明治23(1890)年に発布され、戦争中、軍国少年を育てるための教育の根幹とされていた教育勅語。その教育勅語を体現するための大事な教材の一つが、「修身」です。
7,8年前に編集し直して刊行されたものを、つい最近読みました。帯は、「正しい日本人の姿がここにある」「戦前の教育はこんなにも輝いていた」「我が国の国柄を学ぶ高学年用が遂に登場」「異例のベストセラー」などの文言で飾られ、どちらにも教育勅語が収録されています。
修身は、いまでいう道徳だけでなく、公民や倫社も兼ねていて、日本が、万世一系の天皇をいただき今に至るまで続いていることに国民として誇りをもち、皇室の神の社である伊勢神宮、そして皇室を守るために命を賭けた兵士たちの「御霊」をまつる靖国神社を崇敬することを義務付けています。
イソップ、郷土の偉人と目される人物や、伊能忠敬とか二宮金次郎など、江戸時代の有名な人物たちも登場。どれだけ苦労して勉学に励んだか、偉業を成し遂げたかといった彼らの伝記がかかれています。
低学年用の修身のあるページには二人の男の絵が描かれています。一方は人品卑しからぬ人物、もうひとりはよれよれの着物を着て風采が上がらぬ人物らしいとわかります。文章は、立派なほうは努力家で、落ちこぼれのほうは怠けたからこうなった、とあるのみ。そして「立派な人物」は負け犬を見てまゆをひそめています。昔の同級生が零落しているのを見て、助けない人物が「えらい」?
孝行娘や息子の話にも多く紙面を割いています。でも、具体的にどこがどうえらかったのがわからない。
こういう教科書を与えられて育った人たちが、議論や論理をまなぶことなく、戦争にいやおうなく巻き込まれたのだな、ということがわかる一助になりました。議論の末、一方が勝ち、片方が納得して従ったとか、そういったすじみちのある話はほぼないようでした。とにかくおどろくほど、話が貧弱。取り上げられた実在の人の何人かは、ほんとはものすごくいろいろあって、何かを成し遂げたとおもうのですが、教科書では、そういうところをすっ飛ばしている。
教育勅語に関しては、わたしにはよく意味が分からないところが多く、理解できない。例えば有名な「夫婦相和し」という文言は、どういう意味なのでしょう。「和」すって? だれが「ああ、君たち夫婦は和しているね」と認めるのでしょう。本人たちも気が付かないほどの仮面夫婦や共依存の関係だったら、はた目には「和し」ていると見えるかもしれません。それでもいいということ?
有名な、進歩的な教育評論家と目されている人が、「教育勅語はいいことが書いてあるけれど、戦争への道をひらいたからいけない」という意味のことを言っているのを聞いたことがあります。意味の分からないものを、いいとか悪いとかは言えないはず。彼は、どうも、教育勅語の文言の意味は分かるらしい。わかる、と思うことからそもそも疑わないと危ないな、と痛感した読書となりました。