村上春樹の「1Q84」にリトル・ピープルという分けのわからない妖精みたいなのが出てくる。これは、ジョージ・ウェルの「1984年」のビッグブラザーに対応するものだと推測される。
ビッグブラザーは、御存知の通り、「兄」である。ジョージ・オーウェルの小説を読んでいないので詳しくは分からないが、ビッグブラザーとは独裁者を意味するとのことだ。日本のイメージでは兄ではなく父だと思われる。ジョージ・オーウェルがビック・ブラザーとしたのは、一神教の国では父は神に相当するからだろう。
今の日本で、父といって想像するのは誰だろうか。私はすぐ石原慎太郎を想像してしまう。もし、彼が死んでしまったら、日本でその役を誰が引き継ぐのか分からない。
私たちの世代は、ビッグブラザーになろうとしている最後の世代なのかもしれない。それは、怪獣(アメリカ・原爆の比喩)を倒すウルトラマンに熱狂した最後の世代ということと関係しているのだと思う。例えば、橋下徹とか、TPPに反対している中野剛志とか、キムタクとか。
ビッグブラザー的物語がヒーロー=独裁者を志向するのは間違いない。
村上春樹のリトル・ピープルがなんなのかはよく分からないが、ビッグブラザーに対立する概念だということは分かる。独裁者を排除して小さい人々がネットワークを駆使し相互につながりあうというイメージなのだろうか。
日本には、暴力を全く使用せず、かつ人々から尊敬されたビックブラザーがいる。だから、一神教的物語とは、違った別の観点から、もう一度、日本的システムを考えてみなければならない。ただ、暴力を使わない父が父としての役割を果たし得るのか分からない。
人々は、憎みながらも父を必要とする。今度の大阪市長選も、多分、橋下氏が勝つのではないかと思う。これからの大阪がどうなるか注目している。成功するにしても失敗するにしても、これからの日本の行方を考える上で、重要な出来事になると思っている。