フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

神々の山嶺 夢枕獏

2011年10月16日 12時27分54秒 | 読書・書籍

 「神々の山嶺」をさっき読み終わった。昨日の夜、そのまま読み続けたら徹夜で読み続けてしまう勢いだったので、無理に読むのを止めなければならなかった。それくらい緊迫感があって読むのが止まらなくなる小説である。ちょっとすごい。ここ何年かに読んだ小説の中で文句なしに一番面白かった。

 作者はあとがきでこう言っている。

 直球。力いっぱい根限りのストレート。
 もう、山の話は、二度と書けないだろう。
 これが、最初で最後だ。
 それだけのものを書いてしまったのである。
 これだけの山岳小説は、もう、おそらく出ないであろう。
 それに、誰でも書けるというものでもない。
 どうだ、まいったか。

 
 これだけ読むと、何だ自慢かと思ってしまうが、この小説を読み終わってからだと、「その通りです。参りました」と思わず言ってしまう。それくらいすごい小説である。
 超簡単にあらすじを言えば、主人公の羽生丈二が前人未到のエベレスト南西壁冬季無酸素単独登頂をする物語である。視点は三人称であるが、実質的には写真家・深町の視点で物語が進む。上巻はミステリータッチで、下巻は緊迫したエベレスト登頂が迫力のある
リアルな描写で描かれている。自分が実際に登っているような錯覚をしてしまうくらいの圧倒的な筆力で、知らないうちに心臓がバクバクと鼓動している。

 もちろん、小説に出てくるようなすごい経験をしたことはないが、それでも最近山登りしているから、多少なりとも山の危険や辛さを知っている。運動が嫌いな人にとっては、山に登るなんて信じられないだろう。もし山登りしない人に、生命の危険が伴うのに「どうして、山に登るの?」と聞かれれば、「楽しいから」くらいしか言えない。だけど、それだって正確な答えではない。そもそも簡単には答えられない。「どうして生きているの?」とたいして変わらない問いだからだ。その問いにきちんとした答えはない。 

 スピノザはこう言っている。
「われわれをしてあることをなさしめる目的なるものを、私は衝動と解する」と。
 普通、私たちはある目的があってそれを達成するよう努力していると考えている。だから、「どうしてそういう目的を掲げたの?」と問うことになる。しかし、スピノザはそう考えない。まず、衝動があるのだと。その訳のわからない衝動が私たちに訳のわからない行動をさせているのだと。だから本来「なんのために」という問いは成り立たず、それに答えはない。
 衝動、つまり身体からほとばしる生命力が、ただ行動を渇望しているだけなのだ。
 強烈な生命は、それが脅かされるような極限の世界を求める。死が近づけば近づくほど、生の輪郭が浮かび上がってくるからだ。極限の世界はジリジリと生を焼き焦がすが、死を乗り越えようとする強い力は、簡単なハードルでは物足りないのである。
 

 最近、すこし元気が無いなぁという人に、この本をお薦めする。たとえ山に興味が無いとしても、山岳小説を超えて、普遍的な意味での生きる力を与えてくれる小説だからだ。また、サスペンスやミステリー的な要素も取り入れられており、グイグイと物語に引きずり込まれてしまうから、そういう面白さを求めている人にもいい。

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トゥルー・ストーリーズ  ポール・オースター

2011年10月11日 08時42分34秒 | 読書・書籍

 山に必ず本を持って行くが、全部読み終わるのは稀で、だいたい半分くらい読んだ状態で持って帰ってくる。ただ、その例外がポール・オースターの著作だ。彼の本はいつも全部読み終わってしまう。何故だろう。グイグイ物語を引っ張っていく彼のテクニック故なのか、山での孤独と主人公の孤独がぴったり符合する故なのか、その辺はよく分からない。単に私が彼の小説を好きなだけかもしれない。
 
 今回は、小説ではないのだが、本当の話、「トゥルーストーリーズ」の文庫を持っていった。これもまた面白くて全部読み終わってしまった。初日の夜には、おもしろずぎて止められず、寝れなくなってしまったほどである。
 いろんなエッセイが混じっている(彼の貧乏時代とか)が、基本的には彼の周りに起きた本当の話を綴った本である。読み進めていくうちに、何回か口をあんぐり開けてしまうような出来事に出会う。そんな馬鹿な、という感じ。
 これを読んでいろんなことを考えてしまった。偶然の出来事って、もしかしたら日常的に私たちの周りにも起きているのではないか。ただ、私たちはそれに気づいていないだけなのではないか。この本を読んでいると、偶然の出来事を嗅ぎ分ける能力に差があるだけなのではないかという気になってくる。

 例えば、こういう話。
 彼の妻の妹が、台湾に中国語の勉強をしながら生活していて、同じく語学留学をしているアメリカの友人とある会話をする。

「ニューヨークに住んでいる姉がいるの」と私の未来の義妹は言った。
「私にもいるわ」と友人は答えた。
「アッパー・ウエストサイドに住んでいるの」
「私のお姉さんもよ」
「私のお姉さんは西109丁目に住んでいるの」
「嘘みたいだけど、私のお姉さんもよ」
「私のお姉さんは西109丁目の309番地に住んでいるの」
「私のお姉さんもよ」
「私のお姉さんは西109丁目309番地の二階に住んでいるの」
友人は大きく息を吸って、言った。「絶対嘘だと思うでしょうけど、私のお姉さんもよ」

 偶然の符合によって、物語が大きく動き始める。それは小説の中での話だけではなく、私たちの人生も同じことである。偶然の符合は実は日常的に私たちの周りに起きている。人生を大きく変える人は、その偶然の符合を見つけ出す能力に優れているのだ。

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少しだけ紅く

2011年10月09日 18時55分45秒 | 日々の出来事・雑記
紅葉というにはまだ早いが、所々紅くなりつつある。また、美しい季節がやってきた。
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遭難しやすい和名倉山 9月25日

2011年10月06日 00時29分15秒 | 登山

 バタバタやることがあって、なかなかブログを書けなかった。ようやく再開。

 前日は早く寝たから体力が回復。テントを素早く撤収して、八百平を6時半に出発する。
 和名倉山の秩父側の登山道は遭難者がおおいことで有名である。まぁ、こうしてブログを書いているわけだから、私は遭難はしていないのだが、何箇所か危ないところもあった。正直言って、秩父側の和名倉山はあまりいい山だとは思わない。もし登りたいなら、将監峠の方から登るべきで、秩父側からは止めたほうがいいと思う。
 とは行っても、登りたい人もいるだろうから、これから登る予定の人のために、詳しく書こうと思う。

 八百平から和名倉山山頂までは、それほど遠くない。

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 私は、山頂に行くことを目的として登山しているわけではないので、和名倉山山頂に行かなかった。行って帰って、30分くらいということである。
 「遭難したら尾根に上がれ」と書いてある。当然といえば当然である。山頂は基本的に一つで、登っていけばいずれ山頂にたどり着く。しかし、下りはいろんなパターンがあり、自分の位置がわからなくなったり、危険なところ出てしまうこともあるからである。特に沢の付近は急な崖があって、落ちたら一巻の終わりである。

 遭難にはいろいろな原因があると思うが、大きな原因の一つに体力不足があると思う。疲れきってしまうと判断力を失うからである。そして、一番の問題は、疲れているときに尾根にあがるのが嫌だという精神状態にある。疲れているからどうしても楽な下りを選んでしまう。でも、心を鬼にして、登っていかなくてはならない。
 私も、何回か道に迷ったことがある。迷うときは不思議と下りであるが、頑張って登り返した。もしヘトヘトなっていたらどうなっていたか分からない。道を間違えること自体は、実はよくあることだ。問題は登り返せるだけの体力と精神力があるかどうかだ。引き返したことで2時間ロスしたこともある。しかし、なんとか遭難は免れた。やはり、「遭難したら尾根に上がれ」という言葉はその通りだと思う。まぁ、私流に言えば、「迷ったら前の場所に戻れ」だろうか。


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 よく似た葉だが、左がシラビソ、右がコメツガ。
 奥秩父には、このシラビソとコメツガの樹が多い。奥秩父は森林限界の一歩手前くらいの標高で、冬は深い雪に包まれる。そのような環境の中ではシラビソやコメツガなどの寒さに強い常緑針葉樹が生育する。常緑針葉樹は体内の成分を調整することで、幹内が凍らないようにできるからだ。
 もう一つの特徴は、標高が高いゆえに山野草が少ないことである。そうすると、山野草の代わりに樹の付近に見事な苔が生える。だから、奥秩父には苔のはえた鬱蒼とした林がある。それが好きか嫌いかは好みの別れるところであるが、晴れていると幻想的で綺麗、、曇っていると怪しく気持ちがわるい感じになる。こっちの主観的な気分が強く影響する。

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 迷うという観点からは、ところどころ踏み跡がわかりにくい感じではあるが、赤いテープが張られているので、大丈夫である。

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 尾根沿いに入るところで、この標識というか張り紙というか、がある。ここから、悪評高いスズダケのヤブがある。

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 ちょっとこの笹ヤブがどんな感じだろうかビビっていたが、きれいに刈られていて、まぁまぁ歩きやすかった。もし、これが刈られていなかったら、ひどい事になっていただろうと思う。

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 このように、赤いテープが丁寧に貼られている。だから、迷う可能性は少ない。誰か分からないが、「ありがとう」といって通りすぎる。

 笹ヤブもそうだが、そこを通り過ぎると足元の悪い急な下り坂が続く。
 多分、この辺が一番遭難しやすいんではないかと思う。というのも、右側に和名倉沢があってそっちの方に降りていきそうになるからである。
 沢の方から水の音が聞こえる。地図で沢を確認してから、そっちの方に降りると迷うぞと自分に言い聞かせる。
 沢の方に向かって踏み跡がたくさんある。多分、沢登りや沢下りをする人たちの踏跡だろうと思う。気が緩んでくると知らず知らずに、沢に降りてしまうのもよくわかる。
 気をつけてください。

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 秩父側の方はオススメしないと言ったのは、このゴミに幻滅するからである。とにかく酷い。というか気持ちが悪い。

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 小屋跡。9時半。このガラクタ何とかならないのだろうか。

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 もし、この和名倉山を秩父方面から登るとしたら、秩父鉄道で終点の三峰口駅まで来て、そこから西武観光バスで秩父湖まで来ることになる。今の状態だと、わざわざ高い交通費を払って来るまでの価値はない。汚すぎるからだ。
 私が、秩父鉄道や西武観光バスの経営者なら、まずこのゴミを何とか処理して、和名倉山の登山道をきれいにして登山客を増やすように努力するだろう。確かに、この和名倉山は日帰りにしてはきつすぎる。だから、途中、避難小屋があったほうがいいと思う。この小屋跡の付近には水場があって、この辺に避難小屋があれば最高である。ただ、このゴミをきちんと処理しなければならない。

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 このように、本来、道は広くて歩きやすいはずである。ただ、せっかくのきれいで歩きやすい道が、倒木やヤブでひどい事になっている。誰かがきれいに整理しないといけないだろう。

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 登尾沢の頭(1369m)。ここから、三峰神社らしきものが見える。けっこう標高が高いところに建物がある。

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 杉、ひのきの植林地帯。急坂で、もしここを登ってきていたらかなりバテる。そのバテた体で、今来た道のりを登っていくのだから、相当の体力がなくては疲れきってしまうと思われる。私でも、日帰りで帰ってくる自信がない。相当きつい。だから、秩父側の遭難が多いのは、道が悪いだけではなく、きつい登りも原因だと思う。とにかく疲れきってしまうのだ。体力がない人にはこの山はオススメしない。

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 秩父湖の吊り橋。12時20分。もうすぐこの登山も終わる。すこし寂しい。

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 秩父湖をすぎて、すこし登ったところに埼玉大学秩父山寮があった。その辺に水場もあったから、裸になって体を拭いたり、頭を洗ったり、ひげを剃ったりした。公共交通機関を使うので、多少、きれいにして置かなければならない。

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 歩きすぎて脂肪が落ちた。ちょっとすっきりしたと思う。写真をとって確認してみるがよく分からない。脱がないと分からないね。

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 二瀬ダム。間近でダムを初めて見た。ここが始まりとなって、うちの近くの荒川につながっていると思うと、なんだか感激する。

 そうやって写真を撮っていると、バスが来た。猛ダッシュでバスに乗り込む。バス停やその付近の写真を撮っている時間はなかった。残念。
 バスの中は、高校生らしき登山者がいっぱいの乗っていた。当然、座る場所なし。その一人にどこに行ってきたのと聞いてみる。
「白泰山です」と答える。
「高校生?」と私
「はい」と彼。
でっかいザックを持っている。彼の体格にしては大きすぎるような気がするが、若いから大丈夫なのだろう。

 三峰口駅から秩父駅まで行く。秩父駅から特急で池袋まで行く。特急は新幹線みたいな豪華な車両だった。特急券600円くらい払ったのだから当然か。
 新宿とは違い、池袋には私みたいなザックを担いで泥だらけになった野生的な人間はあまりいないので、ジロジロと見られる。そんなことは気にせず重いザックを担いでヒョイヒョイと人をぬって軽快にステップを踏む。山に長くいると野生動物のようになる。その感覚が好きだ。
 一応、和名倉山の登山ブログはここで終わり。

 今週の連休には大菩薩嶺を中心とした縦走をしようと思っている。なんか山中心の生活になってしまってきているような気が。だけど、楽しい。

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和名倉山方面に向かう 東仙波 八百平 9月24日

2011年10月02日 19時44分13秒 | 登山

 山の神土に戻ってきた。11時00。これから東仙波に向かう。

 東仙波までの道は笹が多く、けっこう歩きづらい。ただ、人の行き来が多いからか、よく踏まれていて道はしっかりしている。
 
 途中、水場があって勢い良く水が出ている。昨日の雨が影響しているのか詳しくは分からないが、この付近はそこら中から湧き水が出ている感じである。地図にはない水場が多数ある。冬場にどれだけ水が出ているかが、重要であるけれど。 
 
 西仙波の標識が無いので、どの辺か結局分からなかったが、岩場の細い道を登っていくと、シャクナゲの群生地がある。西仙波の付近はシャクナゲはたくさん生えているとのことだから、その細い岩場の道の付近が西仙波だったのかもしれない。
 
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 奥秩父の山は1500mから2000m付近でシャクナゲの樹がよく生えている。シャクナゲがどのような性質をもった植物なのかよくわからない。コメツガやシラビソと混生しているとのことだ。詳しくは後で調べてみようと思う。シャクナゲは5月末から6月に花を咲かせるのだという。ゴールデンウィークではちょっと早い。咲き乱れた様子はかなりきれいだと思う。その時期にもう一度来てみたいと思わせる。花は昆虫だけではなく人間のおびき寄せる力を持っている。
 
 私の登山においてのホームグランドは奥多摩であるが、最近、奥秩父もそれに加えたいなぁと思っている。
 登山者には2つのタイプがあるそうだ。一つは違う山を次々に登っていくタイプ。もうひとつは同じ山を登り続けるタイプ。私は明らかに後者である。金がなくて遠くにいく交通費がないけれど、毎週でも登山に行きたいから、仕方なく奥多摩に行くしかなかったというのが一番の理由であったが、結果的にそれが良かった。もともと体力には自信があったが、登り続けたことで信じられないくらい体力が向上した。また、死ぬほどの危険には遭わなかったが、軽度の危険を重ねることで危険回避の方法を体で覚えることができた。その意味で、基礎的な登山技術を向上させるためには、4シーズン同じ山を登り続ける方がいい。季節や気候が変われば同じ山であっても全然違う感じになってしまうけれど、道をよく知っているからそれほど慌てることもない。よく知っているがゆえに、いろんな条件の下に、さまざまな実験的な試みも可能になる。冬山もテント泊も全部奥多摩で覚えた。奥多摩は、もう私にとって心の故郷ともいえる場所で、老人になっても登りつづけたい山、になっている。
 ただ、最近、奥秩父もホームグランドにしたいなぁと思っている。奥多摩が整備されたやさしい女性的な山だとすれば、奥秩父はワイルドな野生味のある男性的な山といえるだろう。



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 綺麗な稜線。右側は木の代わりに笹が生えている。



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 東仙場方面。

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 これから登る険しい道。頭上でカラスが鳴いている。気味が悪い。カラスはなんで気味が悪いのだろう。


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 東仙波から撮った雲取山、飛龍山。どれがいいか迷ったので全部アップした。
 写真には大きく3つの山が重なっているが、左側が雲取山(2017m)で、真ん中が三つ山(1949m)、右側が飛龍山(2069m)だと思う。あの山を3つ越えてきたと思うと、我ながらあっぱれだと思う。自分の通ってきた稜線を確認できるのはうれしい。


 
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 和名倉山への尾根。メリハリがなく鈍重な山容である。数十年前に山火事があったとのことだ。ところどころ山がハゲているのはそのせいかもしれない。


 
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 石みたいなのがバンバン飛んでくるなぁと思ったら、イナゴだった。ものすごい数である。多分、笹を食べているのだろう。新潟ではイナゴを食べる風習は、少なくとも私の生活しているときは、なかった。しかし、山岳地方の人たちが、好んでイナゴを食べるのがよくわかる。山は思ったより食べ物がない。その中でイナゴは貴重なタンパク源だからだ。
 一匹捕まえて、口に放り込んでみようか迷う。私がイナゴを食べようか迷いじーっと見つめていると、口から茶色の変な汁を出した。それを見たら、駄目だ食べれないと思ってしまった。
 ネットで調べたら、イナゴは調理する前に一日袋に入れて絶食しフンを取り除くそうである。そして、ハリガネムシなどの寄生虫がいるので生食に向いていないとのことだった。食べなくて正解。だけど、串刺しにして焼いて食べるのは、全く抵抗はない。今度やってみようと思う。

 タンパク質といえば、最近、山にゆで卵を持ち歩いている。それには一応理由がある。卵は、アミノ酸スコア100で栄養価の高い食べ物だからである。トリ、ブタ、牛などの肉もアミノ酸スコア100であるが、腐りやすいので長い間持ち歩けない。ゆで卵は、携帯用の最高の食べ物である。
 アミノ酸スコアといっても馴染みがないかもしれないから、ちょっと説明しようと思う。いや、どうせなら人間の食べ物との格闘の歴史について話して見ようか。
 
 生物として生きていくためには、体を構成する物質とエネルギーとなる物質を摂取していかなくてはならない。一番合理的なのは、自分の体と類似する他の動物を捕まえて、消化吸収することである。類似性が高いゆえに、体を構成する栄養分がバランスよく摂取できるからである。だから、肉食が合理的である。ただ、肉食は他の動物と戦い殺さなくてはならないから、危険を伴う。初期の哺乳類は、体も小さく戦うことが困難だったので、戦う危険の少ない虫を食物にしていた。
 この戦略は、植物の養分をまず虫に食べてもらい、その虫を食べることで、必要なタンパク質をとるというものである。つまり、たくさん生えているがタンパク質の少ない草が、「虫」という仲介役を通してタンパク質に変化し、それを食べることでタンパク質を効率よく取り込むものといえる。
 しかし、虫といってたくさんいるわけではない。たくさんあるのはやはり植物である。だから、植物を食べ物とすることができれば、生存可能性が高くなる。
 植物の光合成で作られるのは、でんぷんとセルロースである。でんぷんは説明しなくても分かると思う。これは食物にできる。しかし、セルロースを分解できるのはバクテリアやカビだけで、動物には分解できないといわれている。つまり、食物にできないということである。セルロースは、簡単にいえば、ワラや落ち葉みたいなものである。
 そこで、牛や羊みたいな反芻胃をもった草食動物が進化してくる。反芻胃には相当な数のバクテリアがいて、セルロースを発酵させタンパク質にかえる働きがある。だから、牛は草しか食べていないのに筋肉隆々で、あれだけのタンパク質を含んだ牛乳を出すことだできるわけである。ただ、すべての草食動物に反芻胃があるわけではなく、馬には反芻胃はない。では、馬はどのようにしてタンパク質を取り込むのか。これについては後で説明する。
 ここで少し話を整理してみる。厳しい環境の中、生物が十分なだけのタンパク質を摂取する戦略は、第一に、自分の体と類似性のある他の動物を摂取する肉食。第二に、牛のような反芻胃をもって自分でタンパク質を作り出す方法。第三に、低栄養の食べ物を過食して必要な分だけ取っていく方法、である。馬は第三の方法をとっているといえる。

 人間は、最初、狩猟などによって第一の方法、肉食を中心に生活していた。しかし、次第に農業が行われるようになり、穀物中心の食生活に変わる。このおかげで狩猟を行なっていた時より、安定的な食料が得られるようになる。しかし、問題はそれほど簡単には解決しない。例えば、小麦にはグルテンというタンパク質が含まれているものの、必須アミノ酸のリジンが不足している。
 ここで必須アミノ酸について説明しなければならないだろう。必須アミノ酸は簡単に言えば、体で作り出すことのできないアミノ酸で、外部からの食物で取り込まなければ生きていけないタンパク質である。その必須アミノ酸を数値にしたものが、アミノ酸スコアである。ちなみに小麦のアミノ酸スコアは44、精米65である。両者とも必須アミノ酸の一つであるリジンが足りない。大豆はアミノ酸スコア86でリジンは十分に含むが、含硫アミノ酸が少ない。だから、ご飯と納豆を組み合わせれば、必須アミノ酸は十分なものになる。
 もし、うどんだけ食べて必須アミノ酸の要求量を満たそうと思えば、一日にうどんを2キロ食べならなくてはならない。2キロ食べたら、炭水化物の量が過剰になるので、それだけ動かなくてはすぐにデブになってしまう。
 馬は、草をたくさん食べて必須アミノ酸を必要なだけ摂取しようとする。しかし、その際、
過剰に食べてしまうことになるので、それを解消するために、たくさん走らなければならなくなる。馬があれほど走るのは、食べ物を過剰摂取しているからである。
 私たちも、ご飯だけで必須アミノ酸を取ろうとすれば、たくさん食べなくてはならない。そうすると、炭水化物を過剰に摂取することになるので、過剰に動かなければならないことになる。
 
 三大栄養素はタンパク質、炭水化物、脂肪だといわれている。その関係について、簡単に説明する。
 タンパク質は消化によってアミノ酸に分解され、体の構成要素となる。そして、アミノ酸に分解された後、炭水化物と脂肪に変換可能である。その意味で、タンパク質は万能な栄養だといえる。
 炭水化物は、非必須アミノ酸に変換可能であるが、必須アミノ酸には変換できない。脂肪には変換可能である。
 脂肪は、水に溶けないのでそのまま体内に貯蔵可能である。しかし、アミノ酸にも炭水化物にも変換できない。
 したがって、炭水化物や脂肪だけ食べて生きていくことはできないが、タンパク質だけ食べて生きていくことはできる(もちろん、ビタミン、ミネラルが十分あるという条件のもと)。
 話がだいぶそれてしまったが、私が登山にゆでたまごを持ち歩くのは、卵はアミノ酸スコア100なので、一応、これだけ食べていれば死なないからである。カップラーメンでもおにぎりでも、何でも持っていけばいいのだけれど
、タンパク質が欠乏するので、ゆで卵が最高なんだよ、ということを主張するために、これだけだらだらと書いてしまった。すいません。


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 甲武信岳方面の景色。どの山が甲武信岳なのかは分からない。ただ、秩父の盆地からそびえ立っているのがよくわかる。雁坂峠を越えなければ、甲斐(塩山)にはいけないのはよくわかる。

画像 1481

 八百平に到着。14時00。
 ちょっと早いがテントを張って休む。これから先にいい場所があるか、確信が持てないからだ。まぁいい場所でよかった。でも、鹿がたくさんいる。どうなることやら。

 つづく


 

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将監峠 唐松尾山  9月24日

2011年10月02日 01時33分40秒 | 登山

 多少の昨日の疲れが残っているものの、ほぼ復活した。登山はハードなスポーツでアホみたいに体力を消耗するが、夜にやることがなく休息時間も多いので体力は回復する。
 寝袋から出て、テントを素早く撤収し、6時半頃に出発する。
 今日は、将監峠に行ってそこから唐松尾山に登る。笠取山まで行こうか少し迷っている。どこまで行くかはその時の状況で判断するが、そこからもう一度将監峠方面に戻ってきて、秩父の和名倉山(白石山)
に向かう。
 
 
地図だと飛龍山が竜喰山に、和名倉山が白石山になっている。

地図画像



 

画像 1455 

 富士山が綺麗に見える。昨日はガスに覆われ景色は見えなかったので感動する。

 画像 1456 

苔に覆われた道。日本庭園のようだ。


 画像 1459  画像 1460

 出発から一時間半くらいで将監峠につく。8時00。
 私は新潟平野の真ん中で生まれたので、峠というものを知らずに育った。道もほとんど真っ直ぐで平坦なものだ。坂道もほとんどない。19歳くらいのときに、はじめて鎌倉をドライブした時、あまりの急な坂の多さに衝撃を受けた。坂道発進で死にそうになった。余談ではあるが。だからというわけではないが、山道や峠と聞くと少し興奮してしまう。面白いものだ。
 今回訪れたかった場所の一つが将監峠である。ただ、将監峠はいろいろ謎が多い。謎というと大げさだが、峠自体の歴史的な存在意義がいまいちよく分からない。
 例えば、雁坂峠は秩父大滝村の繭を塩山に運ぶためのシルクロードで、秩父と甲斐の交易おこなう峠だった。それから、小説で有名な大菩薩嶺峠は、甲州街道の裏道として機能していたらしい。というのも通行手形なく通れたので、旅芸人、逃亡した遊女、犯罪人などが人目をはばかってひっそり通り抜けする道だったそうだ。
 それに対し、将監峠はどういう性質の峠だったのだろうか。丹波山村の村民が秩父を抜けるために使ったのだろうか。それとも、雁坂峠から十文字峠を通り抜け信州方面に向かうための道だったのだろうか。その辺のことは、ネットで調べてみてもどこにも記述がない。ただ、峠は山を境界として人や物を移動させる通路なのだから、何らかの意味があったに違いない。


 画像 1462

 山の神土に向かう途中に、レリーフがあった。
 
 萬羽日出夫君ここに眠る享年18歳
 WV部 S49年、5,1 東洋大学工学部

 私より若い。何があったのかよく分からないが、冥福を祈る。

 画像 1464

 山の神土に到着。8時40分。
 ここから笠取山方面に行く道と和名倉山(白石山)方面に行く道とに分かれる。
 
 ここで写真を撮っていると、年配のおじさんがやってくる。
「こんにちは」と声をかける。
「えーと、今日はどちらまでいかれるんですか」と聞いてみる。これから和名倉山まで行くとのことだ。ただ、体力が無いので頂上を目指しているわけではなく、いけるところまで行って帰ってくるとのことだった。
「俺は唐松尾山まで行って笠取山まで行ければいくつもりです」と言うと、「笠取山なんてすぐ着くよ。楽勝」と言われた。うーん、ひとごとだと思って簡単に言うなぁと思ったが、「それからまた戻って、和名倉山に行くつもりです」と言うと、「ああ、そうかそれは大変だね、無理しないほうがいいよ」と行ってくれた。どうやらこの辺のことは詳しいらしい。

 涼しいことは涼しいが、昨日より気温が上がり、しかも登りなので汗が出てくる。少しペースが早いようだ。落とさなくては。登山中のこの汗がなかなかのクセモノである。
 もともと私は登山向きの体型ではなかったと思う。筋肉質でそこそこの脂肪が付いているがっちりとした大柄な体型だったから。なぜこのような体型が登山向きではないかというと、持久力がないこと、それから汗をかくことの二点があげられる。
 細かいことを省いて大きくざっくりと言えば、体温調節は筋肉を動かすことによる発熱と皮膚からの熱の放射によって行われている。当然、筋肉が多ければ多いほど体温を上げること、つまり発熱はよくできる。そして、脂肪は熱を逃さない役割を果たすから、筋肉質で脂肪がほどよく付いている体型は、寒さには、原則的に強い。
 しかし、それが逆に暑さには弱くなる要素にもなる。つまり、筋肉を動かすと熱が出やすく、かつ脂肪で熱が逃げないので、体温が上昇しすぎるのである。人間は体温が44℃になるとタンパク質が固まってしまい死んでしまう。そこで、皮膚から熱を放射して体を冷やすことになる。その際に汗を出して体温を効率的に冷やそうとする。だから、筋肉質でそこそこ脂肪が付いている体型は、大量の汗が出るわけである。
 汗は効率的に体温を下げるための重要な機能であるが、山などの環境では体温を下げ過ぎてしまう場合が多いことから、汗をかきすぎると問題になる。休憩しているときなどは、夏といって標高が高ければけっこう気温は低いし、風が吹けばかなり体感温度はかなり低くなる。また、冬場に汗を大量にかけば冷えすぎて風邪を引いてしまう。だから、汗をできるだけかかないように体温調整することが、山では大事なのである。ゆっくり自分のペースで登り、汗をかかないように体温を調整することも有効な方法である。
 登山向きの体型は、筋肉は十分付いているがマッチョすぎない体型である。脂肪も少ないほうがいい(持久力の観点から無いと困るが)。細マッチョと言い換えてもいい。ヒマヤラのシェルパは皆そのような体型をしている。重い荷物を持てるだけの十分な筋肉で、かつ必要以上に発熱せず熱放射を行いやすい筋肉。
 私も最近だんだん細身になって、登山向きの体型に近づいていると思う。威圧感や迫力はなくなってしまったが。

画像 1465 

 唐松尾山到着。10時00。
 笠取山に行くか止めるか決断しなくてはならない。ここから笠取山まで、行って帰って3時間かかる。もう一度ここに戻ってくると13時になる。明日の和名倉山の秩父方面は、遭難しやすい道で有名なので、今日はできるだけ先の方まで行きたいと思っている。そうすると、唐松尾山に13時はちょっときつい感じだ。そこで、笠取山に行くのを諦める。今度、甲武信岳に縦走するとき通ろう。その時まで待ってろよ、ということで唐松尾山を下って、山の神土方面に向かうことにした。

 つづく 

 



 

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