アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

本「国民の修身」「国民の修身 高学年用」

2022-02-24 17:12:47 | 映画とドラマと本と絵画

  明治23(1890)年に発布され、戦争中、軍国少年を育てるための教育の根幹とされていた教育勅語。その教育勅語を体現するための大事な教材の一つが、「修身」です。

  7,8年前に編集し直して刊行されたものを、つい最近読みました。帯は、「正しい日本人の姿がここにある」「戦前の教育はこんなにも輝いていた」「我が国の国柄を学ぶ高学年用が遂に登場」「異例のベストセラー」などの文言で飾られ、どちらにも教育勅語が収録されています。

  修身は、いまでいう道徳だけでなく、公民や倫社も兼ねていて、日本が、万世一系の天皇をいただき今に至るまで続いていることに国民として誇りをもち、皇室の神の社である伊勢神宮、そして皇室を守るために命を賭けた兵士たちの「御霊」をまつる靖国神社を崇敬することを義務付けています。

  イソップ、郷土の偉人と目される人物や、伊能忠敬とか二宮金次郎など、江戸時代の有名な人物たちも登場。どれだけ苦労して勉学に励んだか、偉業を成し遂げたかといった彼らの伝記がかかれています。

  低学年用の修身のあるページには二人の男の絵が描かれています。一方は人品卑しからぬ人物、もうひとりはよれよれの着物を着て風采が上がらぬ人物らしいとわかります。文章は、立派なほうは努力家で、落ちこぼれのほうは怠けたからこうなった、とあるのみ。そして「立派な人物」は負け犬を見てまゆをひそめています。昔の同級生が零落しているのを見て、助けない人物が「えらい」?

   孝行娘や息子の話にも多く紙面を割いています。でも、具体的にどこがどうえらかったのがわからない。

   こういう教科書を与えられて育った人たちが、議論や論理をまなぶことなく、戦争にいやおうなく巻き込まれたのだな、ということがわかる一助になりました。議論の末、一方が勝ち、片方が納得して従ったとか、そういったすじみちのある話はほぼないようでした。とにかくおどろくほど、話が貧弱。取り上げられた実在の人の何人かは、ほんとはものすごくいろいろあって、何かを成し遂げたとおもうのですが、教科書では、そういうところをすっ飛ばしている。

  教育勅語に関しては、わたしにはよく意味が分からないところが多く、理解できない。例えば有名な「夫婦相和し」という文言は、どういう意味なのでしょう。「和」すって? だれが「ああ、君たち夫婦は和しているね」と認めるのでしょう。本人たちも気が付かないほどの仮面夫婦や共依存の関係だったら、はた目には「和し」ていると見えるかもしれません。それでもいいということ?

  有名な、進歩的な教育評論家と目されている人が、「教育勅語はいいことが書いてあるけれど、戦争への道をひらいたからいけない」という意味のことを言っているのを聞いたことがあります。意味の分からないものを、いいとか悪いとかは言えないはず。彼は、どうも、教育勅語の文言の意味は分かるらしい。わかる、と思うことからそもそも疑わないと危ないな、と痛感した読書となりました。

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セネカ「人生の短さについて」

2022-02-24 17:12:47 | 映画とドラマと本と絵画

  高校の時の世界史か倫社の教科書にちらっと出てきた記憶しかない、ローマの哲学者セネカ。皇帝ネロの教育係となり、皇帝就任後は補佐役となった人物。でも、(ネロを)「制御することができず辞表を出」し、隠遁生活に入ってから執筆活動をおこなったとか。ネロ暗殺の陰謀に加担した嫌疑をかけられ、「みずから命を絶った」。

  本書はセネカの入門書として編まれたもので、「人生の短さについて」は、近親のある人物にあてて書かれたものだそうです。

  「我々が手にしている時間は、決して短くはない。むしろ、われわれが、たくさんの時間を浪費しているのだ。(中略)ついに一生が終わり、死なねばならぬときになって、われわれは気付くことになるのだ。ーー人生は過ぎ去ってしまうものなのに、そんなことも知らぬ間に、人生が終わってしまったと。つまり、そういうことなのだよ。われわれは、短い人生を授かったのではない。われわれが人生を短くしているのだ。われわれは、人生に不足などしていない。われわれが、人生を浪費しているのだ」

  ギリシア、ローマの有名人たち、皇帝たちをとりあげて、彼らの生き方について論じているのですが、セネカの言いたいことはただひとつ。<人生を短いものにしているのは、自分のせいだ>

  「ひとは、互いの時間を奪いあい、互いの平穏を破りあい、互いを不幸にしている。そんなことをしているうちは、人生には、なんの実りも、なんの喜びも、なんの心の進歩もない」

   いつか幸福な閑暇の日々が訪れるのを夢見て、多忙のうちに死んでしまう人がほとんどだと、彼は言います。

   「すべての人間の中で、閑暇な人と言えるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。そのような人だけが生きていると言える」

   忙しさにかまけて、時間を無駄遣いし続けて老年にいたったことを、痛感させられる文章です。でも、書いてあることばのひとつひとつが明瞭で、気持ちよく心に響きました。

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