山の神土に戻ってきた。11時00。これから東仙波に向かう。
東仙波までの道は笹が多く、けっこう歩きづらい。ただ、人の行き来が多いからか、よく踏まれていて道はしっかりしている。
途中、水場があって勢い良く水が出ている。昨日の雨が影響しているのか詳しくは分からないが、この付近はそこら中から湧き水が出ている感じである。地図にはない水場が多数ある。冬場にどれだけ水が出ているかが、重要であるけれど。
西仙波の標識が無いので、どの辺か結局分からなかったが、岩場の細い道を登っていくと、シャクナゲの群生地がある。西仙波の付近はシャクナゲはたくさん生えているとのことだから、その細い岩場の道の付近が西仙波だったのかもしれない。
奥秩父の山は1500mから2000m付近でシャクナゲの樹がよく生えている。シャクナゲがどのような性質をもった植物なのかよくわからない。コメツガやシラビソと混生しているとのことだ。詳しくは後で調べてみようと思う。シャクナゲは5月末から6月に花を咲かせるのだという。ゴールデンウィークではちょっと早い。咲き乱れた様子はかなりきれいだと思う。その時期にもう一度来てみたいと思わせる。花は昆虫だけではなく人間のおびき寄せる力を持っている。
私の登山においてのホームグランドは奥多摩であるが、最近、奥秩父もそれに加えたいなぁと思っている。
登山者には2つのタイプがあるそうだ。一つは違う山を次々に登っていくタイプ。もうひとつは同じ山を登り続けるタイプ。私は明らかに後者である。金がなくて遠くにいく交通費がないけれど、毎週でも登山に行きたいから、仕方なく奥多摩に行くしかなかったというのが一番の理由であったが、結果的にそれが良かった。もともと体力には自信があったが、登り続けたことで信じられないくらい体力が向上した。また、死ぬほどの危険には遭わなかったが、軽度の危険を重ねることで危険回避の方法を体で覚えることができた。その意味で、基礎的な登山技術を向上させるためには、4シーズン同じ山を登り続ける方がいい。季節や気候が変われば同じ山であっても全然違う感じになってしまうけれど、道をよく知っているからそれほど慌てることもない。よく知っているがゆえに、いろんな条件の下に、さまざまな実験的な試みも可能になる。冬山もテント泊も全部奥多摩で覚えた。奥多摩は、もう私にとって心の故郷ともいえる場所で、老人になっても登りつづけたい山、になっている。
ただ、最近、奥秩父もホームグランドにしたいなぁと思っている。奥多摩が整備されたやさしい女性的な山だとすれば、奥秩父はワイルドな野生味のある男性的な山といえるだろう。
綺麗な稜線。右側は木の代わりに笹が生えている。
東仙場方面。
これから登る険しい道。頭上でカラスが鳴いている。気味が悪い。カラスはなんで気味が悪いのだろう。
東仙波から撮った雲取山、飛龍山。どれがいいか迷ったので全部アップした。
写真には大きく3つの山が重なっているが、左側が雲取山(2017m)で、真ん中が三つ山(1949m)、右側が飛龍山(2069m)だと思う。あの山を3つ越えてきたと思うと、我ながらあっぱれだと思う。自分の通ってきた稜線を確認できるのはうれしい。
和名倉山への尾根。メリハリがなく鈍重な山容である。数十年前に山火事があったとのことだ。ところどころ山がハゲているのはそのせいかもしれない。
石みたいなのがバンバン飛んでくるなぁと思ったら、イナゴだった。ものすごい数である。多分、笹を食べているのだろう。新潟ではイナゴを食べる風習は、少なくとも私の生活しているときは、なかった。しかし、山岳地方の人たちが、好んでイナゴを食べるのがよくわかる。山は思ったより食べ物がない。その中でイナゴは貴重なタンパク源だからだ。
一匹捕まえて、口に放り込んでみようか迷う。私がイナゴを食べようか迷いじーっと見つめていると、口から茶色の変な汁を出した。それを見たら、駄目だ食べれないと思ってしまった。
ネットで調べたら、イナゴは調理する前に一日袋に入れて絶食しフンを取り除くそうである。そして、ハリガネムシなどの寄生虫がいるので生食に向いていないとのことだった。食べなくて正解。だけど、串刺しにして焼いて食べるのは、全く抵抗はない。今度やってみようと思う。
タンパク質といえば、最近、山にゆで卵を持ち歩いている。それには一応理由がある。卵は、アミノ酸スコア100で栄養価の高い食べ物だからである。トリ、ブタ、牛などの肉もアミノ酸スコア100であるが、腐りやすいので長い間持ち歩けない。ゆで卵は、携帯用の最高の食べ物である。
アミノ酸スコアといっても馴染みがないかもしれないから、ちょっと説明しようと思う。いや、どうせなら人間の食べ物との格闘の歴史について話して見ようか。
生物として生きていくためには、体を構成する物質とエネルギーとなる物質を摂取していかなくてはならない。一番合理的なのは、自分の体と類似する他の動物を捕まえて、消化吸収することである。類似性が高いゆえに、体を構成する栄養分がバランスよく摂取できるからである。だから、肉食が合理的である。ただ、肉食は他の動物と戦い殺さなくてはならないから、危険を伴う。初期の哺乳類は、体も小さく戦うことが困難だったので、戦う危険の少ない虫を食物にしていた。
この戦略は、植物の養分をまず虫に食べてもらい、その虫を食べることで、必要なタンパク質をとるというものである。つまり、たくさん生えているがタンパク質の少ない草が、「虫」という仲介役を通してタンパク質に変化し、それを食べることでタンパク質を効率よく取り込むものといえる。
しかし、虫といってたくさんいるわけではない。たくさんあるのはやはり植物である。だから、植物を食べ物とすることができれば、生存可能性が高くなる。
植物の光合成で作られるのは、でんぷんとセルロースである。でんぷんは説明しなくても分かると思う。これは食物にできる。しかし、セルロースを分解できるのはバクテリアやカビだけで、動物には分解できないといわれている。つまり、食物にできないということである。セルロースは、簡単にいえば、ワラや落ち葉みたいなものである。
そこで、牛や羊みたいな反芻胃をもった草食動物が進化してくる。反芻胃には相当な数のバクテリアがいて、セルロースを発酵させタンパク質にかえる働きがある。だから、牛は草しか食べていないのに筋肉隆々で、あれだけのタンパク質を含んだ牛乳を出すことだできるわけである。ただ、すべての草食動物に反芻胃があるわけではなく、馬には反芻胃はない。では、馬はどのようにしてタンパク質を取り込むのか。これについては後で説明する。
ここで少し話を整理してみる。厳しい環境の中、生物が十分なだけのタンパク質を摂取する戦略は、第一に、自分の体と類似性のある他の動物を摂取する肉食。第二に、牛のような反芻胃をもって自分でタンパク質を作り出す方法。第三に、低栄養の食べ物を過食して必要な分だけ取っていく方法、である。馬は第三の方法をとっているといえる。
人間は、最初、狩猟などによって第一の方法、肉食を中心に生活していた。しかし、次第に農業が行われるようになり、穀物中心の食生活に変わる。このおかげで狩猟を行なっていた時より、安定的な食料が得られるようになる。しかし、問題はそれほど簡単には解決しない。例えば、小麦にはグルテンというタンパク質が含まれているものの、必須アミノ酸のリジンが不足している。
ここで必須アミノ酸について説明しなければならないだろう。必須アミノ酸は簡単に言えば、体で作り出すことのできないアミノ酸で、外部からの食物で取り込まなければ生きていけないタンパク質である。その必須アミノ酸を数値にしたものが、アミノ酸スコアである。ちなみに小麦のアミノ酸スコアは44、精米65である。両者とも必須アミノ酸の一つであるリジンが足りない。大豆はアミノ酸スコア86でリジンは十分に含むが、含硫アミノ酸が少ない。だから、ご飯と納豆を組み合わせれば、必須アミノ酸は十分なものになる。
もし、うどんだけ食べて必須アミノ酸の要求量を満たそうと思えば、一日にうどんを2キロ食べならなくてはならない。2キロ食べたら、炭水化物の量が過剰になるので、それだけ動かなくてはすぐにデブになってしまう。
馬は、草をたくさん食べて必須アミノ酸を必要なだけ摂取しようとする。しかし、その際、過剰に食べてしまうことになるので、それを解消するために、たくさん走らなければならなくなる。馬があれほど走るのは、食べ物を過剰摂取しているからである。
私たちも、ご飯だけで必須アミノ酸を取ろうとすれば、たくさん食べなくてはならない。そうすると、炭水化物を過剰に摂取することになるので、過剰に動かなければならないことになる。
三大栄養素はタンパク質、炭水化物、脂肪だといわれている。その関係について、簡単に説明する。
タンパク質は消化によってアミノ酸に分解され、体の構成要素となる。そして、アミノ酸に分解された後、炭水化物と脂肪に変換可能である。その意味で、タンパク質は万能な栄養だといえる。
炭水化物は、非必須アミノ酸に変換可能であるが、必須アミノ酸には変換できない。脂肪には変換可能である。
脂肪は、水に溶けないのでそのまま体内に貯蔵可能である。しかし、アミノ酸にも炭水化物にも変換できない。
したがって、炭水化物や脂肪だけ食べて生きていくことはできないが、タンパク質だけ食べて生きていくことはできる(もちろん、ビタミン、ミネラルが十分あるという条件のもと)。
話がだいぶそれてしまったが、私が登山にゆでたまごを持ち歩くのは、卵はアミノ酸スコア100なので、一応、これだけ食べていれば死なないからである。カップラーメンでもおにぎりでも、何でも持っていけばいいのだけれど、タンパク質が欠乏するので、ゆで卵が最高なんだよ、ということを主張するために、これだけだらだらと書いてしまった。すいません。
甲武信岳方面の景色。どの山が甲武信岳なのかは分からない。ただ、秩父の盆地からそびえ立っているのがよくわかる。雁坂峠を越えなければ、甲斐(塩山)にはいけないのはよくわかる。
八百平に到着。14時00。
ちょっと早いがテントを張って休む。これから先にいい場所があるか、確信が持てないからだ。まぁいい場所でよかった。でも、鹿がたくさんいる。どうなることやら。
つづく