フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

トレッキング三昧

2010年11月08日 19時28分50秒 | 登山

 最近では週末になるとトレッキングに行くことが習慣になっていて、月曜日になるともう次の土曜日のことを考えてしまう。こんなに紅葉がきれいなのに、少しマイナーな山に行くとほとんど人がいなくて貸切状態である。

 最近、ファッショナブルな格好をしたいわゆる山ガールと呼ばれる女性が増え、山も多少明るくなってきた。


 
 

 カラマツは落葉針葉樹だから、松なのに紅葉する。

 

  

 



 落ち葉のじゅうたん。歩くとシャキシャキ音がする。ふかふかで気持ちがいいが、気をゆるすと滑って転んでしまう。


 

  

 

 実際の風景より写真の方がきれいな場合もあるし、写真より実物の方がきれいな場合もある。今回の紅葉に関しては、実際の風景の方がきれいだと思う。
 きれいなものを見ると気持ちが安らいでいく。



 

 
紅葉というか黄葉というか。

この木は何の木か知らないが、イチョウなんかの黄色もすごくきれいである。

 

  

 

 もし私が映画監督なら、映画のワンシーンに使いたくなるような登山道である。
 
 こういう深まる秋の森には、心に深く沈殿ししみわたっていくような雰囲気がよく似合う。

 


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三頭山の紅葉 2

2010年11月03日 21時43分21秒 | 登山

 長く暑い夏がおわったかと思ったら、急に寒くなったので、人間だけでなく、森の樹木たちも大変だったと思う。

 それが山々の紅葉にどのような影響を与えたのか知らないが、ブナの葉は、その多くが、すでに散ってしまていた。

 ブナの葉は、早く散らず、葉に雪が積もると、重さに耐えきれず枝が折れてしまう。
枝が折れてしまえば、来春の日光争奪戦に破れてしまう。植物も私たちの知らないところで、熾烈な争いをしている。


 ブナの葉が散ると、もうすぐ冬が来るなぁという予感がする。そういえば、あと二ヵ月で今年もおわりだ。


 いつのまにか気付かないうちに、時は静かに流れている。樹々も、私も、そして、あなたも、そのようにして歳をとっていく。

 かぎりある時間を、平和的で穏やかに、仲良く喧嘩せず、過ごしたいなぁと思っている。

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三頭山の紅葉

2010年11月03日 13時00分04秒 | 登山

まだ、色つきはじめだけれど、綺麗なところもある。

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オムツなし育児

2010年11月02日 00時31分08秒 | 日々の出来事・雑記

 育児とは無縁の生活をしているから、世の中に「オムツナシ育児」なるものが存在しているなんて全く知らなかった。布オムツが良いのか紙オムツが良いのかというレベルではなく、オムツをつけないとは・・・・・
 もし、本当にそんなことができるなら、おむつ代がうき、育児にお金がかからなくて家計が助かりすごくいいに違いない。まぁ、オムツをつくっている会社は困るかもしれないが。

 東南アジアやアフリカの一部の国は、赤ちゃんのおしりを丸出しにしてオムツを当てないところがあるらしい。
 アメリカの人類学者が、アフリカの母親に「なぜ、赤ちゃんが、ウンチをしたくなるのが分かるのですか」と質問したところ、きょとんとした顔で、「あなたは自分がウンチしたくなったとき、それが分からないの?」といわれたそうである。
 赤ちゃんは、生後二ヶ月ごろから、排泄をする前に何らかのサインを出す。東南アジアやアフリカの母親は、そのサインを、当たり前のように感知して、排泄させるのだ。つまり、先進国の母親より、東南アジアやアフリカの母親の方が赤ちゃんの微細なシグナルを察知する能力が高いということである。
 オムツなし育児を提唱している津田塾大学教授の三砂ちづる氏は、「女性の身体性を取り戻そう」とうったえている。なかなか面白い考えの持ち主だ。
 例えば、彼女は、昔の女性は、月経の血をコントロールしていたという。つまり、ナプキンをつけなくても、あそこの筋肉を閉めて血を外に出さないようにコントロールし、血がある程度たまると便所で排泄していたとのことだ。男なのでよくわからないが、想像するに、その技術はなかなかすごそうである。

 
 ところで、相手のシグナルを察知する能力に関連して、一流のアスリートは、相手に憑依する能力にすぐれている。例えば、、サッカーの試合で相手にパスするとき、相手が今どの位置にいて、これからどのように動くかを予測してから、パスすることになるだろう。

 だがその場合、一番いいのは、もしできるのであれば、自分の魂を瞬間的に飛ばして相手に乗り移り、最高に良い状態でパスを受けれる場所に相手を動かすことである。一流の選手はそれに似たことができる。つまり、パスしようとする相手の動きを無意識的に読みきっていて、どこに動くか一瞬に把握する。そして、そこに動いてくれよと念じながらパスする。そうするとパスしたところへスススーっと相手が動いてくるから、あたかも自分が動かしたかのような錯覚をしてしまう。そのようなことを、憑依能力というか共感能力というかは、言い方はいろいろあると思うが、相手の動きを感知する能力が究極的に高まれば、そのようなことが可能になる。
 アフリカの母親も、一流のアスリートのように、赤ちゃんに対する共感能力が高いのだろうと思う。赤ちゃんの便意があたかも自分の便意のように感じられる。そのとき、母親は赤ちゃんと同一化している。つまり共感能力が高まって、相手に憑依してしまっている。
 私たちには、まだまだ分からない能力がいろいろあるのだと思う。 

 
 

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