体型に近づいていると思う。威圧感や迫力はなくなってしまったが。

画像 1465 

 唐松尾山到着。10時00。
 笠取山に行くか止めるか決断しなくてはならない。ここから笠取山まで、行って帰って3時間かかる。もう一度ここに戻ってくると13時になる。明日の和名倉山の秩父方面は、遭難しやすい道で有名なので、今日はできるだけ先の方まで行きたいと思っている。そうすると、唐松尾山に13時はちょっときつい感じだ。そこで、笠取山に行くのを諦める。今度、甲武信岳に縦走するとき通ろう。その時まで待ってろよ、ということで唐松尾山を下って、山の神土方面に向かうことにした。

 つづく 

 



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする